瓔珞の音

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zoom RSS 渇きの大地

<<   作成日時 : 2012/10/24 21:42   >>

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彼らの生きるその大地は、乾ききった赤い砂で覆われていました。
彼らの流す涙も、血も、全てを吸い込んで、
それでもなお、癒すことのできない渇きに喘ぐ大地―――



「リチャード三世」

2012.10.20 マチネ 新国立劇場中劇場 1階12列50番台

演出:鵜山仁
出演:岡本健一、中島朋子、浦井健治、立川三貴族、倉野章子、木下浩之、今井朋彦、吉村直、那須佐代子、
    森万紀、清原達之、城全能成、関戸将志、松角洋平、前田一世、浦野伸介 他

鵜山演出の「ヘンリー六世」を観たのが、ちょうど3年前。
舞台の前に張られた水面が象徴するように、静かで端正な舞台でした。
その中で、生々しい存在感を放っていた、岡本さんのグロスター公リチャード。
観終わった後、岡本さんのリチャード三世も観たいなあ、と思ったのですが、
その願いが、この舞台で叶いました。
というか、そもそも、この舞台って思いっきり「ヘンリー六世」の続編、という立ち位置で創られているようですね。
役者陣も前の役そのままな方が多いし、
ヘンリー六世だった浦井くんが、彼が王になると予言したリッチモンド伯を演じることで、
4部作の物語が完結した、という印象が強いです。

舞台セットは、なだらかな起伏のある地面が赤い砂に覆われていて、
その中央に鏡のような滑らかな回り舞台がありました。
その奥には、大きな黒い太陽(日食?)。
そして、舞台を前後に区切るような透明ビニールの幕。
その幕を押しのけるようにして舞台中央にリチャードが歩いてくる冒頭の演出は、
ちょっと背筋が寒くなるような禍々しさがありました。

うーん、でも、岡本さんのリチャードは、ちょっと私がイメージしていたのとは違うかな?
「ヘンリー六世」で感じたよりも、ずっと矮小な印象でした。
自分の手には入らない全てを壊す悪党になる、という最初の言葉に象徴されるような凄味のある佇まいが、
王になった瞬間に、臆病で姑息な男に成り下がっちゃった感じ。
これはこれで戯曲に忠実なのかもしれないし、
そもそも私の勝手な思い込みのイメージなので思いっきり間違えた印象なのかもですが・・・
でも、できればリチャードには、本人が意識していない深層の部分であったとしても、
アンに対する情熱や、母に対する切望があってほしかったなあ、と思ってしまうのです。
とはいえ、あの長台詞をまったく力みのない自然さで、でも全然飽きさせずに聞かせるのはさすが!
ラストシーンで、死したリチャードがすっと立ち上がって、
冒頭とは逆に舞台の奥の暗がりに歩んでいく歪みのない真っ直ぐな姿は、
静かだけれど、冒頭と同じくらいのインパクトがありました。
リアルタイムの映像を映したり子役はパペットを用いる演出や、前述のビニールの幕の効果もあってか、
物語の全てが、リチャードの見た、あるいは捕らえられた夢だったのかなあ、という風にも感じました。


嘆きや怒号や叫びはあっても、何故か全体的に静けさの感じられたこの舞台、
やっぱり素晴らしい!と思ったのは、中島さんのマーガレットでした。
前回の舞台でも、その鮮やかで説得力のある存在感に魅了されましたが、
その同じ時間軸の上にこの舞台があるのだと、マーガレットの存在が更に強く感じさせてくれたように思います。
乱れた真っ白な髪と、薄汚れた白い衣裳、青白い顔色で、でも目だけは力を失わず、
真っ直ぐに相手を見つめて彼女が紡ぐ呪いの言葉の滑らかな響きは、
呪いの言葉であるはずなのに、まるで歌を聞いているかのような美しさがありました。
舞台の奥から、リチャードたちを見つめる姿も、すっと気持ちを惹かれるような存在感がありました。
そして、彼女の言葉と表情を観ていて、
ああ、マーガレットの中には、確かにヘンリー六世に向かう"情"があったのだなあ、と思いました。
それは、愛ではなかったかもしれないけど、そう感じれたことがなんだか嬉しかったですv

「リチャード三世」って、女性、というか母親の物語でもあるよな、と前から思っていたのですが、
今回の舞台を観て、更にその思いが強くなりました。
マーガレットもですが、那須さんのエリザベスも、倉野さんのヨーク公爵夫人も、
"母"としての意識がとても強いのですよね。
だからこその嘆きであり、互いに対する怒りであり、憎しみであるのだけれど、
リチャード三世という一人の共通の敵を前にし、その感情が極限に達した時に、
三人の感情がすっと寄り添った瞬間は、何故か清々しささえ感じてしまいました。
同時に、リチャードのことを思うと、胸が痛くて仕方がなかったんですけどね・・・(涙)
そういえば、最初の登場の時には鮮やかな青だったエリザベスの衣裳が、
2幕の三人のシーンでは色褪せたようになっていました。
ヨーク公爵夫人のドレスの色も、さらに白く抜け落ちたようになっていたような・・・
憎しみと哀しみと呪いの果てに、二人もマーガレットと同じような"白"になるのかなあ、と、
ちょっと思ってしまいました。

今井さんのエドワード4世と前田さんのクラレンス公も、前作からの同じ役。
前作で感じたエドワードの軽さと、クラレンス公の口の上手さは今作も健在でしたv
が、正直、本役よりも、黒い衣裳でパペットを操ってる姿の方が印象に残ってたり(笑)。
いやだって、見事な演じ分けだったのだもの!(笑)
きちんと自分の息子や娘を演じていて、
周りの人達と大真面目に会話してるかと思ったら、
子どもらしく(?)突飛のない行動(しゃーっと威嚇したりとか/笑)をとるのもまた微笑ましくv

でもって、浦井くんのリッチモンド伯。
いやー、なんというか、本当に"正しい"存在に描かれていて、ちょっとびっくりしてしまいました。
いえ、これまで観てきた「リチャード三世」では、
リッチモンド伯もまた暗い闇の部分を持っている印象だったんですね。
それは、野心であったり、傲慢さであったり、破壊衝動であったり、いろいろなんですが・・・
でも、浦井くんのリッチモンド伯はほんとに素直で裏表がなくて、
その存在感は、この裏切りと陰謀と野心と殺戮に満ちた舞台の中では、なんとも眩しいくらいでした。
彼が創る未来は、確かに白薔薇と赤薔薇を纏め上げた平和に繋がっている、と思えてしまったあたり、
演出の妙なのか、浦井くんの中にあるヘンリー六世の面影なのか?
そういうリッチモンド伯なので、リチャードが余計に矮小に見えちゃった感はあります。
悪夢のシーンの回り舞台を使った演出もそれを増長していたかも。
でも、戦いの前に黒かった彼の衣裳が、戦いの後には赤と黒の斑のようになっていたのは、
彼が決してヘンリー六世のように高みにある存在ではないことを象徴しているようで、
なんとも感慨深く感じてしまいました。


今回の舞台を観て、私の中では"リチャード三世"という役は、
"エリザベート"と同じような感じなんだな、と思いました。
出逢う"彼ら"はみんな魅力的ではあるのだけれど、
心の底からしっくりくる"彼ら"にはまだ出逢えていないのです。
いつか、私の中の求める"彼ら"に出逢えるのかはわかりません。
でも、いつか出逢えることを信じて、また、誰かの"リチャード三世"に会いに行くのだと思います。

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