瓔珞の音

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zoom RSS 今はただ"おかえりなさい"と言いたい

<<   作成日時 : 2013/04/01 23:14   >>

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その人を初めて目にしたのは、真っ白な舞台の上の鮮やかな赤が印象的な舞台でした。
その白い世界で、青い衣裳に身を包んだその人が演じる役は、
正直言ってとんでもなく受け入れがたい役柄で(というか、その舞台そのものが受け入れがたかった・・・)、
なのに、その人の発する声が、愚かさと嗜虐と恐れに揺れる目が、彼が背負う時間が、
何故かとても印象に残って、終演後にプログラムで名前を確認しました。

橋 洋

それが、その人の名前でした。
そして、その後。

奔放な言動と背中合わせに、複雑な影を背負うマーキューシオ。
降りしきる椿の花の中、幻影の恋に殉じていく詩人。
優しい笑顔と一途さが印象的だった佐吉。
技ありな双子の演じ分けに、きちんとそれぞれの悲哀を滲ましたドローミオ。
兄への屈折した思いすら凌駕する真っ直ぐさが心地よかった重雄。
理性と恋の狭間で、けれど真っ直ぐに相手を見つめたビローン。

その人が演じる役の全てが、何故か私を捕らえ、揺らした。

そして。
その人が演じるイアーゴーが沈む闇の深さと甘さは、私にとって余りにも魅力的で―――
橋洋という役者は、私にとって特別な存在となりました。

けれど、その後二つの舞台を経て、その人は新しい世界―――映像の世界へと踏み出しました。

戸惑いは、ありました。
でも、新しい世界に踏み出したその人を応援する気持ちも同じくらい、あった。
だから、もともとドラマや映画にはあまり思い入れを持たないタイプの私が、
もう可能な限りその人の出る番組を追いかけて・・・
舞台とは違う声。
舞台とは違う表情。
舞台とは違う動き。
でも、無機質な画面を通してさえ、その役の向こう側を感じさせてくれるその人に、
やっぱりいい役者さんだなあ、と思いつつ、
やっぱり舞台で観たいなあ・・・と思ってしまったのも正直なところでした。
でも、そういう風に思うことに、何故か罪悪感を感じていたことも確かで。

そんな時、映画の情報と前後するように、この舞台の情報が入りました。
橋洋、4年半ぶりの舞台出演―――

その人が舞台に復帰することへの素直な喜び。
映像の世界を経たことが、どんな変化に繋がっていのか、という期待。
そして、変わっていったであろうその人を観た時、自分がどう感じるかわからない不安。

いろんな感情がごちゃごちゃに絡まったままの私が観たその舞台は、
そんな私の力みをさらりと躱す、上質な面白さに満ちた舞台でした。


「私のなかの悪魔」

2013.3.30 マチネ あうるすぽっと K列10番台
2013.3.31 マチネ あうるすぽっと C列10番台

作:ストリンドベリ『債鬼』
翻案:笹部博司
翻案・演出:青山真治
出演:とよた真帆、佐戸井けん太、橋洋、足立理、山田勲生(ギター)


物語の舞台は、たぶんヨーロッパのリゾートである島のホテルのラウンジ。
窓から見えるのは、午後の気だるげな光に満ちた空と、白く立ち枯れて、でも美しい1本の木。
窓から聞こえるのは、穏やかな潮騒と長閑な鳥の声。

誰もいないそのラウンジに、一人の男が現れます。

ああ、洋さんだ。
そんな感慨は、その男―――画家の眼を観た瞬間にどこかへ霧散しました。

静かな表情に、何故か眼だけは強い光を讃えた、青年と言ってもいいような、男。
何かを永遠に無くしたあとのような。
何かを永遠に手に入れようとしているかのような。
恐れと、戸惑いと、けれどそれを凌駕する覚悟を感じさせるような、彼の眼。

そこに、もう一人、初老の男(佐戸井けん太)が現れます。
縋るようにその男の手をとり話しかける画家の眼には、さっきまであった強さは消えていました。
そこにいるのは、愛する妻に全てを捧げることで、自分自身はからっぽになってしまった哀れな男で―――
そして、その二人の会話から、物語が始まっていきました。

このお芝居は、基本台詞の応酬で進んでいきます。
1場は、小説家の妻を持つ画家と、妻の元夫である教師(画家はそのことを知らないらしい)。
2場は、画家とその妻。
そして3場は、妻と元夫。

1場では、妻との関係に思い悩む画家に、正体を隠した教師が近づき、取り入ります。
二人は親しい友のような関係に見えます。
けれど、教師が画家と妻との関係を恣意的に解き明かし始めると、様子は一変。
何も知らない画家が語る妻との生活に、妻の"元夫"の評価に、嫉妬と屈辱に身悶えながら、
けれどそれを優しい笑みと大袈裟な仕草に紛らわして画家を追い詰めていく、教師。
教師が推測して語る妻の本心と二人の関係に、混乱し、怒り、絶望していく、画家。
どんどん昂揚し、多弁になっていく教師とは裏腹に、その眼の暗さを深めていく画家の対比がとても鮮やか。
佐戸井さんの緩急自在な演技は、どこか胡散臭さと歪みを感じさせる教師を、
基本コミカルに、時に凄味のある雰囲気で見せてくれましたし、
対する洋さんの画家は、繊細で情熱に溢れていて、
でも今はその情熱を見失い、疑心暗鬼と絶望に囚われていく若い画家を、
危うい揺らぎと暗さを纏った存在として見せてくれました。

2場は、夫を置いて買い物に出かけた妻が戻るところから始まります。
妻の本心を探るために、教師と計画を練った画家がソファに座る姿が、
逆光の中、黒い影になっているその後ろで、
夕闇の気配を纏い始めた遅い午後の空を背景に、ギター演奏者を二人引き連れて(一人はなんと演出家!)、
色鮮やかな衣裳で、陽気に歌いながら現れる、妻(とよた真帆)。
下手上方に作られた小部屋で、あっけらかんとガーターベルトの下着姿を見せながら着替えていく妻は、
もうその登場からして、男二人をどこか飛び越えているかのような圧倒的な生命力がありました。
そして、画家の前に現れた妻は、とにかくその奔放さとキュートさと揺るぎのなさが最強!
自分の価値観と欲望にとことん忠実で、そのことを全く恥じることがない。
その在り方が、小気味いいというか・・・なんだかめちゃくちゃかっこいいなあ、と思ってしまいました。
いえ、実際に近くにいたらけっこうはた迷惑な存在なんだろうなあ、とは思うのですが(笑)、
でもあの潔さというかクリアさは、なんだかちょっと憧れてしまいます。
そんな妻を前に、画家も一生懸命頑張って、彼女の本心を聞き出そうとするんですが・・・
いやもう見事に手玉に取られてる感じでしたねー。
年齢設定としては、多分画家が30代、妻が40代、教師が50代くらいなのかなあ、と思ったのですが、
妻が画家を愛でてる感じがなんというかちょっと微笑ましかったです。
いえ、画家の立場になったらとんでもないだろうな、とは思いますが(笑)。
だってね、一生懸命自分の考えや気持ちを言い募っても、見事に論点がずらされるんですよ。
妻的には意図してずらしているのではないのかもしれませんが、
ちょっと待て、それは違うだろう!ってつっこみたいけどつっこむきっかけが見つけられないような、
凄い微妙なずらされ方なの。
画家自身もそれがわかってて、どうにか軌道修正しようとするし、
時には大きな声をだしたりもして、妻に伝わるように言葉を重ねるのだけど、
(小さめの劇場の前方席で洋さんのこういう声を聞くのは初めてで、ちょっと怖かった…けどいい声でしたv)
全て徒労に終わっているというか、妻に遊ばれてるというか・・・(え)
でも、そんな風に吸い尽くされてても、なんとなーく幸せそうなんですよね、画家(笑)。

実際、この2場が一番遊びの要素が多かったのかなあ、と思います。
アドリブも結構多かった感じ。
というか、洋さんの舞台でこんなにアドリブの多いのって初めてだったので、
打てば響くようにアドリブを返したり、
笑いオチしちゃってもそれをその温度のままでつなげていったりするのが、凄い新鮮でした(笑)。
妻と向き合ったときの「でか!」とか、
妻がおつまみを投げ捨てたときの「食べ物を粗末にするな!(と言って拾う)」とか、
ウエイターが持ってきたおつまみに「チーズはキライって行ったのに」とか、
(おつまみ、30日はナッツとチーズみたいでしたが、千秋楽は大きな丸いものが出てきて、
 「これはなんだ?」って呟いてました。あれ、たこ焼き??)
「男は若い方がいいに決まっている!」と言い切った妻が、
現れたウェイターに「あなた幾つ?」と聞いて、無言で去ろうとしたウェイターに、
「それで君は幾つなんだ?」と尋ねたりとか、
初めて観たらアドリブだとは気付かないような感じで凄いナチュラルでした。
とよたさんも、どんなボールが飛んできても、意に介さないというか、自分が思う方向に飛ばしちゃうというか、
ああ、この妻ならこうするよねー、という感じで、やっぱり全然ぶれないの。
それがほんとに凄いなあ、と思っちゃった。

また、ウェイターの足立くんがいい味出してるんですよねー。
すらっとしたかっこいい男の子なのですが、纏う雰囲気が結構意味深。
赤裸々な会話を続ける3人の前(シーンでは二人ですが)、ふっと現れて、
現実の温度を伝えるというか、その現場の尋常でなさを感じさせるというか・・・
なんというか、外側の視線の代表みたいな感じ?
ウェイターが出てきた瞬間に、ふっとその場の雰囲気が冷静になるのが、
なんというかちょっといたたまれなかったです(え)。
まあ、妻は全然気にしてませんでしたけどねー(笑)。

話がそれましたが、2場では最終的に激昂した画家が倒れ、
妻が「外の空気を吸ってらっしゃい」と画家を退場させるところで終わります。
倒れてから外に出すまでもいろいろありましたけどねー。
倒れる夫を見てふーっと溜息をついた妻の言葉が「ごめんなさい・・・は?」だったときには、
思わず「えー?!」と呟いてしまいました。
その直後、画家が同じように「えー?!」と弱々しく呟いたのにはさらに爆笑。
結局謝った画家をあやすように抱き起こして、ふらふらな夫の「島を出よう」という懇願を軽くあしらう妻には、
さすがにちょっとこれはどうなの?と思ったのですが、
その後、一人残った妻の表情が、なんというか凄く思いつめた感じで、ちょっとはっとしました。


そして、3場は妻と教師。
偶然の再会を装う教師に驚く妻。
再婚が決まった、という教師に対し、
妻は「あの頃は尊敬していた」「あなたのように話のできる人は他にいない」など、意味深な言葉を伝えるます。
でも、いざ、教師が「やはり私の根っこは君の地面に根を下ろしている」だかなんだか言い出した教師に、
あっさり「さよなら」を言う妻。
当然教師はそこで引き下がるわけがなく、妻には自分が必要だということをねちっこく訴えます。
いやー、このときの教師がめちゃくちゃ気持ち悪かったんですよ。
あ、これ褒め言葉ですからね。
そんな風に思えちゃうくらい、教師の存在感の捩れ具合が素晴らしかった、と。
2場で、妻と画家の様子を背後から伺ってる様子とかはまだコミカル、といえたんですけどねー。
ここに来て、一気に常軌を逸した感が強くなりました。
外見が紳士然としているから、余計に。
妻もそれには決して負けてないのですが、
1場で教師の言葉に導かれるように画家が破った妻の写真を教師がばら撒いたときには、
さすがに途方に暮れた表情になります。
でも、そこで負けていないのが妻!
夫の様子などから、教師が画家に取り入って、画家を壊してしまった、ということを妻は看破します。
でも、その時点で画家がどうしているか、と思い至ったときには既に遅―――
二人のやりとりを例の部屋から全て聞いていた画家が、
妻をモデルとした歪な裸像の胴体を抱えて二人の間に倒れます。

壊れてしまった夫。
夫を壊された妻。
奪われた名誉を、二人の関係を壊すことで復讐した教師。

満足とは程遠い苦い笑みを浮かべながら去っていく教師が、この物語の勝者・・・ではもちろんなく!
「いつまでそうやってるの?」という妻の言葉で画家が笑い出すことで、
これが全て二人の仕組んだことだということが明かされます。
邪魔者を排除するためのお芝居。
刺激的なゲーム。
1場とも2場とも違う、冷めた笑みを浮かべる画家と、
夫に悪戯っぽく「次のゲームはあなたの番」とねだる妻。
この時点で、ここまで描かれてきた妻と画家の関係の全てが、崩れ落ちる感じがしました。
語られた事実、交わされた言葉、そのどこまでが真実で、どこまでか虚構なのかが全くわからなくなった。
二人の関係も、画家という人物も、この"ゲーム"のために、
元夫に見せるために作られたものであって、本当は全然違う形なのだろうか?
パーティに参加するために、着替えに行く画家を呼び止めて、妻が呟きます―――「愛してる」と。
けれど、その直前、彼女はこうも呟いているのです。「結局、愛ってなんだろう・・・?」
その二つの言葉を受け止め、振り向いた画家が優しい声で静かに答えます。
「ぼくも、愛してるよ」
―――その言葉の空虚さ、そして感情が抜け落ちたかのような画家の儚い笑みに、ちょっとぞっとしてしまいました。
そして、その笑みが、冒頭の彼の表情にすっとリンクしていって・・・

ああ、彼らは・・・少なくとも画家は、教師を壊すと同時に、自分自身も壊したんだな、とそう思った。
そうなるとわかっていて、けれど、彼はこのゲームに乗った。
偽りの関係。
偽りの感情。
偽りの事実。
でも、その中には、二人が意図しない"真実"があったのだと思う。
妻はそれすらも必然、とどこまでも揺るぎない。
でも、画家の中の何かは、その"真実"によって粉々に壊された。
そして、それは、彼を一つの未来へと導いた。

原案のストリンドベリの『債鬼』は、画家の自殺で幕を閉じるのだといいます。
この舞台では、画家の未来は描かれなかった。
けれど、画家のあの最後の表情は、彼の未来が真っ直ぐにそこへ向かっていることを、感じさせた。

ラストシーン、40年後の同じ場所。
一人座るのは、年老いた妻。
腰は曲がり、杖を突き、車椅子に乗せられて、けれどそれでもなお、自分の欲望に忠実な彼女。
その姿が、哀れで、滑稽で、醜悪で―――でも、やっぱりその揺るぎなさが、最高にかっこいい、そう、思いました。


千秋楽は、このオチを知った上で、深読みしながら観よう!と思っていたのですが、
実際に舞台が始まってしまうと、前方席ということもあり、
目の前で繰り広げられる攻防にあっという間に気持ちを持っていかれて、
深読みするどころではありませんでした(笑)。
画家が教師を見る眼とか、一瞬の表情に、あれ?と思うときはあったのだけれど、
床に懐いたり、柱に懐いたり、教師に懐いたり、妻に懐いたり(え)している画家のキュートさによろめいてたら、
画家が見ているものや彼の背景の気配は感じられても、
その先まで追いかけていくことができませんでした・・・駄目駄目ですねー、私(涙)。
でも、あのキュートさで跪かれたら、足蹴にしたく愛でたくなりますよねー(え)。
あ、でもよろめいてたのは洋さんだけではないですよ!
このお芝居、三人が三人とも、その存在感と纏う雰囲気の意味深さ、そして伝わってくるパワーが半端ないの。
でも、もちろん伝わってくる色合いは全然違う。
とよたさん、生々しささえ感じさせる原色の鮮やかさに、一滴だけ濁りがある感じ。
佐戸井さんは、渋い色合いなのだけど、光の当たり方で細かな文様やギラっと強く光る糸が混じっている感じ。
そして、洋さんは、柔らかだけど熱を感じさせる色合いの足元に、くっきりと暗い影がある感じ。
それぞれがそれぞれに魅力的で、もの凄く集中してお芝居を観ることができました。

映像を経験して、洋さんにどんな変化があったのかな、というのも気になるところでしたが、
変わったなあ、と思う部分は余りなくて、でも、なんというか、軽やかになったな、と思いました。
シェイクスピアと現代劇(に入れていいのかな?)の違いや、演出家の違い、劇場の大きさの違いもあるかもですが、
在り方が凄く自然だな、と感じる瞬間がありました。
瞬間瞬間で変わっていく纏う雰囲気のニュアンスが増えたというか・・・
うーん、上手く言えませんが、私にとって特別な役者さん、というのは変わりなくて、
それがとっても嬉しかったです。

あ、そうそう、要所要所でちょこっと入ってくる足立くんの、妖しさのある白、といった佇まいも印象的でした。
初めて拝見する役者さんなのですが、今度は台詞のある役でも観てみたいかな。
そういえば、教師が去っていくシーンで現れた足立くんは、ウェイターでもポーターでもなかったですよね?
なんだか怖いような笑みを浮かべて、じっと教師を見つめていて・・・あれはどういう存在だったのかなあ。
原作の「債鬼」って、鬼のように厳しく借金を取り立てる人、という意味のようなのだけれど、
画家も教師も、妻に対して与えた愛情に見合った何かを彼女から取り返そうとしてますよね。
(画家は演技だったのかもですが・・・)
その様が「債鬼」なのかなあ、と思っていたのですが、
もしかしたらあの時の足立くんの存在こそが「債鬼」だったのかな、と今になってちょっと思いました。
自分がしたことに見合った何かを取り立てにくる、自分の中の内なる存在の具現、みたいな?
自分の胸中にいて、自分を支配する存在を悪魔と教師は言ったけれど・・・
うーん、この辺、もっとクリアに理解したかったですが、私の能力じゃ難しいかも(汗)。
機会があったら、原作も読んでみようかな、と思います。


そんなこんなで、洋さんの復帰抜きにしても非常に楽しめたお芝居でした。
でも、洋さんが出ていなかったら、たぶん私は観にいかなかったかな。
映像の方が演出する作品って、今まであまり好みのものがなかったので・・・
なので、今回こういうご縁でこのお芝居を見れたことに、とっても感謝ですv
またいつかこのカンパニーでのお芝居を観てみたいな。
でもって、洋さんがこれをきっかけに映像と並行して舞台のお仕事も続けてくれると嬉しいなあ、と思います。

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