瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2012/07/01 22:47   >>

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その男が人を殺めるたびに、舞台の上から真っ赤な糸が降りてきました。

一人。
二人。

彼の手が血で染まるたびに、彼の頭上に揺らめく糸の数は増えていきます。

三人。
四人。
五人―――

そして、最後の糸を作り出したのは、彼自身の、血潮でした。


「藪原検校」

2012.7.1 マチネ 世田谷パブリックシアター 2階A列30番台

作:井上ひさし
演出:栗山民也
音楽:井上滋
出演:野村萬斎、秋山菜津子、浅野和之、小日向文世、熊谷真実、山内圭哉、たかお鷹、大鷹明良、
    津田真澄、山ア薫、千葉伸彦(ギター奏者)


5年前、初めてこのお芝居を観ました。
演出は、蜷川幸雄さん。
蜷川さんの演出するお芝居は、いつも私にたくさんのことを突きつけるけれど、
「藪原検校」は、それが特に強くて―――私の中では、とても大事だけれど、とても怖いお芝居になっていました。
だから、今回の栗山さんの演出されるお芝居も、最初はみるつもりはありませんでした。
けれど、タイミングとご縁に恵まれて、もう一度、この物語と向き合う機会をいただきました。

物語そのものの感想は、5年前と大きく変わりませんでした。
母・お志保が杉の市に向ける愛情の深さは、やっぱりとても暖かかったし、
保己市の言葉は、やっぱり私に"彼ら"を思い起こさせました。
物語を知っている分、前回よりも紡がれる言葉の一つ一つを深読みしてしまったかも。
それに加え、最初から身構えて観ていた分、逆に冷静ではいられなくて、
最初から最後まで、何度も何度も涙してしまいました。
終演後、久々にお化粧直しちゃったよ(といってもファンデーションくらいだけど/笑)。

舞台を囲む赤い糸(太さ的には綱だけど、イメージ的には糸)や、
登場人物の一人と言っていいくらいの存在感で奏でられるギターの音など、
蜷川演出と重なる、というかたぶん脚本にそう書かれている部分は同じなのだけれど、
もちろん違う演出、違う役者さんなので、受けた印象は結構違いました。

なんというか、とても端正な舞台、という印象。
上品、といってもいいかなあ。
上手の台に語り手である盲太夫と三味線のようなイメージのギターの千葉さんがずっと座っていたせいか、
二階席から舞台全体をみわたしていたせいか、
その分、役者さんの細かな表情を見るには距離があったせいか、
人形浄瑠璃を観ているような気分になりました。
・・・って、実は文楽はしっかり観たことがないので、イメージなんですが(え)。
蜷川演出にあった、圧倒的に生々しい体温やエネルギーではなくて、
もっとさらっとした肌触り、というのかな。
上手く言えないけれど、どんなシーンにも、常に静謐さが寄り添っているような・・・
蜷川さんの演出は、強い光が作り出す影のくっきりしたコントラストで、
栗山さんの演出は、外側に光を感じさせる薄暗さ、というか・・・うーん、余計わかんないか(汗)。
個人的には、二人の演出家さんの個性が強く感じられて、とても興味深かったです。
それは、役者さんも同じで。

杉の市役は、野村萬斎さん。
実際にお芝居を観るのは、2度目くらいかな?
狂言というしっかりとした足場の上に、
とても表情豊かである意味純真で、そして本能的であるが故に怖いくらいに頭の切れる杉の市を見せてくれました。
いやもうすっごい知的な杉の市でびっくり!(おい)
やっていることはもちろんとんでもないのですが、
自分を取り巻く状況が変化していく中で、なんともしなやかに生きて伸し上がっていく様は、
ちょっと観ていて気持ちがいいくらいでした。
結局杉の市って、「検校になる」という母の願いというか母との約束を全うしようとしただけなんですよね。
いえ、もちろん他にもいろんな野望や思いはあるのだけれど、
彼の根本は、やっぱり母にあるんだなあ、と思ってしまいました。
そう感じたのは、お市を手にかけた彼が、町の人たちに罵られるシーン。
母・お志保を演じた熊谷さんの演じる町人(?)が叫んだ罵りの言葉を聞いた瞬間でした。
その言葉は、お志保が、眼の見えない息子を育てていたら、
どんなにその子を愛していても、いつか叫んでしまうかもしれない、と懸念していた言葉でした。
そして、その言葉を聞いた瞬間の、杉の市―――二代目藪原検校の表情・・・
生まれて六月の赤子だった彼は、母の言葉を覚えているはずはありません。
でも、あの瞬間、あの言葉を、彼は母の言葉として受け取ったのかもしれない。
なんだか、そんな風に感じてしまいました。

そして、その後の処刑のシーン。
上から降りてきた藪原検校の姿は、人には見えませんでした。
白く細い身体の上にある、白くごつごつした、決して人には見えない大きな頭。
それは、もしかしたら、詮議の場で受けた暴力の結果の表現なのかもしれません。
でも私には、その姿こそが、周りにいる者たちが見ている"彼"の姿なのだと思いました。
醜く、不気味で、恐ろしい、自分たちとは全く違う存在―――
晴眼者たちが見る"彼"―――自分たちの姿がこうであることを、きっと保己市だけが知っていた。
そう思ったら、藪原検校に敢えてこの最期を演出した保己市の真意の端を捕えられたような気がしました。


塙保己市を演じたのは、小日向文世さん。
たぶん、舞台で観るのは初めてですが、ドラマと同じ柔らかで静かな声が印象的でした。
そして、声と同じ柔らかで静かな微笑み―――でも、その奥に、彼はどれだけの暗闇を隠しているんだろう?
そんな風に感じさせる保己市でした。

杉の市のお父さんも演じてらっしゃいましたが、全然雰囲気が違うんですよねー。
赤ちゃんな杉の市を挟んで、両親がその可愛さを言い募るシーンは、
やっぱりとってもとっても微笑ましかったです。
その後、赤ちゃんの目が見えない、ということを認識した後のシーンは、やっぱりきつかったなあ・・・
子どもに病気や障害があると知った親たちは、きっと多かれ少なかれこういう想いを持つんだろうな、と思う。
もちろん、感じ方や受け止め方は人それぞれだし、受け入れるキャパも人それぞれで一概には言えないけれど。
でも、可愛くて大事だからこそ、抑えきれない思いもあるのだと思う。
赤ちゃんを抱きしめて、その未来のために心を決めていく母親と、
それをただ見つめることしかできない父親の姿の対比も鮮やかでした。


母・お志保役は熊谷さん。
メイクとお得意(笑)の変顔で、なんとも可愛らしく情の深いお志保を見せてくださいました。
杉の市の原点であるお志保。
彼女の愛情と、母としての強さがしっかりしていないと、
杉の市の生き方そのものが曖昧になってしまう。
ある意味この物語の根っこは、お志保なのかもしれないなあ、と思いました。
でもって、日本橋の橋番も、顔中震わせての表現に思わず内心拍手!

お志保が原点であるならば、杉の市の人生のターニングポイントであるのが、
秋山さん演じるお市なのかなあ、と思ってみたり。
なんとも強かで、情が深く、美しいお市でした。
そして、「母」である以上に、「女」でしかいられなかった人なのだと思う。
夫に刺された彼女を、その泣き声で救った赤ちゃんを、きっと彼女は捨ててきたんだよね。
愛する杉の市に瓜二つの赤子は、彼女にとって杉の市と自分を繋ぐものでしかなかった。
だから、杉の市を追いかけるために、あっさりと置き去りにできたんだと思う。
その辺は物語では全然描かれないのだけれど、
杉の市の目の前に現れた時のお市からは、そのくらい深い情が感じられました。
辛酸を舐めても生き抜いて、杉の市を追い続け、激しい言葉を投げかけても、
杉の市の優しい言葉と口付けに、あっさりとほだされてしまう彼女。
あの瞬間の、子どものようにあどけない表情に、ちょっと胸を衝かれました。
再び杉の市の前に現れるときの、破れ傘を被ったお市の歌とギターのシーン、
とても綺麗で、でも同じくらい怖くて、切なくて、とても印象的でした。
最後の白髪で現れたときも、ちょっとはっとしました。
やっぱり彼女は杉の市の運命の女だったんだよね。


山内圭哉さん。
すっごく久々に拝見しました。
あの飄々とした佇まいは、やっぱりとっても魅力的ですよね。
熊の市の語り口も楽しませてもらいましたが、佐久間検校が凄いお似合いでv(褒めてます!)

大鷹明良さんは、「炎の人」以来かな。
凄くたくさんの役を演じてらっしゃって、あとから改めてプログラムを見直してびっくり!
個人的には、刀研ぎ師が好みでしたv(おい)


盲太夫役の浅野さん。
語り手ということで、彼の言葉で物語が始まり、彼の言葉で終わっていくわけなのですが、
とにかく素晴らしかったです!
語りはもちろん、早物語の時の注釈での役者さんとの絡みや、
保己市との掛け合いなども、緩急自在でとっても楽しませていただきましたが、
語っていないときの仕草や表情に、
盲太夫が、二代目藪原検校の生き様に、どれだけの思いをこめているのかが感じられて。
舞台の上に常にいながら、ふっと気配が消えるときがあると思えば、
語っていないのに、彼の心情が感じられる瞬間があったり・・・
観ている間、常に意識のどこかは盲太夫に向いていたような気がします。


もう一つ、常に私の意識に引っかかっていたのが、赤い、糸。
杉の市が人を殺めるたびに増えていくその糸から、私は何故か蜘蛛の糸を連想してしまいました。
あの、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。
もちろん、全然違うのは解かっているのだけれど、
あの血染めの糸は、杉の市が今いる場所から這い上がるための手がかりであったのかな、と思う。
でも、どの糸も、決して彼の手には届かなくて、彼の頭上で、ただその影を揺らすだけ―――
最後には、彼自身の流した血が、その糸の最後の束になったのだけれど、
もしかしたら、この糸は、保己市たち盲人だけでなく、
現世に生きる人たち全てに伸ばされた、糸なのかもしれない。
そんな風に、感じました。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
恭穂さま
すばらしい舞台でしたね。
そして、恭穂さんの相変わらず深い洞察、
心して読ませていただきました。

>人形浄瑠璃を観ているような気分になりました
これ、その通りみたいですよ。何かの解説で読みました。
盲太夫だけが現実で、それ以外は人形浄瑠璃で演じられて
いるイメージなのだとか。

野村萬斎さんの杉の市が想像以上にハマっていて
すばらしかったので、古田さんがどんなだったか
忘れてしまいそうでした。
戯曲が詳細に書かれていることもあって、演出や
舞台装置にそんなに大きな違いは感じられなかった
のですが、演じる役者さんやそのアンサンブルに
よって醸し出される全体の印象の違いは大きかったです。

大鷹明良さんは私は結解が好きでした。
そして、山内圭哉さん@佐久間検校の「けっけ〜」と
呼ぶ声が今も耳に残っています(笑)。
スキップ
2012/07/17 01:01
スキップさん、こんばんは!

おお、あれは人形浄瑠璃で合っていたのですね。
人形浄瑠璃、いつか観てみたいのですが、
なかなかチケットがとれず…
そのうち大阪まで行っちゃうかもです(笑)。

野村さんの杉の市、びっくりするくらいはまっていましたね。
個人的には古田さんの杉の市が衝撃的過ぎたので(笑)、
ちょっと記憶が呼び覚まされてしまって難儀しました。

同じ戯曲であっても、アプローチの仕方の違いで、
こんなにも雰囲気が違うのかとびっくりしました。
そういえば、「天保十二年のシェイクスピア」も、
蜷川版と新感線版の違いに驚いた記憶が・・・
またこういう機会があったら、是非観てみたいです。
恭穂
2012/07/17 20:35

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