瓔珞の音

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zoom RSS 一つの街の、異なる歴史

<<   作成日時 : 2013/01/24 22:40   >>

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寒い寒いといっていたら、いつの間にか蝋梅が綺麗な季節になりましたね。
通勤路には蝋梅の木が何本もあるのですが、車通勤だとその香を感じることができず、ちょっと残念。
蝋梅は、あの不用意に触れたらぱきんと折れてしまいそうな雰囲気の、繊細な花がとても魅力的。
実際に触れたときの柔らかさとのギャップに、いつも触れる瞬間心ときめいておりますv
実家にも植えたばかりの蝋梅が1本。
先週帰ったときにはまだ固い蕾でしたが、次に帰省するときは、その花が見れるかな?

さて、寒さや低気圧やお仕事や煩悩(え)や気後れに負けて、
すっかり書きそびれていた観劇記録を。



「祈りと怪物 〜ウィルヴィルの三姉妹〜」 Ninagawa version

2013.1.13 マチネ シアターコクーン 1階XC列一桁台

作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出:蜷川幸雄
出演:森田剛、満島真之介、橋本さとし、三宅弘城、野々すみ花、新川將人、村杉蝉之介、染谷将太、三田和代、
    古田一行、勝村政信、原田美枝子、中嶋朋子、宮本裕子、渡辺真起子、伊藤蘭、大石継太、石井愃一 他


Kera Ver.を観たのが、去年の末。
3週間ほどの時間を空けて、蜷川さんバージョンを観てきました。
違うプレイガイドで確保した席ですが、奇しくも同じ席での観劇。
Keraさんの演出が個人的に本当に怖くて仕方なかったので、
蜷川さんの演出だと、どれだけ生々しく恐ろしい舞台になるだろう、と、
ちょっと戦々恐々としながら劇場に向かったのですが―――
私の目の前に現れたウィルヴィルの街は、私が想像していたものとはまるで違っていました。
何故か、生々しさよりも無機質さが感じられたのです。

それは、一段高くなった四角い舞台の上と下を巧みに使った最小限のセットからの印象でもあり、
和洋の喪服を纏ったコロスたちを照らす白い光でもあり、
彼らが歌う、単調なのにだからこそ強い感情が感じられるラップのリズムによるものでもあり・・・

なんというか、古い映画を観ているような気分になりました。
目の前ではなく、次元の違う遠いどこかで起きている出来事のような。
だからかな。
こちらの舞台では、あまり怖さは感じませんでした。
むしろ、パーッと突き抜けた明るさのようなものがあったかも。
もちろん、それは既に内容を知っているために、めいっぱい身構えていた結果なのかもしれませんが。
舞台セットの形上、前方席では舞台の全容が見えなかったり、
電光掲示板をちょくちょく見上げてたので、あまり舞台世界に入り込まなかったせいもあるかな・・・?
あとは、やっぱりKERAさんバージョンといろいろ比べながら観ちゃったから、というのもあると思います。
おお!この役をこの人がやるんだ!とか、
なるほど、このシーンはこんな風なのね、とか、どうしても思っちゃいますよね。
蜷川さんバージョンを先に観ていたら、また受ける印象が違っていたのかな。

ともあれこの舞台、私的には蜷川さんらしさがちょっと浮いてしまっているように感じました。
コロスたちの衣裳にしろ持ち物にしろ、ラップにしろ、舞台を囲む鏡にしろ、降りしきる雨にしろ・・・
その浮いた感じが奇妙な白々しさになって、ある意味不思議な無機質さに繋がっていたのかもしれません。

今になって思い返すと、KERAさんは人々通して"ウィルヴィル"という街を描き、
蜷川さんはウィルヴィルという街の境界を曖昧にすることでそこに生きる"人々"を描いたのかなあ、
なんて思います。
うん、でもたぶんこれは思い込みだな(笑)。

そんな無機質な舞台の中、役者さんたちが演じる人々は、それぞれに異彩を放っていました。

勝村さん演じるドン・カラスは、一見すると勝村さんとはわからないようなしつらえ。
外見は確かに70過ぎなのに、その身の内の化け物じみたエネルギーが感じられました。
でも、何故かもの凄い説得力のあるドン・カラスなんですよねー。
彼の言っていることや彼の倫理って、やっぱりどうにも違和感があるんですが、
その違和感を通り越して、もしかしてこの人が言っていることは正しいのかも?ってちょっと一瞬考えちゃうの。
いや、危ない危ない(笑)。
でもって更に、なんだかほっとけないような愛嬌があるのは、やっぱり勝村さんならではなのかしら?
トビーアスとパブロに詰め寄るシーンで、一段高い舞台の上から思いっきり落っこちて、
本気で痛そうだったので、一瞬思いっきり心配したのですが、
他の方の観劇記録を読むと、これってアクシデントではなくルーチンだったようで・・・
でも、ほんとに怪我をしてしまいそうで、今でもやっぱり心配だったりします。


もう一人、その存在そのものがこの舞台の上で異質だ、と感じたのが、染谷くん演じるヤン。
外見は幼いとさえいえる感じなのに、発せられる雰囲気がめちゃくちゃ綺麗で且つ妖しいのです!
まさに異質。
これが初舞台、ということで、思い返してみれば台詞とかもちょっと聞き取りにくかったのですが、
そういうことを補って余りある存在感に目を奪われました。
影を背負う、というよりも、彼そのものが底知れない影、という印象。
このヤンだったら、眉一つ動かさずに老女を崖から突き落とすし、
その同じ相手を何の後ろめたさもなく篭絡するよなー、と納得しちゃいました。
だってこのヤン、絶対ジャムジャムダーラと肉体関係あったよね?
でもって、テンとの関係も、あくまで手段の一つだったように思います。
中嶋さんのテンとの組み合わせは、明らかにテンの方が年上で、
ヤンを弄んでるうちにすっかり嵌り込んでしまった、という感じ。
聡明さの感じられるテンが、若いヤンに振り回される様子は、ちょっと痛々しささえ感じてしまいました。


森田くんのトビーアスと宮本さんのマチケのカップルは、
もう最初から最後まで全然交わらない感じ。
なんというか二人のいる次元がそもそも違うというか(笑)。
というか、私的にはトビーアスのパブロへの依存がもの凄く印象的でした。
しかも、その依存の仕方が凄い病的なの。
ただ頼りにしている、というのではなくて、
彼にくっついていることで、彼の行動を追体験している感じ?
だからなのか、パブロを失ってからの静かな壊れっぷりが、ちょっと怖いくらいでした。
後半にトビーアスの長い独白があったのですが(これ、KERAバージョンではなかったような?)、
その綺麗に病んでいる感じが、少年のような森田くんの外見と相まって、なんだ目が離せませんでした。
彼の最期のシーンは降りしきる雨の中だったのですが、
びしょ濡れになりながら、それでもなおドン・カラスへと縋りつく彼の力の強さに、
彼をここまで掻き立てる―――あるいは縛り付けているものはなんなのかな、と思いました。
小出くんのトビーアスとは全然違うアプローチなのですが、
やっぱりどちらも私には謎の多い存在だったなあ・・・(笑)

でもって、満島くん演じるパブロが、もう拍手したいくらい真っ直ぐなんですよね。
・・・その方向性はさておき(笑)。
多分初めて観る役者さんなのですが、大きな目が場面場面で異なる光を放つ感じ。
野々さん演じるレティーシャとのシーンが目の前だったのですが、
なんというかこの無機質な舞台の上で、この二人からは血の暖かさが感じられたように思います。
野々さんも初見ですが、可愛らしさと綺麗さがすっきりと混ざり合った感じ。
カッサンドラの時の凛とした声と強い瞳も印象的でしたが、
やっぱりレティーシャのときの初々しくも陰のある、でも常に未来をみているような微笑が好きでした。


大石さんのアリストと、伊藤さんのメメのご夫妻は、最初からちょっと危うい感じ。
でも、リアルさも感じられました。
彼らが見ていた"息子"は、KERAバージョンのような"大きな存在"ではなく、
あくまで彼らの息子の姿をしていたように思います。
その"息子"への対応も、パキオテへの対応も、なんだかとっても利己的だったような・・・?
でも、そういうリアルさがある文、アリストと新川さん演じるローケの関係が、
単なる友人の弟、兄の友人ではなくて、もっとずっと複雑なもののようにも思えました。
あ、2幕の最後かな、アリストとメメがバケツいっぱいの蛹から孵った蝶を放つシーンはめちゃくちゃ綺麗でした。
舞台にもその外側にもくっきりと照明の虹が描かれていて、
そこに白と黄色の紙でできた無数の蝶が舞い上がる様ははっとするほど美しくて、
この後の悲劇を一瞬忘れてしまいました。


三宅さん演じるパキオテは、大倉さんのパキオテと枠組みとしては似ているように思いました。
でも、メメさんとの関係が全然違うように感じられました。
うーん、上手く言葉では表せないのだけれど・・・
二人が呼び合うシーンとか、パキオテがメメさんを肩に抱き上げるところとか、
もの凄く微笑ましいのだけど、同じくらい心配なような。
なんか、三宅さんのパキオテって、全てをわかってたような気がします。

橋本さんのドンドンラーラは、さすが!な胡散臭さと情の深さが素晴らしかったですv
いやー、あの衣裳、ほんとにお似合い!
出てきた瞬間に、おおお!と思いましたもの(笑)。
調子のいい男だなあ、という感じですが、パキオテへの愛情はとっても深くて・・・
本当にこの二人の旅は楽しかったんだろうなあ、と思いました。
パブロとレティーシャのカップルと同じく、この物語では癒し系のコンビだったように思います。


他にもいろいろ書きたいことはあったのですが、さすがに記憶が曖昧になっちゃったなあ。

最後のシーン、落ちぶれたドン・カラスは、舞台奥に開いた扉を抜けて街の喧騒に紛れていきます。
(というか、ここは私の席では見えなかったので、そうだと思う)
KERAバージョンとのこの対比は、まさにウィルヴィルという街の対比でもあったように思います。
一つの戯曲を続けて上演する演出対決。
個人的には、繊細で美しくも醜悪な絵本のようなKERAバージョンの方が好きかな、とも思いますが、
もっと後ろの席で舞台全体を観ることができたら、また違う印象だったかもしれません。
この二つの舞台が映像として残るのかどうかはわかりませんが、
機会があればもっとじっくり見比べてみたいなあ、と思います。

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