瓔珞の音

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zoom RSS 鎖骨の記憶

<<   作成日時 : 2009/03/03 21:49   >>

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春の淡雪、というには、どうにも気合の入った雪が降っています。
今年は暖冬、ということですが、雪は結構降りましたよね?
とりあえず、明日の朝は早起きしないとです。
職場までの山道、凍ってないと良いなあ・・・(切実)

さて、では、ちょこっと観劇記録を。
野田さんの舞台は、やっぱり私の本能に訴えてくる部分が多くて、
まともな記録にはならないかもしれませんが・・・(と最初に謝っておく/笑)


野田地図 第14回公演
「パイパー」

2009.1.17 ソワレ シアターコクーン 1階O列10番台
2009.2.28 マチネ シアターコクーン 1階O列10番台

出演:松たか子、宮沢りえ、橋爪功、大倉孝二、北村有起哉、野田秀樹、田中哲司、小松和重、佐藤江梨子、
    コンドルズ(近藤良平、藤田善宏、山本光二郎、鎌倉道彦、橋爪利博、オクダサトシ) 他


幸運にも、私はこの舞台を2回観ることができました。
偶然にも、どちらもほぼ同じ席、ちょっと後ろだけど、舞台の真正面。

初回は、描き出される容赦のない物語と、
劇中での時間旅行の時に流れていく数字のような怒涛の言葉遊びと、
”そこ”に生きる彼らのエネルギーと、
そして、突きつけられた”現実”に翻弄されて、
ただただ、凄いものを観た!という気持ちになりました。

もろもろでその時の感情を記録できないまま、
戯曲を読み、舞台を思い返し、宮沢りえさんのニュースを知り、そして臨んだ千秋楽。

この舞台は、あくまで二人の女優のための舞台だったのだと、何故か強く感じました。


舞台は、火星。
今、舞台を見つめる私たちが存在する時間から、ちょうど1000年後の火星。
初めて地球人から火星人(火星に降り立った人)が生まれてから、900年後の火星。
何らかの理由で荒廃した、火星。
火星人の幸せを守るために創られた”パイパー”たちが、踊るように死体を持ち去る、火星。
食べ物も、水も、空気も、もう使い尽くすしかない、追い詰められた、火星。

そんな火星の”ストア”に住むダイモス(松たか子)が、
男と一緒にストアを出て行ったはずのフォボス(宮沢りえ)を呼び戻し、再会する時から物語は始まります。
父・ワタナベ(橋爪功)が連れてきて、所帯を持つと言い出した若い女・マトリョーシカ(佐藤江梨子)。
そして、彼女の幼い息子・キム(大倉孝二)。
記憶の天才であるキムに、ワタナベは大きな箱に入れられた沢山の赤いおはじきを見せます。
そのおはじきは、火星人が生まれたときに鎖骨に埋められるもの。
その人が見たものを記憶し、それを鎖骨にあてることで他者の記憶を見ることができるもの。
―――火星の、歴史を示すもの。
その存在すら知らなかったダイモスは、一つのおはじきを鎖骨にあてます。
それは、900年前、地球人が火星に降り立った瞬間の”記憶”でした。
今とは全く違う、明るい希望に溢れた火星。
彼らの頭上に大きくきらめく”パイパー値”―――彼らの幸せを示す数字。

少しずつ彼らが火星に馴染み、
少しずつパイパー値が増える中、
少しずつ膨らんでいく暴力と諍いの種。
少しずつずれていく、”命”の捉え方。
少しずつ戸惑い、狂っていくパイパーたち。

自分が生きる900年後の火星。
何故”今の火星”がこうなのか、まったく知らないダイモス。
何かを知りながら、決してそれを言おうとしないフォボス。
無作為な様子で、けれど慎重に記憶させるおはじきを選んでいくワタナベ。
ある時ダイモスが助けた男がもたらした、失われたはずの火星の中世期のおはじき。
そして、ダイモスの胎内に宿った、新しい命。
行き止まりの火星に、滅びを待つだけの火星に新しい命は必要ないというフォボスと、
ダイモスは激しくぶつかり合います。
そんなダイモスにフォボスが渡したのは、彼女たちの母親のおはじき。
彼女が見た、フォボスが見た、ワタナベが見た、30年前の、あの日の火星―――

”何も知らない”ダイモスがいたからこそ、成り立っていた彼らの時間は、
そこから否応無しに動き出します。
いえ、それ以前から、彼らの時間は動いていた。

行き止まりの火星で、それでも何かを探して旅立つ者。
ワタナベが捨て去ろうとした歴史を受け止め、それでも生きていこうとする者。
希望などないはずの火星で、ただひたすらに一つの希望を待ち続けた者。
そして、何もかもが使い尽くされるだけの火星で咲いた、黄色い花。
900年前に蒔かれた種が、時を経て、世代を経て、不毛の時代を経て見せた姿。
赤い大地の、青い夕焼け空の下で、真っ直ぐに咲いた希望の色。


久々に恭穂的意訳をしたら、こんな風になりました。
解かりにくくてすみません・・・というか、私自身があんまりこの物語を理解していないのかも。
パイパー値とか、死者のおはじきとか、命の解釈とか、
もっとつっこんで考えたい部分も沢山あるのですが、ひとまずは役者さんのことを!

最初にも書きましたが、とにかく松たか子さんと宮沢りえさんが最高でした。
母と旅したときに目にした全てを、そして母の最期の願いをただ自分の中にしまいこんだ、姉。
何も知らず、何も記録せず、臆病だからこそ時に大胆に生きていく、妹。
姉は妹のまっさらな部分を愛して、憎んで、守って、そうして生きてきた。
妹は、何も知らない自分に不安を抱き、けれど飛び出すきっかけを得られないまま自由な姉と対峙する。
そして、母のおはじきを見るときには、フォボスは4歳のフォボスになり、
ダイモスはその母となって、火星が独りきりになったあの日を彷徨う。

二人のシーンはどれも印象的だったのですが、
特に胸に迫ったのは、やはり母のおはじきのシーン。
衣装もなにも変わらないのに、フォボスは幼い少女でしかなく、
ダイモスは、”母”でしかなかった。
自分の知らないところで、自分の幸せが決められていた―――その無力感。
一見脈絡のない言葉の羅列で紡がれる、荒廃した火星の都市。
役に立たないから、壊されもせずにそこに佇む陶器の置物。
その置物と、自分たちはどれだけ違うというのか・・・?
淡々と紡がれるその言葉の渦に、2回目の時は、涙を止めることができませんでした。
その涙の理由は、たぶん恐怖だった。
そう、思います。

パイパーの脅威に怯えるフォボスが、おはじきを揺らすことで海の音を聞くシーンも好き。
あの一瞬、フォボスの思いはたぶん4歳の時の、あの母との彷徨の日々へと飛んでいた。
あるいは、愛する男が見ているかもしれない海を思い描いていたのかもしれない。
幼く無心で、優しく柔らかな、あの表情。
あの、短く静かなシーンが、私にとってはフォボスの象徴のように思えました。

そして、最後のシーン。
待ち続けた男を迎えに行く瞬間の、あのまっさらで明るい笑顔!
母との彷徨の記憶を、生きるために口にしたあの肉の感触を、
噛み下し、飲み込むことのできないまま、30年を生きてきたダフォボス。
愛した男の背中を、ただ見送り、そして待ち続けたフォボス。
全てをさらけ出し、全てを吐き出し、そして全てを飲み込んだ彼女が、未来へと向ける笑顔。
それこそが、この世界の希望だと、そう素直に思えるような素敵な笑顔でした。

うん。
役者・宮沢りえが、私はとても好きです。
長丁場の舞台に、その声は少し枯れていたけれど、
彼女の表情が、仕草が、視線が、指先が紡ぎだしたフォボスの”存在”は、
たぶんあの舞台の根っこだったのだと、そう思います。


そして、松たか子さんも。
本当の姉妹のような、本当の親子のような二人の間の空気は、
適度な緊張感に満たされて、舞台を引っ張っていました。
いつかまた、この二人の共演が見れるといいなあ・・・
まずは、りえさんの無事のご出産を祈念いたしますv


もちろん、他の出演者さんたちが物語をさせていたのも確か。
野田さんは、相変わらずのあの声と動きが、やっぱり独特の雰囲気だったし、
橋爪さんは、飄々とした佇まいの中に、ワタナベの抱える暗い闇が見えた。
大倉さんのキムは、”あの日”の後に生まれた火星人としての、何か飛び越えたものが感じられた。
・・・それは、佐藤さんのマトリョーシカも同じかな?(笑)
北村さんのビオランは、最初から最後までアウトサイダー。なんだか妙に(?)かっこよかったです。
田中さんのガウイと小松さんのフィシコは、微妙に影が薄かったように思うのですが(え)、
それって、この物語の中で真っ当な人だったからかも?
そして、コンドルズのパイパー。
ラピュタに出てくるロボット(正式名称解かりません・・・)みたいな雰囲気でした。
あの動きだけで、優しさとか恐怖とか、いろんな感情を見せられるのって凄いなあ・・・
そういえば、近藤さんって「The Bee」にも出てらっしゃいましたね。
コンドルズの舞台も、いつか是非見てみたいです。


なんだかつらつらといろいろ書いてしまいました。
単純に面白いともいえず、クリアなメッセージを受け取れたとも言えず、
実は私の口の中でまだ噛み砕けずにいる物語なので、
それが久々の長文に通じているかも・・・?
設定的には突っ込みたいところもかなりあったんですが、
まあ、そういうかっちりとしたSFではないからいいのだろう、うん。
でも、一個だけ、ちょっと疑問を。

それは、”おはじき”の存在。

脳ではなく、鎖骨に埋め込まれた記憶のおはじき。
それには、埋め込まれた人の感情は全く入り込んでいないのかな?
清水玲子さんの「秘密」という漫画で、死者の脳を解析して、
その死の直前に見たものから捜査をすすめる、というものがあります(名作です!お薦め!!)。

人の脳は、見たいものだけ見る。
見たくないものは、見えない。
好ましいものは美しく、嫌いなものは汚らわしく見える。
それは、人に感情があるから。

それなら、おはじきに記録された記憶も、その”誰か”の感情の影響を受けてもおかしくないのでは?
だとしたら、それは”歴史”ではあるかもしれないけど”事実”ではないはず。
同じものを見ても、見る人毎に受け取り方が違うなら、おはじきの記録も違ってしまうのでは・・・?
だから、ワタナベは選んでいたのかな・・・
それとも、骨伝導だから、感情は入らないのか?!

この舞台をご覧になったほかの方々が、その辺をどう解釈されたのかとても気になります。

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