瓔珞の音

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zoom RSS 膜の向こう

<<   作成日時 : 2012/09/30 22:38   >>

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昔、日本書紀や古事記に嵌って関連書籍を読んだことがあります。
記録として残る歴史。
それは、勝者にとっての、記録。
神話という、ある意味荒唐無稽な物語の向こうに、でも"真実"はきっと確かに存在しているはずで。

創られた"真実"
歪められた"真実"
望まれた"真実"
その後ろにある、"真実"であったはずの"真実"―――

私が生きている今は、
私という存在は、
本当に"真実"なのだろうか。

見終わった後、そんな漠然とした心もとなさを感じました。


NODA・MAP 第17回公演
「エッグ」

2012.9.20 ソワレ 東京芸術劇場 プレイハウス

作・演出:野田秀樹
音楽:椎名林檎
出演:妻夫木聡、深津絵里、仲村トオル、秋山菜津子、大倉孝二、野田秀樹、橋爪功、他


ここ最近、チケットだけ取っておいて、まったく何も情報を得ずに舞台に臨むことが多いです。
この作品も、野田地図、というだけでチケットをとってしまったので、
出演者すら、劇場に行ってプログラムを買ってやっと知った、という状況でした。
というか、野田地図の舞台は粗筋を読んでいてもわからないし(というか、プログラムに粗筋ないし・・・)、
とりあえず、役者さんとその役名だけ簡単に頭に入れて、
まっさらな気持ちで臨むことにしています。
で、今回の舞台もそういう形だったわけですが・・・いやー、相変わらず野田さんの舞台はキツイです。

とはいえ、これまで見た舞台とはちょっと趣が違うなあ、とも感じました。
構造上の難しさだけではなくて、うーん、なんと言ったら良いのかな・・・
難しい問題集の一番難しい問題と解説があって、でも、その最後のページだけ切り取られちゃった感じ?
全てのものがめまぐるしく変わっていく場面の果て、その中心にある"何か"を、目の前でふっと隠されて、
「さあ、あなたが目にしたものは何?」とにこやかに問われてるような・・・
余計わかんないですね(笑)。

物語は、改装を終えたばかりの劇場にやってきた女子学生たちを、劇場案内係が案内するところから始まります。
そういえが、この劇場も改装されてから初めて来ました。
ちょっと雰囲気が世田谷パブリックシアターに似てるかな?
サイドの席でしたが、結構観やすかったし、椅子の座り心地も良かったですv
で、物語に話をもどしまして!
テンションの高い劇場案内係(女性だけど野田さん/笑)と一緒に、客席まで降りてくる学生たち。
その一人が、劇場の梁に隠されるように貼ってあった古い脚本を見つけ出します。
表紙に書かれているのは「エッグ」という表題と寺山修司という署名。
あの寺山の遺作を発見?と驚いた劇場案内係は、
恋人である芸術監督(野田さん二役)にその原稿を渡します。
そして、完全な形でないその脚本を読む芸術監督の前に現れたのは、
その脚本の中の登場人物、消田監督(橋爪功)。
二人は、「エッグ」の世界を完全のものにするために、その世界に入り込んでいきます。
そこに書かれていたのは、エッグというスポーツのオリンピック代表を決める試合の控え室。
中国との対戦を控えた日本チームは、チームの中心である粒来幸吉(仲村トオル)の檄のもと、
テンションを上げつつありました。
そこに現れたのは、新人エッガーの阿部比羅夫(妻夫木聡)。
チームメイトが怪我で倒れ苦境に立たされたチームを勝利に導いたのは、
ピークを過ぎた粒来ではなく、阿部でした。
しかし、オリンピック出場を喜ぶのもつかの間、性別偽称疑惑が持ち上がり・・・
実は、エッグは女性のスポーツだったのです!
「すっかり男のスポーツだと思い込んでいた」と言う芸術監督。
物語の続きは、看護師の白衣を着た選手たちが、再びオリンピックを目指す4年後に。
けれど、物語はその後も明らかになる"真実"を前に、どんどんその様相を変えて行きます。

彼らが目指すオリンピックは、東京オリンピックだった。
その東京オリンピックは、1964年のものではなく、1940年に行われるはずだった幻のオリンピックであった。
そのオリンピックは、東京ではなく満州で行われるものだった。
満州で生まれたエッグは、もとは医学生が卵を割らずに穴を開けることから始まった競技だった。
その卵は、ワクチンを作るためのものだった。
そして、そのワクチンの研究を行っていたのは―――

エッグをチームメイトに託し、自ら命を断った粒来。
粒来を敬愛し、最期まで彼を信じ続けた平川(大倉孝二)が飲んだ水に入っていたもの。
粒来を愛しながら、阿部と結婚したシンガーソングライター・苺イチエ(深津絵里)。
控え室という名の研究所の中に並ぶ白いロッカーの中に潜んだ彼女が知った"真実"。
彼女を守るために、その"真実"を手にしたのは自分だという阿部。
"真実"を阿部に押し付け、新しい時代を生きるために不要なものを切り捨てていく、
オーナー(秋山菜津子)と消田監督。
彼らとともに、再び白衣を纏うのは、死んだはずの粒来。
そして、エッグの英雄として死んでいく阿部の傍に残る苺イチエ―――

一枚だと透明に近くても、重なり合えば不透明になる薄い膜。
その膜を一枚ずつ剥がすように、「エッグ」の世界はその在り方を変えて行き、
目の前にある事実が、"真実"の意図的に歪められた"真実"であることが明らかになり、
徐々に見えてくる膜の向こうには、悶え苦しむ沢山の人たちがいて・・・
でも、自分が見ているものが"真実"なのかもわからなくなってくる。

最後、舞台の奥に一人立つ芸術監督が、にこやかに告げます。
「寺山修司に『エッグ』という戯曲はなく、私に愛人もいません」
と。

この物語がフィクションであることはわかっている。
寺山修司に「エッグ」という戯曲がないこともわかっている。

でも。

この幾重もの膜に包まれた物語に接した後だと、
その言葉すら何かを隠す膜であるようにしか思えない。

私が目にしているものは、私が耳にしているものは、本当に存在するものなのか。
私が知る"事実"は、本当に"真実"なのか。
そもそも、誰にでも等しく"真実"であるといえるものはあるのか。

見えているもの、見えていないもの。
聞こえるもの、聞こえないもの。
知っているもの、知らないもの。

全てがあやふやで、なんだか泣きたい位心もとない気持ちになった。
もし"真実"を知ることと知らないこととどちらを選ぶかと訊かれたら、後者を選ぶと思うけれど、
でも、どちらが本当に"シアワセ"なのかはわからない。
そんな、ちょっと絶望的な気持ちにもさせられました。
うーん、やっぱり野田さんは怖いなあ・・・


阿部役、妻夫木くん。
彼の舞台は、それこそ野田地図でしか見ていませんが、
観るたびになんというか逞しくなっていく気がします。
いえ、今回の役柄がそう思わせたのかもしれませんが・・・
礼儀知らずで空気の読めない田舎者の新人選手―――と最初に思っていた彼がいたことで、
エッグが飛躍的な進歩を遂げる。
彼はただ真っ直ぐに前を向いていただけなのに、ただ苺を愛していただけなのに、
自分の手は忌まわしいものを生み出し、愛した女は別の男を見つめ続けて恐ろしい"真実"に辿り着く。
全てを背負い―――背負わされて、エッグの英雄として死んでいく阿部。
彼が見た、満州を逃げ惑う人々と、その末期。
明るい彼の笑顔が、どんどん暗く歪んで、けれど眼差しだけは真摯なままであったことが、
なんだかとても愛しくなりました。

苺役は深津さん。
舞台で拝見するのは初めてですが、よく通る声と華奢な手足がとても印象的でした。
というか、歌、めちゃくちゃお上手なんですが?!
開演前にちょっと悩んで、でもCD付きのプログラムを買ったこと、心底良かった!と思っちゃいました。
奇抜な格好もしっかりお似合いで(笑)、
欲しいものは欲しいと、人に真っ直ぐに向かい合うところが、
この物語の中では爽快な風のように感じました。
全ての"真実"を知った後で、自分を庇って"事故"に遭った阿部。
戦時中の闇を切り捨て振り切って、新しい時代へ向かって強かに生きていく両親の手を振り払って、
阿部に全ての"真実"を押し付けて、再び白衣を纏い未来へ向かう愛した男に背を向けて、
阿部の傍で最期を迎えることを選ぶ苺。
それは、ただの義憤ではなく、反抗でもなく、純粋な気持ちのように思えました。
広い舞台の中央で寄り添う二人の姿を見ていたら、他の何かどうであっても、
今はこの二人が"真実"なんだな、とちょっと思って、ちょっとほっとしました。

粒来役は仲村さん。
舞台で拝見するのは初めてですが、TVとあまり印象が変わらなくてびっくり!(笑)
というか、あの筋肉は芸術的と言っていい域なのではないかと・・・
才能ある新人選手を前にフィールドに出る回数も減っていくピークを越えたベテラン選手、
という最初の立ち位置から、どんどん彼の印象は変わっていきました。
もの凄く冷酷な雰囲気を見せるときもあって、でも、どこか情の深さも覗かせて・・・
個人的にはとても謎な人物でした。

オーナー役は、秋山さん。
世界中の9割のものを手にしているオーナー、というとんでもない役柄を、
非常に魅力的な高飛車さで演じてらっしゃいましたv
いやー、ほんと秋山さん素敵!
あの光沢のある深い赤のパンツスーツ(というか乗馬ズボンみたいに見えた)が似合うところが凄い。
鞭とか持ってても違和感ないよね。
エッグチームのオーナーであり、
エッグをオリンピック競技にねじ込むだけの権力もあり、
けれど、自ら把握しているはずの情報に振り回される、オーナー。
噂、と言っていたけれど、つぶやき、とも言っていたから、やっぱりツイッターの暗喩なのかなあ・・・
この物語の全ての背後にいながら、忌まわしいものは全て捨てて新しい世界へ歩む彼女は、
でも、それが当然と思わせるだけの存在感があったように思います。
それは、正しいかどうかは別としても、オーナーは揺るがない信念を持っていたんだな、と。

消田監督役、橋爪さん。
エッグの監督だけど、実はオーナーの夫で、苺の父、という彼。
現実(?)世界の芸術監督とのコンタクトを取りながら、この物語の時間を進めて―――いや、遡らせる彼。
飄々とした穏やかな佇まいと声音の中に、なんだか底知れない怖さがありました。
実は、この世界を全て掌握していたのは、オーナーではなくて監督なのかもしれないなあ。

平川役は大倉さん。
エッガーの一人で、粒来に心酔している大倉。
試合の最初から怪我をしたり、試合が始まる前に控え室に置かれていた水を飲んで腹痛を起こしたり・・・と、
ちょっと大変なことばかりの役柄ですが、
その水の"真実"も含めて、物語の核心に最初からとても近い位置にいたのかも、と思いました。
というか、彼は漠然とだけど粒来の"真実"を知っていて、
その上でああいう風に振舞うことを選んだのかなあ。
なんだかとても誠実な印象を受けました。

お床山役は藤井さん。
苺のマネージャー?スタイリスト?付き人?という位置から、
オーナーによってエッグの広報担当となって、エッグの紹介映像を作り・・・という役柄。
平川とは対極のような役だなあ、と思いました。
彼にとっては、"真実"はきっとそれほど大事ではないんだろうな。
ある意味、とっても現実的な生き方なのかもしれません。

そして、コロス、なのかな?
いろんな役を演じる沢山の若い役者さんたちがいました。
何も知らないまま、目の前のことに熱狂する女子高生。
自分が何をやっているのかすら、昂揚の前に霧散するエッガー。
疑心暗鬼の果てに、見ることをやめる人々。
半透明の膜の向こう、満たされる白いガスの中にいる人々。
故郷へ向けてただひたすらに広い大地を歩き続ける、人々。
そして、多分、唯一の小道具であり、セットであった白いロッカーを動かし続けた、彼ら。
本当にお疲れさまでした!

あの白いロッカーも、とっても秀逸だったなあ。
出入りする扉になったり、隠れるための場所になったり、シャワーブースになったり花束になったりするだけでなく、
その中には常に何らかの"真実"がしまわれていたように思います。

そして、芸術監督でありその愛人の劇場案内係であった野田さん。
舞台の上を自由に縦横無尽に動き回り、
そしてふとした瞬間に舞台の全てを支配する野田さん。
やっぱりとても魅力的で、同じくらい怖い人だな、と思いました。
野田さんの思考を、たぶん私はいつまでたっても正確には理解できないだろうし、
彼の投げかけた問いに上手く答えることは出来ないと思う。
でも、きっと野田さんの投げかけるものに向かい合うことが、私にはたまらない魅力なのだと思う。
たとえ、恐怖に満たされるのだとしても。

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