瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2008/07/16 22:58   >>

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”笑い”にも、いろいろなものがある。
例えば。

おなかの底から大笑いして、心も身体も元気になっちゃうような”笑い”。
くすくすと密やかで、でも心がほっこりあったかくなるような”笑い”。
沢山の涙を流しながら、自然に込み上げてくる優しい”笑い”。
鈍い痛みを伴う、片頬だけを歪めるような”笑い”。
そして、反射的な笑いのあとに、不思議な疑問の残る”笑い”。

私が今、一つ目の笑いで思い浮べるのは「五右衛門ロック」。
二つ目は「ガマザリ」。
三つ目は「ロマンス」。
四つ目は「人間合格」。
最後が、「道元の冒険」。

もちろん”笑い”は他にも沢山あるし、違う舞台も思い浮びます。
でも、思いついた5つのうち3つが井上作品なのに我ながらちょっとびっくり。
もし”涙”で同じようなことを考えたとしても、
井上作品はいくつか入るんじゃないなあ、と思います。

複雑なのに何故かシンプルな印象があって、
何かを受け取ったはずなのにそれを言葉にすることができない。
私にとってとても難しい難しい井上作品。
「道元の冒険」も、やっぱりとても難しくて・・・でも、だからこそ心惹かれるお芝居でした。


「道元の冒険」

2008.7.12 ソワレ シアターコクーン 2階B列1桁台
2008.7.13 マチネ シアターコクーン 1階J列20番台

作:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
音楽:伊藤ヨタロウ
出演:阿部寛、栗山千明、北村有起哉、横山めぐみ、高橋洋、大石継太、片岡サチ、池谷のぶえ、
    神保共子、木場勝己、手塚秀彰、茂手木桜子、金子文、赤石伸一


日本曹洞宗の開祖、道元を主題としたこの舞台は、
重なり合い、絡み合う幾つもの時空で成り立っていました。

一つは、1243年、開山7年目の記念日を迎えた宝林寺。
一つは、その寺で道元の弟子たちが、開山記念の余興に演じる「師・道元の半生記」。
一つは、逮捕され精神鑑定を受けている新興宗教の教祖の男が生きる「現代」。
そして、物語のオチになる、最後の時空。

そのどれもが、時にくっきりとした境界を描き、
時に不透明に交じり合い、
時に同じ空間で並び立ち、
時に全てを支配する・・・

正直、私には道元と男が夢で繋がれている意味も、最後のオチの意味も、
そして井上さんや蜷川さんが描き出そうとしているテーマも、
たぶん半分も受け取ることができませんでした。
だって、道元が生きる”現実”の宝林寺と、そこで演じられる劇中劇だけでも、
もう私のキャパには大きすぎるぐらいだったんですもの!
最初からハイスピードで(最初の「波羅蜜多ソング」は歌も歌詞も振り付けもめちゃくちゃ印象的!)、
更にどんどんテンションを上げていく怒涛の井上語に、怒涛の歌に、怒涛の演出!!
シリアスな部分と笑いの部分の境界が薄皮一枚、という感じで、
繰り広げられる光景や聞こえてくる言葉に、
とにかく反射的に反応していかないと、どんどん置いていかれちゃいそうだったんです。

様々なテイストの沢山の歌と、くるくると早替りする役者さんたちが、
光と闇とを上手く使い分けたシンプルな舞台の上で”過去”と彼らが生きる”今”。
そして、下手でじっと座しながら、自らの半生を見つめ続ける道元(阿部寛)。
1幕中盤から2幕の最後まで、道元はひたすらに坐していました。
けれど、一人静かに坐しながら、彼は弟子たちとともに、もう一度自分の生を生きていた。

禅僧二(栗山千明)が演じる少年道元が、母の死をきっかけに仏門に入り、
仏教への真摯な気持ちをはぐらかされ打ち砕かれていく時には、
道元の手は、その苛立ちをあらわすかのようにイライラと動いていた。
そして、正師を求めて旅立とうとする少年道元と共に、
彼は立ち、そして未来をまっすぐに見つめていた。

義介(北村有起哉)が演じる青年道元が、
一人渡った宋の国で真の師と如浄(懐奘(木場勝己)扮する)と出会い、
彼との面授の中で悟りへとたどり着くその時には、
道元の瞳は明らかな歓喜に輝いていた。

義尹(高橋洋)が演じる壮年道元が、
書き上げたばかりの「正法眼蔵」を懐奘を相手に読み上げるくだりでは、
道元はその時の抑えきれない熱い想いと同じくらい大きな不安を共に追体験し、
壮年道元が同門である親鸞や日蓮と「天台大学校歌」を歌い上げる時には、
明るい笑顔で共に歌っていた。

それはたぶん、ただひたすらに仏道を歩もうとしながら、
比叡山や朝廷、幕府などの外野に煩わされ、
何かを見失っていた道元が自分自身を見つけなおすための”冒険”だった。
だから、余興が終った瞬間に、彼は生まれ変わったかのような笑顔を見せていて、
だからこそ、その直後に突きつけられた現実―――叡山との対立や幕府や朝廷の横槍に、
その現実に膝を屈してしまいそうな自分自身にもう一度絶望し、
そして、その原因であると彼が信じた「夢の中の男」との対決へと進んでいく。

この舞台では、その対決は思いもよらない結末にたどり着くのだけれど、
パンフの年表によれば実際の道元も、
この年に宝林寺を離れて越前に入山し、永平寺を立ち上げるという転換期を迎えています。
歴史的なこと、仏教的なことは私は全然わからないのだけど、
自分が歩んできた時間をもう一度見つめなおして、
自分を追い詰める何かと真正面から闘って、
自分の積み上げてきた何かを壊すことも躊躇わずに、次の時空へ進んでいく・・・
1243年という年は、道元にとって、そういう瞬間だったでしょうか。
道元と夢で繋がった「男」が生きている時間も、その瞬間だったのかな。
そして、最後のオチで現れた「道元たち」は、
その瞬間から抜け出すことの出来ない人たちなのかもしれない。
そんな風に、感じました。
でも、これってきっと、井上さんや蜷川さんの意図とは違うんだろうなー(笑)。

つらつらと考えながら打っていたら、時間切れになってしまいました・・・
役者さん編(=ミーハー編/笑)は次の記事で!
書きたいこと、いっぱいありますよー(笑)。
もう、みなさんめちゃくちゃ個性的なんですから。
坊主頭でも、きちんと全員区別できたし、もちろん洋さんはきちんと目立ってましたとも!
暴走しすぎないように、ちょっと(だけ?/笑)気をつけて書きたいと思いますv

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09/01/25 「禅 ZEN」の勘太郎の道元は立派だった
{/hiyo_uru/} 道元ものと言えば、ヤフオクで絶版本をGETして読んだ上で観たのに感想がなんともまとまらず感想未アップの「道元の冒険」。 昨年の平成中村座近くに特設の「浅草奥山風景」の中村屋の店でチラシを手に入れて楽しみにしていた勘太郎主演の映画「禅 ZEN」でリベンジをはかる。 {/hiyo_do/} cinemacafe.netの「禅 ZEN」のページはこちら 以下、そのページよりあらすじを引用。 「750年前の乱世の鎌倉時代。困窮する人々や戦で滅ぼされた怨霊におびえる時の権力者の... ...続きを見る
ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記
2009/01/27 23:44

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時

「道元の冒険」は感想未アップのままですが、映画の方も観てきてそちらの感想をアップしたので道元つながりでTBさせていただきましたm(_ _)m
この映画を観て道元の一生を概観できたので「道元の冒険」をもう一度観るとより深く味わえるような気がします。
今度の土曜日には蜷川シェイクスピア「冬物語」観てきます。楽しみです。
ぴかちゅう
2009/01/27 23:53
ぴかちゅうさん、こんばんは!
コメントとTBありがとうございます。
映画の「道元」、とても気になっていたのですが、
ぴかちゅうさんはもうご覧になったんですね。
これから感想を読ませていただきに行きます!
「冬物語」いかがでしたか?
こちらの感想もお待ちしておりますね。
恭穂
2009/02/01 18:26

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