瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2012/06/16 20:28   >>

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最近、観劇した直後に記録を書くことがめっきり少なくなりました。
直後にツイッターで叫んで(笑)満足しちゃう、というのもあるし、
激しく感情を揺さぶられて、書かずにはいられない、という演目を観ていない、というのもあります。
後者は、いい演目に出逢っていないわけではなくて、
観終わった後、じっくりと自分の中で咀嚼する時間が必要、という意味もあります。

で。

この演目も、観ている時の衝撃が落ち着いた後、思い返すのにちょっと時間がかかりました。



「サロメ」

2012.6.9 マチネ 新国立劇場 中劇場 17列30番台

作:オスカー・ワイルド
翻訳:平野啓一郎
演出:宮本亜門
出演:奥田瑛二、成河、山口馬木也、森岡裕、櫻井章喜、植本潤、池田重大、谷田歩、内藤大希、星智也、
    麻実れい、多部未華子 他


余りにも有名な物語、「サロメ」。
預言者ヨカナーンに恋したサロメがたどり着く、余りにも残酷で、猟奇的で、狂おしく、そして美しい最後。
でもそれは、色々な絵や、小説などのモチーフに使われたイメージで、
きちんと戯曲の「サロメ」に向き合うのは、これが初めての機会でした。

宮本亜門さんが創り上げた「サロメ」の世界は、とにかく視覚的なインパクトが圧倒的!

白い家具の置かれた白いテラス。
その奥の曇りガラス(だったかな?)の向こう(室内)で繰り広げられる饗宴の影。
テラスの下の、かつて水溜めであった地下牢の奥に暗く沈む闇。
そして、舞台の上方に掲げられた大きな鏡―――

とにかく、この鏡の存在が凄かったです。
鏡が映し出すのは、舞台の中ほど1/3くらい。
奥の饗宴の様はもちろん、役者さんたちが主に演技する舞台の前方は映りません。
正直最初はその中途半端な写し絵に、ちょっと意識を乱される感じがありました。
けれど、物語が進むにつれて、鏡でしか見えない"何か"の存在がひしひしと感じられて、
ふっと背筋が寒くなるような瞬間がありました。
それは、引きずられていく自害した若きシリア人の身体が描く赤い弧であったり、
ヘロデ王が死の鳥の羽ばたきを聴く瞬間であったり、
徐々に不穏さを増していく喧騒の中にいる人々の蠢く影であったり―――
でも、一番衝撃的だったのは、ラストシーン。
ヨカナーンの首を抱きしめたサロメの独白のシーンでした。
サロメの狂おしいのに何処か静謐な台詞と表情に引き込まれていたとき、
視界の隅に紛れ込んだ違和感―――それは、鏡に映った血でした。
舞台の奥から、音もなく、けれど確実に真っ白な舞台を覆っていく、赤。
私の席からは、角度的に舞台を流れる血そのものははっきりとは見えなかったので、
鏡の中に映るその赤に気付いたときは、ちょっと息を呑んでしまうくらいの衝撃でした。

じわじわと、まるで意思のある存在のように、徐々に舞台を蝕んでいく血の赤。
それは、いつしか舞台全体を多い、サロメの真っ白なドレスも、華奢な腕も、ふくよかな頬も、
全てをその色に染め上げていきました。
舞台の中央に添えられた白い台(背もたれのないソファ?)は、
まるで赤い海の中に浮かんだ小さな島のようでした。
その島の上で、ヨカナーンの首をその胸に抱きしめ、キスするサロメの姿も、鏡はつぶさに映し出し―――
その揺らめく血に染まった細い背は、痛々しさと同時に、
原始的な情愛の生々しさも感じられて、目をそらすことができませんでした。

そんなサロメを演じたのは、多部未華子ちゃん。
義父であるヘロデ王の自分を見る視線を嫌悪する潔癖さと、
自分を想う若きシリア人に向ける、半分無意識で半分故意の色気というにはあからさまな媚が、
なんの違和感もなく同居しているところが、まさにこの年頃の少女、という感じでした。
そして、月のように穢れなく清純な存在で在りたいという思いと、
恋する相手を抱きしめキスしたいと思うある意味純粋な欲望も、
彼女の中ではなんの矛盾もない―――そんな説得力のあるサロメでした。
初舞台、とどこかで読んだ気がしますが、かなり早口な台詞もとても聞き取りやすくて、
ヨカナーンと対峙したときの起伏の激しい感情も、
娘の要求に恐れおののくヘロデ王を追い詰める冷静な声音も素晴らしかったし、
そして何よりあのラストシーンの独白は、舞台の広さに負けない存在感でした。

これまでの妖艶なファム・ファタル、というイメージではなく、
子どもだからこその残忍さや官能の二重性を明確にしたい、と訳者である平野さんは書かれていましたが、
その目論見は、大成功だったと思います。
そして、その成功は、未華子ちゃんがサロメを演じたことにもよるのだと思う。

ただ、あの7枚のヴェールの踊りのシーンは、踊りというより駆け回って戯れてるだけ、という感じで、
いくら"子ども"であったとしても、これはちょっとないんじゃないかなあ、と思いましたが。
まあ、たぶんあのシーンでヘロデ王が望んだのは、見ごたえのある踊りではなくて、
自分の意のままに踊るサロメという存在で、それをサロメもわかってたんだろうなあ、とは思いますが。


そんなサロメが恋する月のように美しい預言者ヨカナーンは成河さん。
開演前から、地下牢の中にいて静かに静かに歩き回っていました。
暗い影の中にふっと浮かぶ白い裸の上半身は、
きちんと見えないが故に一度目に止まると意識から外すことは難しく・・・
でも、気付いていない方も客席には沢山いて(私も教えていただかなかったら気付かなかったかも)、
日常的な会話でざわめく客席と、ヨカナーンのいる、水の雫の音すら聞こえそうなくらい牢のギャップが、
なんだかそこに異界があるような感じで、とっても奇妙な気持ちになりました。
成河さんといえば、破壊力のある高い声、というイメージが強くて、
2月に観た「ハムレット」での柔らかな歌声にびっくりしたのですが、
今回のヨカナーンの声は、更に深さが増している感じで、こんな声で予言されたら、
いい意味でも悪い意味でも、耳を傾けずにはいられないよなあ、と思いました。
ビジュアル的には、プログラムの最後に載っていたダ・ヴィンチの「洗礼者聖ヨハネ」そのまま、という感じ。
荒野で厳しい生活をしてきたことを感じさせ綺麗な筋肉ののった身体の細さは違うけど(笑)。
サロメの命で牢から出され、客席の目の前に作られた塀の上(銀橋みたいな感じ)でサロメと向き合ったときの、
どこか怯えたような表情も印象的でした。
なんだかね、ちょっとしたきっかけで、彼女を抱きしめちゃいそうな危うさを感じました。
直後、真っ直ぐに感情をぶつけてくるサロメを、彼は激しい言葉で拒絶するのですが、
そのときの声は、予言をするときの声とは違ったように思います。
その後のシーンで、テラスの端に腰掛けるサロメを、牢の中からヨカナーンが見上げる、という構図があって、
そのときのヨカナーンの表情は、戸惑いと切望が交じり合ったようで、
ヨカナーンの"預言者でない部分"は、きっとサロメに魅了されてたんだろうなあ、と思ってしまいました。
"預言者"であるために彼はサロメを拒絶し、
その結果として自らが予言した死の翼に囚われたのかもしれません。


ヘロデ王は奥田瑛二さん。
舞台で拝見するのは初めてですが、うーん・・・ちょっと私には台詞が聞き取りにくいタイプの声でした。
でも、鬱屈とした佇まいに見え隠れする怯えは、
兄王を殺し、兄の妻を妻にし、その娘に心惹かれるというヘロデ王の葛藤が見え隠れして、
さすがだなあ、と思いました。
ヨカナーンの首を求めるサロメとの応酬は、
どんどん追い詰められていくヘロデ王と、冷酷なまでに真っ直ぐなサロメとの対比に目が離せませんでした。


サロメの母であり、ヘロデ王の妻であるヘロディアは、麻実れいさん。
ヨカナーンが指摘する彼女の業と罪深さを、さすがの美しさと存在感で見せてくれました。
娘を見つめるヘロデ王を諌めるのだけれど、彼女自身は決してサロメを見なかったなあ。
サロメの方も母を敬愛している、という感じではなかったし。
この親子の関係って、現代でもありがちなものなのかもしれないけれど、
なんだか観ていてちょっとやりきれない気持ちになりました。


若きシリア人ナラボートは山口馬木也さん。
サロメに恋し、それ故にヨカナーンに会うというサロメの願いを叶え、
そして目の前で自分ではない相手に心奪われるサロメを見て、絶望して自害する、という役。
とにかく、サロメしか見えない!という雰囲気がなんとも微笑ましく哀れでした。
テラスに置かれた大きなTV画面に映るサロメを見つめながら、
熱に浮かされたように彼女を賛美する言葉は、多分に彼フィルターのかかったサロメ像なのだけれど、
でも、彼が見た"サロメ"も、間違いなくサロメ自身だったんだろうな、と思います。

そうそう、この舞台、照らすにはTVがおいてあったり、電気スタンドがあったり、バーカウンターがあったり、
二人の兵士は機関銃を持ってたり、ナラボートは拳銃で自殺したりと、
現代的なアイテムがそこかしこにあって、衣裳もけっこうそんな感じだったのですが、
(ヨカナーンとヘロディアは別/笑)
最初はびっくりしたのですが、観ている間はあんまり違和感を感じなかったのですよね。
どうしてかなあ・・・?

役者さんに話を戻しまして。
ヘロディアの近習でナラボートの親友は内藤大希さん。
冒頭の彼とナラボートの会話での、
同じ月を見ていても、ナラボートと彼では全く違う印象を持っているところとか、
ナラボートがサロメを見つめることへの危機感とかが、
物語の不穏さやこの先に待つ事態を暗示している感じで、
この物語の世界にスムーズに入り込むきっかけを作ってくれたように思います。
ナラボートとの関係は同性愛的なニュアンスで描かれていて(ナラボートが死んだときの嘆きはちょっと涙)、
一方通行の想いや、愛する人を亡くすという大枠でのサロメとの共通点が、
決してあからさまではない対比を作っていて興味深かったです。


首斬り役人ナーマンは星智也さん。
牢を囲む塀の内側の階段のあたりにずっといて、ヨカナーンを最初に牢から出すときと、
ヨカナーンの首を斬ってサロメに渡すときに動くくらいで台詞も(たぶん)全くないのですが、
なんだかちょっと目と気持ちに引っかかる存在でした。
その風貌もあるのでしょうけれど。
サロメにヨカナーンの首を渡すとき、「フッ」と鼻で笑うのですが、
この笑いが聞こえるか聞こえないかで、物語の印象がずいぶん変わるのではないかな、と思いました。


そして、この物語で最も重要といえる存在―――月。
登場人物の言葉の中にも、今まさに空にある存在として、
そしてサロメやヨカナーンを譬える存在として、常にこの物語と共にあった月。
ナラボーンと近習が、サロメとヨカナーンが、そしてヘロデ王とヘロディアが見上げる月は、
舞台の上に具象として描かれはしなかったけれど、その存在は常に私の意識の中にありました。
その月は、きっと満月を越えて欠けはじめた、影へと向かう月。
あるいは、後半に赤い月といわれることを考えると、
小さな姫のような、死んだ女のような、純潔な少女のような白い月が、
徐々に太陽の影に蝕まれる月食の夜だったのかもしれません。

ヨカナーンの予言の通り赤く染まった月―――

ラストシーン、鏡に映る血に染まった舞台を見つめながら、
これはもしかしたら、月の視点なのかもしれない、と思いました。
天の高みから、月が視ている世界。
それは、実際に地上で交わされる激情や欲望や悲嘆を生み出す人の血の熱さとは隔たった、
冷たく、何処か無機質で、無感情で・・・でも、怖いくらいに鮮やかな世界なのかもしれません。

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