瓔珞の音

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zoom RSS むきだしの魂

<<   作成日時 : 2011/11/12 22:45   >>

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昨日までの冷たい雨の後。
通勤路の木々の赤や黄色の紅葉は、昨日よりもずっと鮮やかに見えました。
高く澄んだ青空の下で、朝の光を纏うようにキラキラしたその木々を見たとき、
この舞台で映されたゴッホの絵が思い浮びました。

優しい色の空。
明るい黄色の木々。
それを映した澄んだ川の流れ。
星の瞬く空に浮かぶ、曖昧なニュアンスの月。

彼の目に映る世界は、この瞬間、こんなにも明るく優しく、力に溢れたものだった―――



「炎の人」

2011.11.5 ソワレ 天王洲銀河劇場 1階D列30番台

作:三好十郎
演出:栗山民也
出演:市村正親、益岡徹、富田靖子、原康義、さとうこうじ、渚あき、斉藤直樹、荒木健太郎、野口俊丞、保可南、
中嶋しゅう、大鷹明良、今井朋彦、銀粉蝶


一昨年の夏に初演されたこのお芝居。
初演の時は、最前列で役者さんの表情を間近から観てしまったせいか、
観終わったあと、痛みの感情だけが残った記憶があります。
素晴らしいお芝居だけれど、受け止めるのにとてもエネルギーの必要な舞台―――そう、思いました。
そのくらい、市村さん演じるゴッホの不器用な生き方と孤独は胸にせまりました。
なので、今回観にいくかどうかとても悩んだのですね。
今の私に、彼の生き方を受け止めることが出来るかな?と。
案の定、観ていることが辛くて仕方ない瞬間もありました。
でも、観終わった後、「観て良かった!」と心から思うことができました。

その一番の理由は、やはり市村さんの渾身のゴッホ。
やっぱり私は舞台の上にいる市村さんが好きなんだなあ、と再確認しちゃいました。
どうも、例のTVドラマで、かなりフラストレーションが溜まってたみたいです(笑)。
いえ、もちろんあのドラマも楽しく見ているし、バラエティとかも楽しんでるのですよ。
でも、その存在全てで一人の人間の人生を生きる凄味は、やはり生の舞台が一番だなあ、と思うのです。

市村さんのゴッホは、当然のことながら決して華やかな存在ではありません。
折れそうなほどに華奢に見える体は、地味な色彩の衣裳に包まれ、
髭に覆われた顔は、ゴッホの描く自画像そのもののようです。
演技自体も、決して大きく派手ではないでしょう。
けれど、ゴッホの感情が揺れ動くとき、舞台の上の空気の色や温度が変わるような感覚を覚えました。
一幕、神を見失ったまま祈祷する自分の後ろで、一心に祈る老婆(銀粉蝶)を目にした彼が、
ありあわせの紙にその老婆の姿を描き始める時の、食い入るように老婆を見つめる瞳。
シィヌ(富田靖子)に見せる愛情と困惑と気弱さが混じったような表情。
弟のテオ(今井朋彦)を前にしたときの、ふっと緊張が緩む瞬間。
そして、ゴーガン(益岡徹)に対峙したときの、熱に浮かされたような不安定さ。
揺れ動く感情に、自分自身が翻弄され続けるゴッホが、生々しい存在感を持って私に迫ってきました。


舞台は、額縁のような大きな木のセットで囲まれています。
二幕冒頭、その額縁の中に、アルルに移住してからゴッホが描いた絵が映し出されました。
黄色い家、ラ・クロの収穫、アルルのゴッホの寝室、アルルの跳ね橋、夜のカフェテラス、ひまわり・・・
このとき、ゴッホの目には、こんなにも世界は美しく映っていた。
なのに、絵に重なるように読み上げられる弟テオへの手紙の中、
その明るさに影のように紛れ込む、絵を描くことへの、そしてゴーガンへの複雑な熱情―――
静かな、けれど隠し切れない狂おしさを持って語られるゴッホの言葉を聞いているうち、
"むきだしの魂"という言葉が不意に浮かびました。
"無垢"ではなく、自分の持つ美しいものも醜いものも、全てを赤裸々にさらけ出す"むきだしの魂"―――
それが、このゴッホなのだと、訳もなく確信し、そうしたら、どうにも涙を止めることができませんでした。

自分を取り囲むすべてのものに対して、感性も感情も常に全開にして向かい合うゴッホ。
それが、彼のあの絵の力に繋がったとしても、自分の存在をすべてさらけ出す生き方は、
この世界では生きていくには、どれほどの痛みを伴ったでしょうか。
けれど、それは同時に彼と向き合う人たちに、何らかの恐れを抱かせたとも思うのです。
そしてその恐れは、非難になり、嘲りになり、蔑みになり、同情になり、感嘆になった―――

ゴーガンは、ゴッホのことを"聖なる魂"と評します。
まるで子どものように真っ直ぐに自分と絵に向かってくるゴッホに対して、
それは最大の賛辞であり、皮肉でもあるでしょう。
世俗に塗れることを選び、生きていく愚かさや醜ささえも受け入れて愛おしみ楽しむことで、
ある意味自分を欺いて飄々と生きている(ようにみえる)ゴーガンにとって、
まさにゴッホの生き方は"聖なる"ものであり、その魂を愛おしむと同時に、
自分が持ち得ないその無防備さに戸惑いや、もしかしたら憎しみすら持っていたかもしれない。
益岡さんのゴーガンがゴッホを見つめる瞳は、そんな揺らぎに溢れていたように思いました。
そして、自分の発した"聖なる魂"という言葉を壁に書き連ね、
激情の果てに自らの絵を切り裂いたことすら忘れて途方に暮れたように立ちすくむゴッホの前から、
ゴーガンは逃げ出しました。
そう、逃げ出したのだと、私は思いました。
ゴッホと、そしてゴーガン自身を護るために、ゴーガンは、ゴッホの前から姿を消したのだと。

ゴーガンの去った部屋で、一人煩悶するゴッホは、その果てに自分の耳を切り落とします。
このシーンを、私は直視することが出来ませんでした。
痛くて、辛くて、悲しくて、やるせなくて―――でも、こうなることは必然だったようにも思えて。

もし、ゴーガンが彼を受け入れていたならば、彼はこんな暴挙をすることもなく、絵を描き続けられたのでしょうか?
もし、シィヌが、ゴーガンの愛情を受け入れていたならば、彼はこんなにも孤独ではなかったのでしょうか?
もし、あの炭鉱で神を見失うことがなかったら、彼はもっと心穏やかに生きることができたのでしょうか?
もし、テオが常に彼の傍にいたならば、彼の魂は護られていたのでしょうか?

たくさんの"もし"を考えて、でも、その全てが"否"だった。
絵を描くことは、彼にとって生きることと同じで、
そして、全てをむきだしにしなければ、彼は自分の絵を描き続けることは出来なかった。
そんな風に感じさせる、市村さんのゴッホでした。


再演、ということで、富田さん以外は初演と同じ役者さんでした。
新規参入の富田靖子さん。
舞台で拝見するのは始めてかなあ・・・?
もともと好きな女優さんではあったのですが、
シィヌのギリギリさと、ラシェルの明るい強さの対比がとても鮮やかでした。
ラシェルの可愛らしさも素敵でしたが、
個人的にはシィヌにまといついた荒んだ雰囲気の中の純粋さと愛情深さに、ちょっとやられた感じです。

あと、今回はタンギィ役の大鷹明良さんの笑顔に癒されましたv
ゴッホに向ける視線に、マイナスの感情があまり感じられなかったからかなあ・・・

中嶋さんの最後の詩の朗読は、やっぱりぐっと胸にくるものがありました。
"貧しい貧しい心のヴィンセント"に、"同じく貧しい心の日本人"が花束を贈る、という言葉の、
"貧しい"の意味について、ちょっと考えてしまいました。
この詩をきちんと読み直したいなあ、なんて思っているので、
そのうち、戯曲を買ってしまうかもしれません。

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コメント(2件)

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見たかったけど、日程が合わなかったので
恭穂さんのブログで観劇気分を味わっております(笑)

三好十郎の作品は、結構青空文庫で読めるみたいです。「炎の人」もありました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001311/files/47646_34743.html

まぁ、PCの画面だと味気ないというか
製本された本で読んだ方がより入ってくるような気もしますね。
みずたましまうま
2011/11/13 23:36
こちらにもコメントをありがとうございます。
観劇記分、味わっていただけたなら何よりですv
PCの画面って、味気なさがありますよね。
個人的にはやはり"本"という形態が好きだったりします。
まあ、溜まってくるとどうしようかと思いますが(笑)。
恭穂
2011/11/14 21:23

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