瓔珞の音

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zoom RSS 闇の底の物語

<<   作成日時 : 2013/08/09 22:49   >>

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今朝、通勤途中に今年最初のトンボを見ました。
今週はなんだかとんでもない暑さだけれど、空の色も少しだけ明度を増しているし、
立秋を過ぎて、確実に季節は移っているんですね。
二十四節気をいつも気にかけているわけではないけれど、
ふとした瞬間に、暦の中に小さく記されたその古めかしくて意味深な言葉と季節が結びついたとき、
なんだかとてもしみじみしてしまうのでした。
それは、私が日本という国で生まれ育ったからなんだろうなあ、と思います。

そんな日本の、もしかしたら既に失われてしまったかもしれない光と闇を描いた舞台を観てきました。


「春琴 shun-kin」
 谷崎潤一郎 『春琴抄』『陰翳礼賛』より

2013.8.6 ソワレ 世田谷パブリックシアター N列一桁台

演出:サイモン・マクバーニー
出演:深津絵里、成河、笈田ヨシ、立石涼子、内田淳子、麻生花帆、望月康代、瑞木健太郎、高田恵篤、
    本篠秀太郎(三味線)


2008年に初演されたこのお芝居。
初演も再演も、観たい!と思いながらどうやってもチケットがとれず涙を呑んだのですが、
今回、再々演にしてやっとこの閉じた濃密な空間を体験することができました。

物語は、谷崎潤一郎 の「春琴抄」と「陰翳礼賛」を元としています。
とはいえ私は「春琴抄」は読んだことがなく、「陰翳礼賛」を手にしたのもはるか昔のこと。
あのしん、とした静かさのなかに艶かしく蠢く何かを内包したかのような文章の気配だけが、
かろうじて私の中に残っているのみ・・・
けれど、私が身を置いたこのお芝居の空間は、私の持つイメージそのままの肌触りでした。

開演前、客席には渋谷駅の雑踏の音が繰り返し繰り返し流れていました。
人の声なのにどこか無機質なその音が止んだ時、劇場は無音の世界へと変貌しました。
いえ、もちろん"音"はあるのです。
役者さんの声。
三味線の音色。
流れる水。
鳥の羽ばたき。
木々のざわめき。
密やかな足音。
春琴が打ち据える撥が佐吉の肌を打つ音。
解かれる帯の衣擦れ。
めくられる台本の乾いた紙の音。
たくさんの"音"がその空間を飛び交い、
けれど、その全てが舞台を囲む闇の中に吸い取られているように感じました。

お芝居は、舞台の上で高低差なく演じられます。
何本もの長い棒で表現される木々や家屋。
全て人の手で動かされる畳が創り出す部屋や道。
時に思いがけない広がりを見せ、時に蝋燭の明かりが届く程度の驚くほど狭い空間で繰り広げられる物語。
その舞台の上には高い空間を満たす闇があった。
その闇は果ての見えないほど深く、何もないからこそ全てを含み、
様々な命や感情を包み込んで、完全に閉じた球体を創りだしているようでした。
劇場の中に身を置きながら、手の中にあるその光を宿した深い闇の珠を静かに覗き込んでいるような、
私自身もその珠の中に吸い込まれていくような、なんだか不思議な感覚を始終感じていました。

それはたぶん、その珠の中に幾重にも重ねられた、物語の層にもあったと思います。
一列に並ぶ役者たちの前で、笈田さんが自分の父について語る現実の層。
年老いた佐吉がこいさん(=春琴)の思い出を繰り返し繰り返し語り続ける層。
「春琴抄」のラジオドラマを収録するスタジオで、読み手の女性(立石涼子)が座るデスクのある層。
春琴の生涯に心惹かれた一人の男(あるいは谷崎)が、彼女の菩提寺を訪ねる層。
そして、春琴が生きる、層。
重なり合うそれらの層を、役者さんたちは纏う役柄を変えながら、軽やかに行き来していました。
ただ一人、読み手の女性を除いて。

立石さんの演じる読み手の女性は、春琴の物語の地の分を読みながら、
常に外側からその世界を俯瞰していました。
読み始める前の、年下の恋人との未来に漠然とした希望と不安を持った普通の女性が、
物語を読み始めた途端、すっとその個性を消し、けれど深い色を備えた声で物語を牽引していく―――
その鮮やかさの素晴らしさには、もう感嘆するしかありませんでした。
実際、物語が進んでいる間は、彼女の姿を私は全く意識していなかったように思います。
けれど、ふと気付いた彼女の横顔。
デスクの上の小さな灯の中で、頬杖をついて闇の底に蠢く命を見つめている彼女の横顔に浮かぶ、
嫌悪と憧れの上澄みだけをさらったような凪いだ表情に、はっとした瞬間がありました。
そこには確かに血の通う肉体とどうにもならない感情を抱えた女の体温があった。

その体温と真逆の存在だったのが、春琴。
幼い春琴が人形であると気付いたときの衝撃ときたら!
いえ、もちろん冷静になれば一見して人形だとわかるのです。
けれど、黒い衣裳の二人の女性(深津絵里さんと望月康代さん・・・かな?)が操る目隠しをされた幼い少女の人形は、
その闇の底では確かに命のある存在に見えました。
というか、見えているはずの操り手の姿が、私の意識からは完全に消える瞬間があったのです。
女中の悪意により、病で視力を失った幼い少女。
突然に彼女を襲った終わらない暗闇。
彼女の中に刻まれた、かつて目にしていたはずの"世界"。
その"世界"を超えて変わっていく、自分を取り巻く"現実の世界"。
その"現実"の中には、きっと変わっていく自分の肉体もあった。
全てがあやふやで、全てが偽りで、全てが信用できない―――そんな世界の中で、
佐助という存在は、多分彼女が選んだ"世界の基準"なのではないか。
そして佐助にとって春琴は、ばらばらになった肉体と精神の乖離を闇で満たした異質な美しさを湛えた存在であり、
彼女の美貌でも気性でもなく、その乖離こそが佐助を捉えたのではないか。
佐助(成河)の滑らかな背中とばらばらの四肢をその背中に絡める春琴の姿を見ながら、
二人の関係性は、私にとって嗜虐と被虐とは違う位置にあるのだな、と思いました。

そんな風に、少女の春琴は、この闇の底で明らかに命のある存在だった。
物語の中盤、春琴の人形は成人に近い大きさのものに変わります。
いえ、変わったと思っていたのです。
その"人形"が、仮面を被った生身の女性であると気付くまで。
このときの衝撃は最初の衝撃と同じくらい強かったです。
だって、本当に人形だと思っていたのですもの。
操る二人の女性と、完全に一つの"命"を作り上げていて、
私的には少女の春琴よりもよっぽど人形のように感じられました。
そして、激昂した春琴を操る女性がその"春琴"を投げ出し、
その女性―――深津さんが春琴となった瞬間の鮮やかさときたら・・・!!
血の通う生身の肉体を持ちながら、けれどその春琴も闇の底ではむしろ人ではない存在のように感じました。
その声も動きも滑らかで美しいのに、その在り方はどこか歪で何かが欠けていた。
そしてその欠落こそが、春琴の本質であったようにも思うのです。

後半、佐助を演じたのは高田さん、だったと思います。
歪でぎこちなく、だからこそ美しい春琴の傍らにあり、
ただ静かにひたすらに、彼女の望むまま彼女に仕え続けた佐助。
暴漢に襲われ、その美しい顔が焼け爛れてしまった春琴の願いを察し、
美しい彼女だけを記憶にとどめるためにその両目を潰した佐助。
この瞬間、佐助は現実と記憶の乖離に闇を招き入れた。
それは、春琴が常に持つ肉体と精神の乖離に澱む闇と同じものだった。
そして、そうすることで佐助は春琴と同じ存在になろうとしたのではないか・・・?

この二人の結末については、きちんと受け止め切れていない自分がいます。
二人の愛の形は、たぶん原作を読んだとしても、私には多分理解できないもので。
でも、この闇の珠の中で紡がれた物語から私が受け取った二人は、こういう二人だったのでした。

物語は、春琴に先立たれた老いた佐助が春琴の思い出を語り、食事をし、眠り、
目覚め、春琴の思い出を語り、食事をし、眠り・・・その繰り返しを延々と描き、
その繰り返しが彼の死で断ち切られた後、二人の菩提寺を訪ねた男の層に立ち戻ります。
次にラジオ収録の終了した女性が、闇に背を向け自らの生きる世界に立ち戻る層へ、
そして、舞台の始まりと同様に役者たちが舞台に並び、笈田さんが挨拶をする層へ。
一列に並んだ役者たちは、笈田さんと三味線を残してゆっくりと後ろに下がっていきました。
舞台の奥を満たす夕焼けのような朝焼けのような眩い鬱金色の光の中で、その姿は黒い影になり、
その姿と客席を隔てるように降りてきた緞帳代わりの大きな板が、三味線を潰すぐしゃりという音―――そして、闇。

なんだかね、もう凄いものを観たなあ、としか思えませんでした。
カーテンコールは何回もあって、スタンディングオベーションもあって、
私も立ち上がりたかったけど、最初はなんだか立ち上がる気力もなかった。
イギリスの演出家が、かつて日本的であったものを題材に作り上げたこの空間は、
濃密で完璧で、けれど"日本的"と言い切ってしまうには、春琴のようにどこか異質な歪さがあった。
そして、春琴のように、その歪さが、その光と命を内包した闇は、驚くほど美しくて、
私の中の全てを吸い尽くすような深さがあったように思います。
たぶん、私はこのお芝居をきちんと理解はできていないのだけれど、
でも―――うん、観ることができて本当に良かった!


役者さんのことをもう少し。
笈田さんは初めて拝見する役者さん。
このお芝居の幾つもの層を渡り、繋いでいる存在のように思いました。
春琴と佐助の物語を見つめる、老いた佐助としての笈田さん。
時に二人を傍観し、時に二人の生きる世界に入り込む曖昧で強い存在だった瑞木さん。
そして、常に外側からこの物語を見つめ続けた語り手としての立石さん。
この三人の視線の温度差が、とても印象に残りました。

深津さんは、「エッグ」を観た時に、なんて声の素晴らしい役者さんなんだ!って思ったのですが、
今回もやっぱりその声の透明度と、台詞を越えた音としての雄弁さに聞き惚れてしまいました。
少女の春琴の声なんか、ほんとに人形が喋ってるように感じちゃいましたもの。
また是非舞台で拝見したいです。
深津さんと立石さん以外の女優さんは、残念ながらきちんと区別できるまでに至らず・・・
というか、このお二人はもともと知っていたからわかったけれど、
知らない人だったら多分誰もわからなかったと思います。
そのくらい、音も空気も光も闇も命のあるものもないものも、
舞台上にある全部でひとつの濃密で完結した空間を創り出していたように思うのです。

本篠さんの三味線も良かったなあ・・・
三味線ってきちんと聴いたことがないし、全然知識がないのですが、
春琴が弾く音と佐助が弾く音は明らかに異なっていたように思います。
途中、弦を使って胡弓のように弾くシーンがあったのですが、なんだか不思議な音色した。
そういえば、舞台の上に本物の三味線は本篠さんのものだけで、
春琴たちが弾く三味線は一本の細い棒で表されていました。
そんなふうに棒を使っていろいろなものを表現する演出が、
以前見た「ピーター・ブルックの魔笛」を彷彿とさせるなあ、なんて思っていたのですが、
プログラムを熟読してみたら、笈田さんはブルック率いる劇団(?)のメンバーとして活躍されていて、
演出のサイモン・マクバーニーさんもブルックのワークショップに参加されてたんですね。
ブルック演出の舞台は一つしか観ていないので、多分に思い込みはあるとは思うのですが、
どちらの舞台の演出も、私的にはとても好みでしたv

プログラムに「本年最後のワールドツアーの幕を下ろす」との記載がありましたが、
もう再演はされないのでしょうか・・・?
本当に素晴らしい舞台で、そして、この舞台の闇は生でなければ感じられないようにも思うので、
できれば長く再演していってほしいなあ、と思います。
そして、その際には、どうかまたこの濃密な闇を体験することができますように。
とりあえずそのときまでに「春琴抄」を読んでおこうと思います。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
恭穂さま
私も今回やっと「春琴」初めて観たのですが、
すばらしいというか、凄まじかったですね。
恭穂さんがおっしゃる通り、「凄いものを観た」
という感じ。
舞台作品における演出のチカラをまじまじと感じた作品。
これ、映像ではなくて絶対ナマで観たい舞台でしたね。
スキップ
2013/08/18 15:57
スキップさん、こんばんは!
お返事が遅くなってしまってすみません。
本当に凄まじい舞台でしたね。
なんとも濃密な空間と時間で、
あの暗闇にいろいろ吸い尽くされた気がします。
これが最後といわずに、また再演してくれるといいのですが。
恭穂
2013/08/21 20:58

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