瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2010/05/30 16:01   >>

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昨日、とうとう下北沢の駅に降り立ちました!
観劇にはまり始めてから、いつもチラシで目にする「下北沢」。
これで小劇場系にはまったら身の破滅だ、という思いと(笑)、
なんとなーく怖いところ、というイメージがあったので、これまで降り立つことはありませんでした。
そんな怖さを乗り越えてとった「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」は、見事当日キャンセル!(涙)
その後もこの舞台のチケットを確保することはできず、
でも夕方の観劇の前に何かもう一つ観たいなあ、と思って探していたとき目にしたのが、このお芝居でした。

初めて降り立った下北沢。
駅の中では、間近に青と黒の髪の毛で30cmぐらい身長の伸びた細っこい若者。
駅を出た途端に目が合ったキングコング(?)の着ぐるみ。
入った劇場はとても小さくて、最前列は座布団。
薄暗い客席を照らすオレンジの灯りに近寄っては離れる小さな羽虫。
小さく流れる映画の音。
セットの壁に書かれた落書き。
オレンジと緑の境界の橋。

私の日常にはない空間で、
たった二人の役者さんが描き出した物語。
こどもの元気と、純粋さと、残酷さと、ずるがしこさと哀しさ。
そして、彼らが視るおとなの世界―――彼らがいつか踏み込まなければならない世界。

とても、いいお芝居でした。



「モジョ ミキボー」

2010.5.29 マチネ 下北沢OFF・OFFシアター 3列一桁台

演出:鵜山仁
出演:浅野雅博、石橋徹郎


物語の舞台は、1970年北アイルランドの街・ベルファスト。
バスが燃えているように見える暑い暑い夏の日、二人の少年は出会いました。
モジョとミキボー。
ぱりっとした白いシャツを着て、ちょっと大人しいモジョと、
いつも何かに無謀な挑戦をし続けているような元気一杯のミキボー。
正反対の二人の間に育つ、理屈でない友情。
二人でする悪戯。
二人で観る映画。
二人で戦う敵。
二人で作る秘密基地。
二人で夢見る新しい世界。
けれど―――
ミキボーの父が、テロにより殺されることで、二人の間の大きな亀裂に、二人は直面します。
オレンジと緑。
プロテスタントとカトリック。
それまで、みなかった、いや、見えていなかった大人の事情。
個人の友情すら根本から覆してしまう、争い。
そして、無敵の相棒だった互いが、"敵"になってしまう瞬間。
その、絶望。
こどもであることの、おとなにになることへの、絶望―――

数年後、道を分かたれた二人は、町ですれ違います。
知らない人のように通り過ぎる二人。
けれど、その心の中には、二人が一番幸せだった、あの"秘密基地"での瞬間があった。
自分たちの選んだ敵に、
自分たちの力で立ち向かっていた、あの少年の日の瞬間が。


という、非常に重い物語を、二人の役者さんが、
モジョとミキボー、そして二人をとりかこむ人々を演じ分けて創り上げていました。
表情や声音、ちょっとした小道具で、ぱっと別の人物になってしまう見事さ。
その入れ替わりをきちんと舞台のスパイスにしていく巧みさ。
そして、その人物の背景すら垣間見せてくれる深さ。
もう、全然目を離すことができませんでした。
こういう役者さんの魅力と力量に魅了されるお芝居って、はまるとほんとに凄い!
大型のミュージカルを観た後と、同じくらいの充足感があります。

何が凄いって、二人を取り囲む人々の描き方が、あくまで"こどもの目線"であること。
呑んだくれながらオーストラリアの地を語るミキボーの父。
そんな父を最愛の人といい、明るく陽気なミキボーの母。
一人でダンスホールへ行き、何かの秘密を持つモジョの父。
その父との冷めた関係に疲れきったモジョの母。
こどもの目には不可解な二組の夫婦の関係。
おとなの目線に戻れば、その当時のベルファストの情勢を考えれば、
きっとこうだったんだろう、と想像することもできる。

怪物みたいに描かれる彼らの"二人の敵"も、それは彼らの目線だったから。
あの二人だって、きっと何かの"おとなの事情"に振り回されてる。
カウボーイを待ち続ける道に立つおねえさんたちも、
彼らの冒険に付き合ってくれたバスの運転手も、
みんなみんな"おとなの事情"を持っている。

けれど、二人の"こども"はそんなおとなの事情は知らない。
ミキボーの父親が呑んだくれる理由も、
モジョの父親がアイスクリームを食べさせてくれる理由も、
ミキボーの母親が夢見たいな物語を語る理由も、
モジョの母親が自分だけを連れておばさんの家に行く理由も、
少佐が篝火の番をする理由も、
懐中電灯の女がシドニーおじさんを誘惑する理由も、
ミキボーとモジョは知らない―――知らなくてもいい。
だって、二人はまだ"こども"なんだから。

なのに、その"こども"でいる時間は、唐突に奪われる。
自分で選ぶのではなく、"おとなの事情"で否応なく分かたれてしまう道。
自分の価値観ではなく、"おとなの事情"で与えられる敵。
その理不尽さへの疑問、怒り、哀しみ、そして絶望―――

ミキボーと父親の別れのシーンから最後までは、本当に胸が引き絞られるように痛かった。
視界が、すこしだけ涙で歪んだ。
それでも、目を離すことはできなかった。

ほんとうに、いいお芝居でした。
いろいろ書いたけど、なんかもうその一言に尽きる気がします。
今日が千秋楽というこのお芝居。
観た人全てが、理不尽な"おとなの事情"にのみこまれてしまっている自分の中に、
まだ確かに存在している"こども"の自分を、きっと再確認できると思う。
それは、なんだかとてても素敵なことのように思います。


最後に。
二人が夢中になる映画の主題歌、♪Raindrops keep falling on my head が
劇中でとても効果的に使われていました。
この曲、去年の「死神の精度」でも流れていました。
まったく違う物語だけど、どちらも大好きな作品です。
この曲は、なんだか私の中で特別な1曲になってしまったような気がします。
「死神の精度」、再演しないかなあ・・・

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