瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2011/05/21 21:58   >>

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劇場に入って最初に目に入ったのは、客席の両サイドに幾つもぶら下がった赤い提灯と定式幕。
そして、小さな音で流れている♪Amazing Grace 。

日本と西洋。
民衆と信仰。
俗と聖。


二つの異なるものが、不思議な融合を果たすその空間で紡がれたのは、
"いたみ"の物語でした。


井上ひさし追悼ファイナル Bunmakuraシリーズ
「たいこどんどん」

2011.5.14 ソワレ シアターコクーン 1回G列10番台

作:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
音楽:伊藤ヨタロウ
出演:中村橋之助、古田新太、鈴木京香、宮本裕子、大石継太、大門伍朗、市川夏江、大林素子、飯田邦博、
    塚本幸男、立石涼子、六平直政、瑳川哲朗、難波真奈美、中村橋弥、中村橋吾、中村橋幸、川崎誠司、
    茂手木桜子、朕紗友、増田広太郎


響き渡る柝の音を合図に開いた定式幕の向こうには、
客席全体を映す大きな鏡と、色鮮やかな大小さまざまの書割がありました。
富士山、江戸の大店、緑鮮やかな木、牡丹の花にお地蔵さん。
そして小さなお城―――たぶん、江戸城。
実際の大きさも遠近感もまるで無視した雑多で色鮮やかな書割と、
その向こうの鏡にクリアに映る客席の沢山の人たち。
それは、なんだかびっくりするくらい強いエネルギーを発しているように思いました。
そして、その書割の向こうから、ゆっくりと姿を現す役者たち。
私の真正面のお地蔵さんの後ろから、にょきっと出てきた古田さんに思わず微笑んで、
でも、次の瞬間、自分の笑顔がこわばるのがわかりました。

役者さんたちは、誰一人微笑んでいない。

響き渡るアメイジング・グレイスの中で、
遠く、遠く、劇場の壁すら通り過ぎた遠くを見つめるような役者さんたち。
その表情のまま、ゆっくりとお辞儀をする彼らに、
井上ひさしさんの存在を思い、そしてこの震災で被害にあわれた人たちを思い、
私も心の中で深く頭を下げました。

役者さんたちが手に手に書割を持って舞台をはけた後、
現れたのは江戸は日本橋、越後屋呉服店。
日本一の大店の前を行きかう江戸の人々。
客席から現れたのは、古田さん演じる幇間の桃八。
下手の通路で滔々と自分の今の状況を語り始める桃八。
その元気一杯の口上と、愛嬌のある表情にふっと気持ちがほぐれ、
今度は遠慮なく笑顔になることができました。
そうこうするうちに夏の夕立に見舞われた彼らは、
越後屋が貸し出す越後屋の名前入りの傘を差しながら、
江戸への愛情を高らかに歌い上げます。
幕末の江戸の、はじける寸前まで溜められたパワー。

幕末の江戸の物語はたくさんあって、今も「JIN」でその猥雑としたけれどどこか張り詰めた空気が描かれています。
でも、私の脳裏に浮かんだのは、松井今朝子さんの「幕末あどれさん」でした。
沖に泊まった黒船。
流れ込んでくる異国の文化。
国が、生きる基盤が大きく変わっていく気配を感じながら、
けれど、日々の糧を得るために、戸惑いや不安を押し隠しながら、
変わらずパワフルに生きる江戸の人々―――
その生々しい存在感を見せてもらったような気がしました。

そして、雨が小降りになったころ、上手側の通路から現れたのは、
桃八の待ち人、薬種問屋鰯屋の跡取り息子・清之助(中村橋之助)。
彼が持っているのは、大きな黒い蝙蝠傘。
唐物屋で手に入れたというその傘を意気揚々と差しながら笑う清之助は、
もう見るからに世間知らずのお坊ちゃん、という感じで、
桃八とのちょっとずれているのに息のぴったりな掛け合いに、やっぱり微笑んでしまいました。


物語の大筋は、この二人がひょんなことから9年もの間東北のあちこちを旅する珍道中です。
大店の跡取り息子と、彼に付き従う幇間。
けれど、二人はいわゆる"主従"という関係は超えているように思いました。
桃八に甘えて時に無理難題を押し付けるけれど、彼を兄弟というほど深い愛情を持っている清之助。
清之助のわがままに振り回され散々な目に合いながらも、彼と共にあろうとする桃八。
正直に言ってしまえば、この二人の世間知らずさというか行き当たりばったりさというか浅慮さというか(笑)は、
もう観ていて微笑ましいを通り越し、はらはらするのも通り越し、
ちょっと心配のあまり一瞬怒りまで覚えてしまいましたが(笑)、
それでも、憎めない二人の存在感に、こういう人いるよね〜と納得してみたり。

でも、二人の道中は、見方を変えれば本当に本当に悲惨だと思うのです。
釜石では、逗留先のお内儀と目明しに騙され、
桃八は鉱山に売られ、清之助はお内儀の夫殺し濡れ衣を着せられかけ、
やっとの思いで鉱山を逃げ出した桃八が盛岡で清之助と再会し、
二人で富本節の太夫と三味線弾きを騙って純朴な遠野の旦那衆から路銀を稼いだものの、
仙台へ抜ける途中で美しい姉妹と知り合ったと思ったら山賊の仲間で、
山賊の女を清之助が誑かして逃げる算段をしようとしたら、
その女が先走って山賊のアジトを密告し、行われた山狩りで山賊たちは皆殺し。
命からがら山狩りから逃げ出して、追跡をかわして新潟に抜けようとしたものの、
路銀が尽き、飢えで行き倒れる始末。
行き倒れたところを目明しに救われ、またまた富本節の太夫として路銀を稼ごうとするものの、
清之助が山賊の女にうつされた梅毒を発症。
清之助とその実家鰯屋を侮辱した目明しに啖呵を切った桃八は、
報復として右足を切断されてしまいます。
何とか柏崎に逃れ、そこで乞食として何とか食いつなごうとする桃八は、
そのあたりの乞食の本締めに歯向かったことで袋叩きに・・・

・・・こうして書くと、ほんとに悲惨ですね(涙)。
まあある意味自業自得もあるんですが(え)。
でもね、どんな逆境にあっても、どん底に落ちても、彼らは決して負けないんですよ。
その時々はもちろんうろたえるし、慄くし、嘆くし、途方にくれるのだけど、
江戸に帰る、その一念を胸に、とにかく二人は前に進もうとする。
けれど、柏崎で袋叩きにあった桃八が、落ちていた縄を手に、もう死のう、と思いつめる場面があります。

一生懸命清之助のために尽くし、清之助を支えてきた桃八。
正直、どうしてここまで桃八は清之助に尽くすんだろう、と疑問に思うときもありました。
この道中、割を食っているのは明らかに桃八のほうで、
いかに清之助を主と慕っていても、これまでの恩があっても、江戸にもどったときの見返りを考えても、
清之助を置いて一人で江戸に帰ったほうが、絶対に安全だし早いと思う。
って、それじゃあ物語は成り立たないですけどね(笑)
けれど、桃八は絶対に自分から清之助を見限ることはないんですね。
それはもう忠誠、という言葉は越えているように思うのです。
たぶん、桃八にとって、清之助と共にあることそのものが一つの理由なのだと思う。
上手く言えないけれど、清之助がいるから桃八は頑張れる、
清之助を江戸に帰すこと、いや、清之助と共に再び江戸の地を踏むことが彼の生きる理由になっている。
そんなふうに感じてしまうほど、桃八の献身ぶりには揺るぎないものがありました。

そんな桃八が死を選ぼうとする瞬間。
けれど、清之助は梅毒に身を蝕まれながら、佐渡帰りの人夫の草鞋から砂金を取り出す算段をたてて、
死のうとする桃八にその考えを伝えます。
突飛でわかりにくい(え)清之助の説明に、病が脳に回ったかと更に絶望的な表情になる桃八も、
彼の考えを理解して、「さすが若旦那!」と一気に浮上(笑)。

砂金で大金を稼いだ二人は、意気揚々と江戸に帰りつき―――
そんな二人を待っていたのは、更地になった鰯屋の敷地。
そして通りすがりの娘が語った鰯屋の顛末は、
母親は息子の出奔に心を痛めてはかなくなり、
父親はは押し入った族(天狗党だったか薩摩藩士だったか?)に斬られ、
残された妹は行方不明という現実。
そして、二人が江戸に帰りついたのは、慶応四年の八月―――即ち、明治元年の八月でした。

9年の彷徨の後、やっと帰り着いた江戸は既に江戸ではなかった。
その現実に打ちのめされ、崩れ落ちるようにしゃがみこむ清之助。
彼にとって、「江戸」は変わらず「江戸」であり、鰯屋はつぶれることのない大店であり、
それらは彼自身の足場であった。
その足場を喪って、もう死ぬしかない、と思いつめる清之助を立ち上がらせたのは、
今度は桃八でした。

江戸が東京になったって、自分たちは変わらない。
変わらずに金を稼ぎ、日々の糧を得、そして生きていくだけ。

その言葉につられるように立ち上がる清之助を見たとき、
二人は二人でいたから、ここまで生きてこれたのだ、と思いました。
小さな幸せも大きな幸せも共に喜び、
降りかかる不運をと共に嘆き、
時に諍い、時に励ましあい、
そして、片方が弱っているときには、もう一人がそれを自然に支えている。
一人きりの道中だったら、きっと桃八は江戸にもっと早く帰れたでしょう。
(若旦那はちょっと怪しいですが・・・/笑)
でも、一人きりだったら、きっと桃八は桃八ではいられなかった。
二人でいたから、彼らは故郷に帰り着き、
刻々と変わっていくその故郷で、きっとまた生き抜いていく。
そんなふうに、感じました。

終幕。
始まりと同じように、鮮やかな書割の向こうに立つ人たち。
今度はゆっくりとその書割の向こうに隠れていく人たち。
同じように見えるその光景は、けれど始まりとはたぶんいろんな配置が少しずつ違っていた。
激動の幕末。
もの凄い勢いで変わっていく世の中。
その全てを理解し、その流れに乗っていられた人はどのくらいいるのだろう?

カーテンコールも、はやり満面の笑みを浮かべている人はとても少なかった。
そして、深くお辞儀をした橋之助さんの目元から、
きらりと光りながら舞台の上に落ちる大粒の涙が見えたように思いました。
最初は、見間違いかと思った。
というか、もしかしたら涙じゃなくて汗だったのかもしれないけれど。
けれど、繰り返されるカーテンコールのなかで、
橋之助さんの表情はとても辛そうで、とても切なくて、
お辞儀のたびに零れ落ちるそのきらめきは、私にはやっぱり涙に見えました。

それはきっと"いたみ"の涙。
変わっていくもの。
失っていくもの。
喪われるもの。
その全てが引き起こす、"痛み"。
それらを受け入れることで、否応なく刻み込まれる、"傷み"。
そして、受け入れてなお、抑えきれない、"悼み"。
このお芝居のテーマ曲が♪Amazing Graceである意味―――

3月11日の震災。
その前から上演が決まっていたこの舞台。
けれど、今、この時にこのお芝居が上演される意味を考えずにはいられない。

きっと、全てを震災に結びつけるのは感傷的すぎるでしょう。
けれど、釜石、相馬、宮古、大槌・・・この2ヶ月、耳にしない日のないくらいだったこの地名。
お芝居の中、その地で生きる素朴で、強くて、前向きで、生きることに貪欲な人々。
東北人である井上さんが描いた、生きるエネルギーに満ち溢れた人たち。
彼らのことを、思い浮かべずにはいられませんでした。

そんなことを思いながら、客席で手を握り締め、ただ私は祈っていた。
若旦那、笑って。
橋之助さん、笑って。
お願いだから、その哀しい顔のままで終わらないで。
私に、前を向いて歩く力をください。
と。

そして、最後、橋之助さんの口元が、大きく笑みを形作りました。
それは、自然に溢れる笑みというよりも、努力して作った笑みに見えた。
この先の見えない辛い時代に、それでも笑って生きていく。
そんな覚悟を持った笑みに見えました。
もちろん、それは私の妄想(笑)で、橋之助さんの意図は全然違うかもしれないけれど、
でも、この笑みに救われたことも事実で―――ありがとう、その言葉を小さく呟きました。



さらっと書くつもりが、なんだかめちゃくちゃ長くなっちゃいましたね・・・っていつものこと?(笑)
とりあえず、役者さんのことも少しだけ。

清之助役、中村橋之助さん。
なんとも憎めないおぼっちゃんでしたv
桃八への仕打ちとか、行き当たりばったりなところとか、
あ〜あ、って思う瞬間は多いのだけど、なんだかそれが魅力に見えちゃうんですね。
これまでも歌舞伎で何度か拝見していますが、
そのときの印象とはちょっと違って、とってもナチュラルで説得力のある清之助だったと思います。

桃八役、古田新太さん。
とーっても可愛らしかったですv(え)
若旦那を慕っているのが、凄く良くわかって、とっても微笑ましくv
「藪原検校」に引き続き、長台詞は多いは義太夫は歌わなきゃならないは出ずっぱりだはで、
かなり大変そうだなあ、とは思いましたが、
観ている間は、桃八の愛嬌に始終笑わせていただいた感じです。
どのシーンも見ごたえありでしたが、圧巻だったのは、やっぱり2幕冒頭かなあ。
若旦那に釜石鉱山に(結果的に)売られてしまった桃八が、鉱山から逃げるまでを語るのですが、
何もない舞台の上にたった一人で立ち、
ぼろぼろの衣を徐々に脱ぎ、懐から取り出した眉墨(かな?)で目の下に隈を描き、
そして何よりその語り口で桃八が暮らした3年間を、
その3年の間の心の変遷をがっつり見せてくださいました。

鈴木京香さんは、袖ヶ浦を始め、釜石のお内儀おとき、山賊の女お熊など、清之助がよろめく女性に加え、
柏崎の乞食婆や東京で清之助たちに鰯屋の顛末を語る少女など、
重要な役どころをたくさん演じ手らっしゃいました。
舞台で拝見するのは初めてですが、あの袖ヶ浦のときの首筋の美しさに、
これは清之助でなくてもよろめくわvと思いました(え)。
酸いも甘いも噛み分けた大人の女、という感じでした。
古田さんのアドリブ(かな)なツッコミに、ちょこっと笑っちゃってるところも可愛らしくv
いい意味でも悪い意味でも映像のイメージそのままだなあ、と思いました。
もっと舞台でも観てみたいかな。

宮本裕子さんは、いろんなところの芸者さんなどやっぱりいろいろ演じてらっしゃいました。
というか、このお芝居、主役の二人以外は凄い沢山の役を演じていて、
さすが井上さんの脚本!という感じです。
宮本さんはミュージカルのイメージが強いのですが(キャンディードのパケットとか、DOVのマグダとか)、
その小柄な体が作り出す歌のエネルギーは凄いなあ、といつも思います。
今回席の関係か、宮本さんの歌声が真っ直ぐに届いたのですが、やっぱりそう思いました。
パケットもマグダも色っぽい役柄ですが、今回はもう段違い!(笑)
まさに体当たりな感じでした。

立石涼子さんの魚婆も良かったですv
桃八との掛け合いの、あのぬる〜い間が絶品!

六平直政さんは、出てくると直ぐ、あ、六平さんだ!ってわかるのですが、
演じている役柄の個性がとてもクリアで楽しませていただきました。
凄味のある釜石の目明し喜平もかっこよかったですが、
個人的にはお人よしな山賊の親分が好きだったな。

瑳川哲朗さんは、相変わらず素晴らしく素敵なお声でしたv
最初の方の船頭の栄蔵さんの肩の烏のリアルさにびっくり!
あれ、瑳川さんが操作してたんですよね?
腹話術みたいで楽しかったです・・・ってもちろん烏は喋りませんが(笑)。

大石継太さんは、ちょこちょこいろんな役をされてました。
印象に残ったのは遠野のおじいちゃん。
もごもご具合に「道元の冒険」の老典座が思い浮びました(笑)。
そしてやっぱり癒し系。
大石さんはこうでなくっちゃ!
というか、あのおじいちゃん集団、すごいいい味出してたんですよねー。
桃八が引き止められるのも納得です(笑)。


さて、蜷川さんの次の舞台は「血の婚礼」、その次は「アントニーとクレオパトラ」。
清水さんの戯曲もシェイクスピアも好きですしとっても楽しみですが、
また、井上さんの戯曲も観てみたいなあ、と思います。
まあ、できれば3時間ぐらいに納めてもらえると助かりますが(笑)。

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タイトル (本文) ブログ名/日時
11/05/25 今を生きるエール!シアターコクーン2011「たいこどんどん」
井上ひさしの「たいこどんどん」は、前進座公演で梅雀が幇間桃八の時に観たかったのだが見送っていて、舞台では初見。 シアターコクーン改装前のラス前公演として井上ひさし×蜷川幸雄×勘三郎(初)になるはずだったが、体調不良のため休養しているため、橋之助がピンチヒッタ... ...続きを見る
ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記
2011/06/19 18:39

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内 容 ニックネーム/日時
勘三郎のピンチヒッターで橋之助で大丈夫だろうかと正直思っていました。観てみたらなんのなんの、古田新太と組むのなら橋之助の方が正解だったと思えました。年も身長も互角で対等な二人組になってました。
代役抜擢でスターが生まれたり育ったりする実例ですね。橋之助はコクーンで2ヵ月連続で主演となり、昨晩「コクーン歌舞伎 盟三五大切」も観てきましたが、2ヵ月とも立派な舞台でした。そこであわてて「たいこどんどん」を先にアップした次第です(^^ゞ
「藪原検校」も凄かったけれど、今回の桃八も凄かった古田新太!!役者魂を見せつけられた思いです。しっかりゲキ×シネも観なくっちゃ(^_^)
井上さんの作品が震災後に続くのはどうした天の配剤かと思います。東北への思いがこもって、庶民のたくましさしたたかさを描いた作品の上演は、今に生きる私たちへのエールに思えてなりません。それを蜷川さんの演出がパワーアップしているのですから、観ることができたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ぴかちゅう
2011/06/19 18:50
ぴかちゅうさん、こんばんは!
お返事が遅れてしまってすみません。
橋之助さん、代役だったのですか?!(いまさら・・・)
「桜姫」のときの古田さんと勘三郎さんのコンビも素敵でしたが、
橋之助さんのさっぱりした雰囲気の若旦那と、
愛嬌目一杯の古田さんの桃八、とても素敵なコンビでしたね。
井上さんのエール・・・本当にその通りですね。
とても重くて、でも力をもらえた演目でした。

井上さんのお芝居、今年はなかなかチケットが取れません(涙)。
「雨」も見たかったのですが・・・
恭穂
2011/06/23 20:56

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