瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2009/07/22 22:39   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 1 / コメント 2

今日の日食、ご覧になられた方はいますか?
関東近辺は部分日食でしたし、天気も悪かったですから、
気づいたときにはもう日食の時間は過ぎてしまっていました。
というか、それ以前に仕事中です(笑)。
それでも、もし晴れていたら、5円玉を持って外に出てみようかなあ、と思っていました。
地面にできる5円玉の影の、穴の部分が日食の形になるんですよね。

子供の頃、日食の時には木漏れ日の一つ一つが欠けた形になるのだと知った時、
そのイメージの神秘的さに、ちょっと呆然としました。
実際にはそんなにクリアには見えないのでしょうけれど・・・

眩く完璧に見える光の、歪に欠けた真の姿。
太陽と月の刹那の邂逅。

コクーン歌舞伎「桜姫」は、そんな日蝕のような物語でした。



コクーン歌舞伎「桜姫」

2009.7.10 夜の部 シアターコクーン Z−20番台

作:四世 鶴屋南北
演出:串田和美
出演:中村勘三郎、中村橋之助、中村七之助、笹野高史、片岡亀蔵、坂東彌十郎、中村扇雀 他


先月の現代版に引き続き、またまた最前列での観劇となりました。
セットや照明、効果などを観るのには、やっぱりもっと後ろの方が良かったなあ、とは思いますが、
歌舞伎を、こんなにも近くで観たことはなかったので、
役者さんの細かな表情の変化や演技を見ることができたのは、やっぱりラッキーだったかなあ、とも(笑)。
というのも、あの七之助さんの絶品な桜姫を間近に見ることができたのですから!!

舞台は、勘三郎さん演じる清玄と、七之助さん演じる白菊の心中の場面から始まります。
客電が消えて真っ暗になったあと、特設ベンチ席の中央の通路に、いきなり二人が!!
細い三日月を背景に、思いつめた二人の心中の場面が描かれて、とても美しいシーンでした。
その時の、たおやかなのに思い切りのいい(笑)白菊も素敵でしたが、その後!
寺の場面での桜姫の登場には、余りの美しさにちょっと息を呑んでしまいました。
もうね、とにかく綺麗だったんですよ!!
それも、浮世離れした感じの、ちょっと危うい美しさ。

いい家の、純真なお姫様の美しさとはちょっと違う。
このシーン、父や弟を殺され、許婚にも見捨てられ、
もはや出家するしかないという、切羽詰った危機的状況であるはずで、
もちろんその悲嘆も見えるのだけれど・・・
でも、なんだかそういった現のしがらみを、薄紙を挟んで見ているような不思議な目。
ここにいるのに、どこか違う次元を漂うような、不確かさ。
完璧なまでに美しいのに、どこかに欠けた部分のあるような不安定さ。
そんな掴みきれない危うさを、何故か出の瞬間からこの姫に感じました。

そして、観終わった後、この桜姫の危うさこそが、この物語の軸なのだ、とも思いました。

桜姫のシーンは、どこもとても見ごたえがありました。
その不可解な美しさで一瞬で観客を魅了した出のシーン。
桜姫が白菊の生まれ変わりであることを知った清玄の呟きへの問いかけ。
突然目の前に現れた男が、かつて自分を犯し、けれど今なお恋焦がれた男であると気づいたときの戸惑い。
そして、その直後の全てを振り捨てるような権助との逢瀬。
突然の清玄の豹変(だと思う)への拒絶と哀願。
風鈴お姫となった後の、低い声音と蓮っ葉な物言いに隠れた諦念と純真さ。
そのどれもがとても魅力的で・・・

けれど、一番印象に残ったのは、1幕の最後。
我が子を求める桜姫と、
その赤子を抱きつつ、桜姫を求め続ける清玄の一瞬の邂逅―――すれ違いのシーンでした。
声を聞き、薬を渡したことからも、二人は同じ次元にいるはず。
なのに、その存在は決して交わることはない。
いや、もしかしたら、二人は全然別の場所にいるのだろうか。
その物理的な距離を越えて、精神だけが近づき、そしてすれ違っているのだろうか・・・?
物語の突飛さとは裏腹に、写実的なその他のシーンの中で、
このシーンの幻想的な雰囲気はとても儚くて、
そして桜姫の、やはりどこか違う場所を見ているような、
けれどとても生々しい表情が、なんだかとても切なくて・・・出のシーンとは違う意味で息を呑んでしまいました。

そもそも、清玄と桜姫の関係って、どうあっても交わらないんですよね。
清玄がそれまでの自分をどれだけ思い切って、かつての思い人であったはずの桜姫を守ろうとしても、
その記憶のない彼女にとっては、彼の唐突な行動はまったく理解できなかったと思う。
けれど、桜姫がそう感じていることを、”桜姫”自身を見ていない清玄には理解できなくて・・・
その想いがどれだけ真摯で強いものであったとしても、
その思いの行き先の次元がそもそもずれているのだから、もうどうしようもないかと。

そんな二人の乱闘(?)のシーンは、一つ一つの形がとても美しくて、
なのにもの凄く凄絶な感じがして、かなり衝撃的でした。
清玄のどこかいっちゃったような視線とか、けっこう怖かったです。
これは桜姫も必死で応戦するって!と思ってしまった。
姫が経典(かな?)を沢山投げつけて、その一つが清玄の身体に巻きついて、
姫の手元から蛇腹みたいに流れ落ちる型、綺麗だったなあ・・・
あと、斜めの角度から海老反りを見たのは初めてだったのですが、それも凄く綺麗でした。
思わず自然に拍手しちゃったもの!
それにしても、勘三郎さんの清玄、幽霊になってからの方が生き生きして見えたのは私の気のせいですか?(笑)


桜姫と権助との関係も、どこかベクトルがずれてる感じ。
橋之助さんの権助はとてもかっこよくって、強引なところも魅力なのだけど、
桜姫の扱い方とか執着とか、なんだか子供がおもちゃに執着するようにも見えました。
寄り添って、抱きしめあって、そして言葉を交わしていても、なんだかとてもしっくりこない感じ・・・
それでも、二人の、というか桜姫の方には確かに愛はあったんだろうな。

愛する夫が父の仇であることを知った時、彼女は権助をその手で殺します。
けれど、そこに至るまでの逡巡は、なんだか見ていて痛いほどだった。
何度も刀を振り上げて、何度も思いとどまって・・・
私の方からは桜姫の背中しか見えなかったけれど、あの時彼女はどんな顔をしていたんだろうか?
仇を殺し、そして仇の血を引く赤子を殺した後に、たぶん彼女は愛する夫と子供の後を追うつもりだった。
でも、夫は殺せても、我が子を殺すことはできなかった。
けれど、血に塗れた刀を片手に泣き伏す彼女は、
我が子のために自分の肉体を殺すことはやめても、
心を殺すことを止めることはできなかったんだろうなあ、と思う。

泣き伏す彼女を、もはや幽霊となった権助と清玄が見つめます。
すっとすれ違い、立ち止まり、少し振り返るようにして桜姫を見つめる二人。
2つの人生で、それぞれの男の生に深く関わった一つの魂。
その魂の死を、二人は穏やかな表情で見つめていた―――

現代版では、生と死のそれぞれを渇望する二人の男を優しく見つめたのはマリア(桜姫)=墓守でした。
歌舞伎版では、生と死に引き裂かれた一人の女を、既に命を亡くした二人の男が見つめていた。
二つの舞台はいろんな部分でリンクしていたけれど、
”命”というものを間においてのこのリンクの仕方は、私的にはとても好みだったように思います。

最後、家宝を取り戻し、我が子と共に家臣に囲まれる桜姫の腕の中から、
円く柔らかな灯りがゆっくりと宙へと昇っていきました。
それは、彼女が殺した、彼女の心―――魂だったのかな、と思う。
それに先立って天へと昇った二人の男―――自分が奪った二つの命の魂と共に、
彼女の魂も旅立っていった。
埋めることのできない確かな欠落を抱えて、けれどただひたすらに美しい桜姫。
そのぼんやりとした、やはりどこか違う世界に在るようなその風情は、
なんだかとても儚くて、とても哀しくて、やっぱり涙せずにはいられませんでした。


うーん、遠い記憶というかイメージのままに書いてたら、
なんだかわけのわからない文章になっちゃいました・・・すみません!!
最後にそのほかの役者さんについて少しずつ。

勘六役、笹野高史さん。
やはり狂言回してきな役柄だったのですが、
コクーンという空間と歌舞伎という世界を、
とてもスムーズに繋ぎ合わせていたなあ、と思います。
笹野さんがいることで、普段のコクーンとも違う、歌舞伎座で見る歌舞伎とも違う、
なんだか独特の空間が出来上がっていました。
でもって、笹野さんが出てくるとほっとすると同時に、
物語が大きく動くことが多いので、ふっと身構える感じがあるんですね。
その緊張感が心地よかったですv


扇雀さんの長浦と彌十郎さんの残月。
浮世離れした姫君と、浮世を捨て去っちゃった清玄とは対照的に、
あくまで世俗的で、したたかで、愛嬌があって、そして憎めないお二人でした。
二人とも微妙に詰めが甘いんですよねー(笑)。
二人の掛け合いのテンポや、ちょっとした台詞の遊びとか、楽しかったです。
最後、権助に騙されて身包みはがれて、しかも破れ傘で退場になるのですが、
その姿はとても情けなくて、なにもここまで・・・と思ったりもしましたが、
それでもこの二人は、ある意味真っ当に生きていくんだろうな、とも感じました。
現代版の二人がとても悲劇的だったので、なんだかちょっと嬉しかったですv

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タイトル (本文) ブログ名/日時
09/07/09 コクーン歌舞伎「桜姫」は七之助で極まり!
{/kaeru_en3/} 先月の現代劇版と2ヶ月連続企画としてまとめて捉えると先月のイライラは解消。 コクーン歌舞伎「桜姫」初日の簡単報告はこちら。 【桜姫】作・鶴屋南北 演出・串田和美 今回の主な配役は以下の通り。( )内は6月の現代劇版で相当する役名。 七之助=桜姫(マリア)・白菊丸 勘三郎=清玄(セルゲイ) 橋之助=権助(ゴンザレス) 彌十郎=残月(ココージオ) 扇雀=長浦(イヴァ) 亀蔵=入間悪五郎(イルモ・イルノルト) 笹野高史=墓守ほか7役、ほか あらすじは、[歌舞伎]All Ab... ...続きを見る
ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記
2009/07/23 01:15

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
今回は一回でTB成功してよかったです。
>円く柔らかな灯りがゆっくりと宙へと昇っていきました......それに気がつかなかったです。
>それに先立って天へと昇った二人の男―――自分が奪った二つの命の魂と共に、彼女の魂も旅立っていった.......ってやっぱり串田さんはそっちを追求したんですかね!なるほど鋭い指摘です。
私的には玉三郎・段治郎コンビで通常の歌舞伎で刷り込まれてしまった「桜姫」なので南北らしくシニカルにあっけらかんとした芝居になっている方が好みではあります。2005年版の踊り狂う桜姫の幕切れよりは今回の方がいいです。それと清玄と権助は無限地獄に落ちているという解釈なので姫の心までそっちに連れていって欲しくないかなぁというのが私の願望です(^^ゞ
ぴかちゅう
2009/07/23 01:27
ぴかちゅうさん、こんばんは!
お返事が遅くなってしまってすみません。

通常の歌舞伎版はあっけらかんとした感じなんですね。
私は今回のラストはとても好みだったのですが、
いつかそちらのバージョンも観てみたいな、と思います。

清玄と権助は無間地獄に落ちちゃうんですね・・・
この舞台、確か宙乗り、というか空に登ってましたよね?
なので、まったくそういうことは思いませんでした(汗)。
確かに、姫は巻き込まれただけでもあるので、
地獄に落ちてしまうのは可哀想かもですね。
恭穂
2009/07/27 21:42

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