瓔珞の音

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zoom RSS 待ち望んだ、この日

<<   作成日時 : 2012/03/29 21:42   >>

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通勤途中にあるお屋敷の庭に、大きな白木蓮の樹があります。
例年なら、もう零れ落ちるようにたわわな白い花を見せてくれるこの樹も、今年は寒風に身を縮めたままでした。
でも今朝。
柔らかな白い花が、初めて姿を見せてくれました。
気がつけば、土手の菜の花は満開で、
冬枯れの山も、新芽が膨らんできているのか、なんだかほっこりとしてきました。
こんな風に日々少しずつ姿を変えていく景色を見ていると、
普段どおりの毎日が、なんだか特別な一日の連なりのように思えてきます。

冬の高く澄んだ青空も大好きですが、やっぱり春を待ち望む気持ちは誰にでもあるもの。
待ち望んだその日を迎えたとき、満たされる心の一部分がある。

彼が、そして彼を見つめ続けた彼女が迎えたあの日も、やはり待ち望まれた一日であったのでしょうか。


「ジキル&ハイド」

2012.3.18 マチネ 日生劇場 GC階A列10番台

出演:石丸幹二、濱田めぐみ、笹本玲奈、吉野圭吾、畠中洋、花王おさむ、中嶋しゅう、KENTARO、石山毅、
    石飛幸治、若泉亮、岡田静 他


鹿賀さんのファイナル公演を観たのがもう5年前。
鹿賀さんのある意味頂点を極めたジキルとハイドを観たあと、
新しくこの役をやる役者さんは、ほんとに大変だろうなあ、と思いました。
そして、その難関に挑むのは誰なんだろう・・・?といろいろ想像してみたりしました。
結果として、予想は全部外れていたのですが(笑)。

石丸さんという新しいジキルとハイドを迎えての今回の公演。
配役ももちろんですが、セットやたぶん演出も大分変わっていたのではないかなあ、と思います。
なにぶん5年前の記憶は遠いのですが(汗)、あの正面とサイド情報の足場はなかったような・・・
でもって、当然のことながら、役者さんから受ける印象はかなり違っていました。

一言で言うと、「若返った!」という感じでしょうか(え)。

いえ、鹿賀さんの時には、悩み惑った末の避けられない選択、という印象があったのですが、
石丸ジキルの場合、若さゆえの向こう見ずさというか、暴走というか・・・
ちょっと待て!と後ろから襟首をつかみたくなっちゃうような危うさがありました。
ある意味一途なのだけれど、その分周りが見えなくなっちゃう、
でも、基本育ちのいいお坊ちゃん、という感じ?(え)
鹿賀ジキルはエマやアターソンとはちょっと年齢差があるように思いましたが、
今回のキャストだと、この3人(+ストライド)は幼馴染とか学校の同級生とかなんじゃないかと・・・(笑)

ジキルとハイドの演じ分けは、鹿賀さんほどがらりと雰囲気が変わる、というのではないのですが、
声音や仕草など細かな部分を凄く作りこんでいるなあ、という印象。
ジキルが右利きでハイドが左利きだったり、笑い方や歩き方だったり。

石丸さんのハイドは、"分離された悪"というよりも"欠片が集まって凝った"というか・・・
全く別の人格、という風には感じませんでした。
対決のシーンでも、ジキルはハイドを消し去ろうとしたのではなく、
自分の中の"悪の欠片"を自分のものとして受け入れ融合しようとしたのかなあ、と思いました。
鹿賀さんの時よりも、ジキルとハイドが融合した、という印象が強かったのです。
自分の中の"悪の欠片"も、それが引き起こした惨劇も、
全てジキルである"自分自身"が行ったことである、と。

だからかな。
最後、ストライドを殺した男も、アターソンに自分を撃てと言った男も、
エマの腕の中で息絶えた男も、私にはジキルにしか見えなかった。
あの結末は、ジキル自身が選びとったものなのかな、って。

たくさんの血を流した"自分"の手。
たくさんの恐怖を嘲笑った"自分"の唇。
ジキルは、穢れた"自分"の手や唇が、エマに触れることを許せなかったのかもしれないなあ。


笹本エマがまた、とにかく強く正しく美しく、というのを体現している感じなんですよ!
もちろん、ジキルの変貌への不安や戸惑いもあるし、女性らしいたおやかさもあるのだけれど、
ジキルを見つめ、支えて、そして全てを受け止めるという彼女の覚悟は、
この物語の中ではある意味一番強い想いだったように思います。
その強さが、ジキルにとって支えで、でももしかしたら同時にプレッシャーでもあったのかも。
全てを許されるって、もの凄い重荷だと思うのは私だけかな。
でも、そういうエマ自身も、あの時代では生きにくかったのかもしれないなあ。
ちょっと見ていて辛くなる部分もありましたが、玲奈ちゃんの凛とした姿と歌声は、もの凄くエマに似合っていました。

ラストシーン、ジキルが本当の意味で自分の腕の中に戻ってくることを、エマはずっとずっと待ってたんだろうなあ。
そして、ジキル自身も、本当の意味で自分の全てをエマに委ねられる日を待っていたのかもしれない。
彼らが待ち望んだ日は、彼らが共に歩む人生の終わりでもあったのだけれど―――


濱田ルーシーは、エマとは逆にとっても幼い印象。
娼婦という役柄上、妖艶さももちろんありますし、初めて聴く歌声の艶っぽさや迫力は、凄い!と思いましたが、
それよりなにより、少女のような可愛らしさを強く感じました。
ハイドに殺される直前の様子も、いやだから早く逃げて!とやきもきしつつ、
彼女の喜びに一緒になってときめいてしまいました(笑)。
ので、マルシアさんのルーシーに感じたような恍惚感はあまり強くなかったのですが、
むしろ、彼女の死は綻び始めた花が手折られるような無残さがあったように思います。


吉野さんのアターソンはねー・・・
まず、舞台の上の吉野さんを見るのが去年の「三銃士」以来だったので、
とにかく嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。
もともと大好きな「嘘の仮面」や「事件、事件」のシーンも、ついついアターソンを探してしまったり(笑)。
いやでもこの2曲の迫力と、細かな演出はほんとに素晴らしかった!
入れ替わり立ち代りで現れる主要キャストの交わす視線、交わさない視線の意味深さ、
複雑で繊細な旋律が創りだす濃密な空間、
その空間を彩るくらい色彩の照明、衣裳、そしてシルエットのような舞台美術・・・
こういうシーンって、ほんとミュージカルの醍醐味だなあ、と思います。

でもって、アターソン!
いやもう最後のシーン、アターソンで泣きました、私。
「対決」の後、アターソンの短い台詞を挟んで結婚式のシーンになるのですが、
その間のことって何も語られないのですよね。
アターソンの台詞も、もしかしたら時間軸としてはずっと後で、回想なのかしら。
なので、その間にあったもろもろ・・・ジキルとエマの結婚が予定通り行われるまでや、
あの幾つもの殺人の捜査は結局どうなったのかとか、
ルーシーの亡骸の傍らで"自分"に戻ったハイドはどうしたのかとか・・・想像するしかないのですが、
多分アターソンはジキルとエマのためにあらゆることをやり遂げたんだろうな、と思う。
そしてその中には、ジキルがまたハイドに支配されたとき・・・いや、ジキルが"自分"の罪に負けたときに、
自分が何をすべきなのかを考え、そして覚悟を決めるということもあったのだと思います。
ジキルに向けた銃を一度降ろし、けれど縋るような"彼"の視線(と、私には見えた)を前に、
そのときには、躊躇わずに"彼"を撃ち、"彼"を守ったアターソン。
そこに至るまでの彼の苦悩が、その背中から感じられて・・・

このシーン、エマやダンヴァース卿の表情も観たかったのですが、さすがに無理でしたー(涙)。
「嘘の仮面」や「事件、事件」のシーンもですが、1回の観劇ではやっぱり見切れない部分が多いですね。
とっても残念!
このキャストで再演されることがあったら、今度は複数回観にいけたら良いなv


中嶋さんのダンヴァース卿は、娘への深い愛情とジキルへの複雑な想いが感じられて、さすがでした。
歌になるとちょっと聞き取りにくくなっちゃうのが残念でしたが、
深みのある声と表情は、これまでエマと過ごしてきた時間を感じさせてくれました。

畠中さんのストライドは、エマに向ける恋情と、ジキルに向ける劣等感が凄くクリアで、
彼らが幼馴染や同級生なんじゃないか、と感じた理由の一つはストライドの視線にあったのかも。
畠中さんの歌声が好きなので、もっと歌が聴きたかったなあ、と思いました。


惨殺されてしまった理事会のみなさんも、アンサンブルのみなさんもとっても見ごたえあり!
こういうキャスト一人一人の力が集まって初めて鮮やかなシーンが創り上げられるのって、
観ていてほんとに嬉しくなりますv
新聞売りの少年(?)役の人の歌声がとても力があっておおお!と思ったのですが、
寺元健一郎さんでよいのかな?
プロフィールを確認すると、「M!」や「キャンディード」、「ニューヨークに行きたい!!」にも出演されていたよう。
今後もちょっと注目してみようと思いますv

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