瓔珞の音

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zoom RSS 笑いの向こうにある何か

<<   作成日時 : 2009/03/14 23:15   >>

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”信念”というものがありますか?
それを生きるよすがとするような、そんな強い”信念”。
それを奪われてしまったら、世界が変わってしまうような恐怖を覚えるほどの”信念”。

先週観てきた「ムサシ」は、そんな”信念”の物語だったのかもしれません。
いや、もしかしたら”信念を打ち砕く”物語。

見終わった直後は見所満載な舞台に満足して、笑い疲れて帰ってきたのですが、
1週間たった今になって、そんな風に思えてきました。

というわけで、観劇記録です。
が、この舞台も、たぶん予備知識無しで行った方が、絶対衝撃的(?)だし楽しめると思うの。
私の記録はネタばれ必至ですので、ご注意くださいね。



「ムサシ」

2009.3.7 ソワレ さいたま芸術劇場 1階O列10番台

脚本:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
出演:藤原竜也、小栗旬、鈴木杏、辻萬長、吉田鋼太郎、白石加代子、大石継太、塚本幸男、高橋努、
    堀文明、井面猛志



物語は、舟島の果し合いのシーンをプロローグに始まりました。
赤い大きな夕陽を背後にした武蔵(藤原竜也)と小次郎(小栗旬)の気迫溢れるにらみ合いに、
一気に舞台に集中。
そして、暗転のあと、仄かに明るい月夜のような暗い舞台の上で、、
幾つかの竹林と建物が、ゆっくりと交差するように移動し(人力で!)、
6年後の夏、宝蓮寺に場面は移っていきます。

この場面転換が、個人的にはとても好みでした。
緩やかで複雑なその動きが、6年という月日移り変わりを、静かに語っていたように思います。
というかこの舞台、照明もとても素敵だったのです!
夜のシーンで、建物の背後に茂る竹林から舞台に向けられた白い光が描く竹の影が、
舞台に繊細な陰影を付けて、月の光の中にいるような錯覚に陥りました。
昼間の夏の光に照らされた鮮やかな緑も印象的だったし、
夕暮れの低い位置から差し込む朱い光も綺麗でしたv

で、そんな静謐さ溢れる舞台セットで繰り広げられた物語は、

めちゃくちゃ笑いに溢れていました!!

最初は笑える舞台なのかどうか良くわからなくて、ひたすら真面目に観ていたのですが、
一度爆笑しちゃうと、後はもう何もかもが可笑しくなっちゃって・・・(え)
というか、中盤あたりまでは、ひたすらコントの世界だったように思います。
件の5人6脚はその最たるもの!!
たっちゃん、辻さん叩いちゃって大丈夫なの?!とか、
大石さん、小栗くんに懐きすぎ!!とか、
吉田さん、本気でどつかれてる!!とか、
もう、一個一個の動きが笑えてしまって・・・涙流して笑っちゃいました。
でも、あの状況で、若干破綻しながらも(というか破綻も演出のうち?)、
寝ぼけている演技を続けたり、怒鳴りあって喧嘩している演技を台詞を飛ばさず出来るのって凄いと思う・・・
足を痛めちゃわないか、ちょっと本気で心配しちゃいましたけどねー。

更には、柳生宗矩な吉田さんの能の舞や謡があったり、
まい役の白石さんと乙女役の杏ちゃんの狂言があったり、
剣の足裁きの練習がいきなりタンゴ(かな)になっちゃったり・・・
芸達者な役者さんたちばかりだったので、盛りだくさんに楽しめちゃいましたv
特にまいと乙女の狂言は、それだけでも見ごたえあり!でした。
実際に野村万斎さんに指導していただいた、ということですが、
声の出し方とか所作の一つ一つが、しっかり狂言だったように思います。
あれ? そう考えると、宝蓮寺の作りも能舞台に似ていたかも?

主演の二人も、それぞれの魅力を目一杯発揮していたように思います。

藤原竜也さんの宮本武蔵は、常に沈着冷静、
でもって、何事も斜めに見る、というか、信じることをセーブしているような雰囲気がありました。
そして、小栗旬さん演じる佐々木小次郎は、良く言えば素直で感情豊か、
穿った見方をすれば子供のまま大きくなってしまったような印象。
そんな鮮やかな対比を見せる二人の共通点は、
剣の腕でのみ、自分の存在意義を確立しているということでした。

小さいころから剣術に自身のあった二人。
剣で日本一である、ということこそが自分の目指すものであるという二人。
そのためには、人を殺めることも、自らの命を落とすことさえもやむを得ないという二人。

そんな二人には、決闘をやめるようにという周囲の人たちの必死の説得も届きません。
それどころか、まいが小次郎の母であり、父は皇族である、という話(これは無理があるよねー/笑)
の嘘を見破った武蔵と、騙されたことを知った小次郎は、
彼らの行動の一つ一つを疑い、そして、彼らのいない隙に決闘を敢行しようとします。
それまでの時間で、互いを見直し、互いを認めるようになっていたとしても、この決闘はやらなければならない。

それこそが二人の存在意義、そして”信念”なのだから―――

けれど、舟島の時と同じように対峙した二人を阻むように、
それまでの3日間をともに過ごした人々が一気に二人を取り囲みます。
彼らは、何故かみな死装束。
その彼らを、二人は躊躇いもなく切り捨てていきます。
だって、彼らは、二人の”信念”を阻む者たちなのだから。
けれど、彼らは切っても切っても、二人に向かってくる・・・
終わりのない切りあいのさなか、怒りが戸惑いと恐怖と疲れに置き換わるころ、
二人はいつの間にか信頼する仲間のように背中合わせに闘っていました。
そんな二人を死者たちは取り囲み、そして語ります。

彼らはみな、死して後に初めて命を粗末にしたことを悔やみ、
その思いを生きている人たちに伝えようとしてこれまで果たすことが出来なかったこと。
決闘をしようとする二人にこそその思いを伝えようと、
実際の人物に化けて、一世一代の芝居をしたのだということを。

彼らの告白と、そして懇願に押し切られるように、武蔵と小次郎は剣を鞘に収めます。
それを見て満足そうに、一人、また一人と闇の奥へと消えていく彼ら―――

そして、夏の光溢れる寺の境内に残された、二人。
それまで拠り所としていた信念を、ある意味否定され、覆された、二人は、
なんだか全てを吸い取られた後のような、虚脱した表情をしていたように思います。
無言で寺に戻り、旅支度を整える二人。
もくもくと、その動作を続ける二人の間の空気は、もちろんそれ以前とは異なっていた。
けれど、それ以外は何も変わってはいなかった。

夏の陽射しは清冽に強く、
蝉の声は生命力に溢れ、
風に揺れる竹の緑は鮮やかに、
そして、自らの命を賭けて示さなくても、自分たちの血は通い、自らの足で立ち、存在している―――

そのことを、旅立つ二人はきっと感じていた。

これは、もしかしたら私の誤解なのかもしれないけれど、
それに思い至るまでに、ちょっと時間はかかってしまったけれど、
井上さんが伝えたかったのは、このことなのかな、と思った。
二人が死者たちと戦っているとき、銃を連射するような音が聞こえました。
それは、たぶん今も続いている戦争への連想。

このとき、二人はきっと自分の”信念”を守るために戦っていた。
自分たちの”信念”を危うくするものたちだから、躊躇いもせずに切り捨てた。
けれど、その”信念”は本当に人を、自分を、傷つけ殺めてまで守るべきものなのか?
その”信念”を守らなければ、世界は、自分は変わってしまうものなのか?
”命”以上に大切なものはあるのだろうか―――?

なんだか私の言葉だと全然重みがないけれど、
そういう問いかけと、そして一つの答えが、このラストシーンにはあったのかも知れません。
そう考えると、死者たちが二人を留めるためにした話も、説法も、提案も、
みんなそんなメッセージが込められていたように思うのです。
観てる最中と観た直後は笑いに紛れてしまって、
正直何かを掴み損ねた感が強くて、後からプログラムを読んだり舞台を思い返したりして・・・
そんな後付の感想だから的外れかもしれないけど、
私はそう感じたし、そう受け止めました。


う〜ん、やっぱりちょっとピントがぼけてるなあ・・・
笑いすぎたのが敗因かもしれませんが、この舞台は思いっきり笑ったほうが楽しめると思うし。
もう一回観たいなあ、と思う舞台が多くなったのは、
リピーター体質になったからなのか、私の記憶力集中力の問題なのか・・・
どちらにしても問題です(笑)。

最後に役者さんについてちょこっとずつ。

乙女を演じ、且つこの芝居を書いたという死者役の鈴木杏ちゃん。
舞台で観るのは久々なのですが、元気一杯で可愛らしかったですv
一生懸命な感じは、きっと役柄の上でもあり、素でもあったんだろうな。
直接的に、二人に憎しみの連鎖を断つことを示す乙女は、
この舞台の中でも大きなメッセージ性を持っていると思うのですが、
特に、戯曲を酷評され失意のうちにいつの間にか水の底に沈んでいた時に彼女が思った、
「生きていれば、もっと良いものが書けたのに」ということば。
これは、もしかしたら井上さんが若いころに自分に言い聞かせてたことばなのかも知れないなあ、と思いました。

まいを演じたもと白拍子な死者役の白石加代子さん。
天晴れな存在感と芸でした!
あのパワーはほんとに凄いとおもう・・・
上で書いた狂言もですが、小次郎をはじめみんなを翻弄する「まいの半生記」は、
何かがおかしい・・・と思いながらも、思わず説得されちゃいそうになりました(笑)。

柳生宗矩を演じた死者役の吉田鋼太郎さん。
微妙に挙動不審な感じが、実は伏線だったのかなあ・・・と深読み中(笑)。
能の謡はさすが!な美声で、一曲演じていただきたかったですv

沢庵和尚を演じた死者役の辻萬長さん。
たっちゃんに叩かれても叩かれても向かっていく姿が印象的でした(え)。
袈裟姿もお似合いで、この方の説法や読経を効いてみたくなりましたv

平心を演じた実は鏡職人だった死者役の大石継太さん。
この方の声は、やっぱり私には癒し系ですv
辻さんの沢庵和尚とはまた違った、味のある説法をしてくれそう。
物語の導入で、登場人物を説明する役割もあるのですが、
最初に笑いをとってくださったのも大石さんでした。
小次郎への絡みっぷりが半端なくて、この二人の掛け合いをもっと観てみたかったです(笑)。
「冬物語」千秋楽直後のこの大役、本当にお疲れ様でした。

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タイトル (本文) ブログ名/日時
09/04/19 井上ひさし×蜷川幸雄「ムサシ」・・・死者の思いの上に生きる
{/v/} 井上ひさしの書き下ろし作品に蜷川幸雄が初めて取り組んだ画期的公演「ムサシ」についてなかなか記事が書けないできた。遅ればせながらアップしておきたい。 宮本武蔵と佐々木小次郎のいわゆる巌流島の決闘のその後の物語だという。 主なキャストは以下の通り。 藤原竜也=宮本武蔵 小栗旬=佐々木小次郎 辻萬長=沢庵宗彭 吉田鋼太郎=柳生宗矩 白石加代子=木屋まい 鈴木杏=筆屋乙女 大石継太=平心  早くもWikipediaに「ムサシ」の項ができているので、あらすじ等はそちらを参照していただき... ...続きを見る
ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記
2009/05/12 08:19
どんなにつらい1日でも
“復讐の連鎖”というテーマは、これまで蜷川さんはもちろん、野田秀樹さんやその他にも数々のお芝居で採り上げられてきました。「ムサシ」という、剣豪・宮本武蔵を主役とするのこの舞台が、そんなストレートなメッセージを伝えようとしていたなんて。 「ムサシ」 脚本: .. ...続きを見る
地獄ごくらくdiary
2009/05/17 06:37

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内 容 ニックネーム/日時

さい芸千穐楽に観てからなかなか記事アップできずにいましたが、戯曲をGW中に読んで反芻し昨晩ようやく書けたのでTBさせていただきました。ちゃんと書き上げたと思ったら誤操作で中間稿にずいぶん手を入れた段階でそれを消してしまい、もう一度意地になって完成させ寝不足気味です(^^ゞ
幽霊がこんなにたくさん積極的に主張するという作品は演劇だからこそここまでのインパクトがあるのだと思いました。まさに「死者の思い」にこそ井上さんの言いたいこと=遺言がこもっていました。
ぴかちゅう
2009/05/12 08:26
ぴかちゅうさん、こんばんは!
書いているものが途中で消えちゃうと、
凄いショックですよねー。
でも、書き上げてくださって、とても嬉しいですv
これから読ませていただきにお邪魔しますね。
井上さんの想い、上手く受け止め切れなかった気もしますが、
とても胸に迫りました。
いい舞台でしたね。
恭穂
2009/05/13 21:25
恭穂さま
「復讐の連鎖」とか「命の大切さ」とか、それぞれの心に
響くものは違うかもしれないけれど、ちゃんとメッセージが
伝わってくる、力のある舞台でした。

冒頭の場面転換、とてもよかったですね。
笹の色や月や、いろんなものがシンプルなのにとても美しく
印象に残る舞台でもありました。
それに、あの死者たちの場面での銃の連射音。
私もそう聞こえてたもののちょっと自信なかったのですが
恭穂さんのレポ読ませていただいて納得しました。
スキップ
2009/05/17 06:36
スキップさん、こんばんは!
力のある舞台・・・ほんとにその通りですね。
私自身は笑いすぎて、
大切なメッセージを受け取りそこねた感もあるので、
戯曲を読み直しつつ、DVD化を待ちたいな、と思います。
でも、あの冒頭と場面転換は、
あの空間でゆっくり動く空気も感じてが一番ですけどねv
恭穂
2009/05/17 19:33

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