瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2013/11/08 21:14   >>

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物語の中、彼の手に渡った3枚の切符。
最後に、彼のための切符がないことを知ったとき、彼は自分が切符を渡す番だと、きっと気付いてた。

受け取り、受け継ぐ想い。
手渡し、託す想い。

生きていくこと。
死んでいくこと。

ままならなくて。
怖くて。
怖くて。
怖くて・・・
それでも、進んでいかなくてはならないから。

私は、誰の切符を受け取り、受け取ったものとどう生きて、どんな切符を手渡すのだろう。


こまつ座第101回公演
「イーハトーボの劇列車」

2013.11.3 マチネ 10列一桁台
2013.11.4 マチネ 6列一桁台

作:井上ひさし
演出:鵜山仁
音楽:宇野誠一郎
音楽・演奏:荻野清子
出演:井上芳雄、辻萬長、木野花、大和田美帆、石橋徹郎、松永玲子、小椋毅、土屋良太、
    田村勝彦、鹿野真央、大久保祥太郎、みのすけ


物語は、暗闇に浮かぶ楕円のうえに佇む人たちの言葉から始まります。
彼らが紡ぐ、美しく懐かしい言葉たち。
彼らが愛した、美しく懐かしいものたち。
そして、旅立つことが決まった彼らが演じる、最後の演劇が始まりました。

物語の主人公は、宮沢賢治。
22歳から35歳の最後の上京まで、
賢治の上京に絡めて、彼の半生が描かれていました。

真面目で、理論的で、でもどこか夢見がち。
優しくて、謙虚で、でも譲れないものがある。
現実の厳しさを突きつけられながら、それでも理想を―――ユートピアを目指して歩き続ける。
そんな賢治を、井上くんは丁寧に丁寧に見せてくれました。

正直なことを言ってしまえば、井上くんの賢治は、私のイメージする賢治とは違う。
私の中の賢治は、もっとずっと"閉じた"イメージで。
だから、井上くんの賢治の、常に誰かに手を差し伸べているような柔らかさに、ちょっと違和感があったのも確かで。
でも。
彼の紡ぐ花巻弁の、常に何かを問いかけるような語尾の優しい響きを聴いているうちに、
この物語の中の賢治の生き方が、なんだかすっと沁み込むように届いてきたのでした。

この物語の中の賢治は、ある意味何もかもが中途半端です。
目指すものがクリアにあり、その道筋も自分には見えているのに、その道はとても遠くて、険しくて、孤独で―――
そう。
この物語の中の賢治は、とても孤独だったように思うのです。
父と対立し、最大の理解者であった妹は夭折し、
彼がユートピアへと導こうとする農民たちは、彼と同じものを見るには日々の生活に追われすぎ、
そして、動いていく歴史の大きな波が、彼の目指すユートピアとは別の方向へ人々を導いていく。
それでも、賢治はあがいていた。
出逢う全てに瞳を輝かせ、向かい合う全てを真っ直ぐに見つめて、
どうにかして農民たちとユートピアを、広場のある明るいたくさんの小宇宙を作り出そうと、
真摯に、不器用に、けれど不屈の気持ちで、足元を見ながら一歩一歩進もうとした。
その姿が、切なくて、健気で、滑稽で、そして、たまらなく愛おしくなってしまいました。


辻さんは、1幕では賢治の父を、2幕では賢治を追う花巻警察の刑事を演じてらっしゃいました。
そのどちらもが、賢治を言い負かす役。
ある意味、賢治を取り巻く現実、ということなのかもしれません。
賢治と父の宗教談議は、それぞれの宗派の知識が余りにも乏しいので、かなり混乱しました。
というか、お父さんの理論、それは詭弁!と思いながらも、なんだか納得させられちゃうんですよねー(笑)。
で、そのあと首を傾げざるを得ない(笑)。
木野さん演じる賢治の下宿先の稲垣未亡人(木野花)が、
ジャッジのために納得するとお手玉のそれぞれの前におくのですが、
置いた後に首を傾げてるのを見て、なんだか思いっきり共感しちゃいました(笑)。
賢治も納得させられちゃってる風なんですが、
でも最終的には"ユートピアを創る"という言葉だけが彼の中に残ったのが丸わかりで、微笑ましかったです。
賢治とお父さんの関係は、いわゆる家長と長男の関係なのだろうけれど、
互いを大事に思いながらも、互いにその気持ちを素直に伝えきれないところが歯がゆかったです。
最後、この二人を演じた男の思い残し切符の内容には、ちょっと涙してしまいました。

この物語には、思い残し切符、というものが出てきます。
花巻駅の車掌さんとそっくりの、でも神出鬼没な不思議な車掌さんが手渡す、思い残し切符。
それは、亡くなった誰かの"思い残し"切符。
その人の思いを受け取り、繋いでいくための、切符。
だから、その切符は生きていく人たちにしか渡されない―――
それはつまり、同じ思いを持っている人たちに手渡される、ということなのかな、と思いました。
だから、辻さんが演じた男の思い残し―――若くしてなくなった息子と娘に自分の寿命を30年ずつあげたかった、
というのは、賢治のお父さんの"思い残し"でもあったんじゃないかなあ、なんて。
そう思ったら、不器用な父と子に、なんだかたまらない気持ちになりました。


賢治が上京する列車には、いつも必ず一組の男女がいました。
人買いの神野さん(田村勝彦)と売られた娘(鹿野真央)。
また、賢治が列車に乗るたびに―――列車に乗るたびに、賢治は誰かに出会います。
紫紺染め(でいいのかな?)の講演のために東京に招待された西根山の山男(小椋毅)。
仙台の射撃大会に出ようとするなめとこ山の熊撃ち淵沢三十郎(土屋良太)。
そして、病気の母や弟妹たちのために働くことに疲れきった、風の又三郎らしき少年(大久保祥太郎)。
娘は、山男は、熊撃ちは、少年は、賢治がユートピアに導こうとする農民たちそのもので。
けれど、賢治の想いとは裏腹に、彼らはみな次のシーンでは神野さんのの手に落ちています。
ふるさとに帰ることもできず、神野さんのサーカスで働かされる、彼ら。
物語が進むにつれて具体的になっていく賢治のユートピアとは真逆の方向へ向かう彼ら。
その境遇とは裏腹に、美しくなっていく売られた娘の姿―――
その彼らを"導く"神野さんの存在がなんとも皮肉で・・・でも、それは"現実"そのもので。
終盤、疲れきって列車の座席で眠り込む賢治に対して彼らが語る言葉が、なんだかずしんと胸に響きました。


最初の東京で賢治が出合う福地兄妹を演じたのは石橋さんと松永さん。
石橋さんは、名前に見覚えがあるのでどこかで見たことがあるはずなのですが・・・なんだったかな?
この二人もまた、賢治のユートピアとは全然方向性の違う場所に生きている人たちでした。
兄の第一郎と賢治の会話のかみ合わなさは、笑っていいものなのかどうなのか(笑)。
根本が違うとどうにもならないよねー、となんだか的外れなところで共感してしまいました(え)。
でも、最後の最後に賢治が出会うのが、思いを吐露するのが第一郎さん、というのも絶妙。
でもって、相変わらず噛み合わない二人なのだけれど、
それぞれに歩んできた時間を感じさせる変化があって、
二人とも大人になったなあ、と思ってみたり(笑)。


大和田美帆ちゃんは、賢治の妹とし子役。
賢治の最大の理解者であり、支援者であり、そして最愛の妹。
この役としての登場は一場だけだったのですが、透き通るような綺麗さと、
賢治に向かう気持ちの純粋さがきらきらしていて、ああ、とし子だなあ、と思いました。
困ったような笑顔がとても印象的でした。

そういえば、この物語は、花巻駅と、上野に向かう列車と、
それから賢治が東京で訪れたないし滞在した場所だけで進んでいきます。
花巻でのことは、言葉でしか語られない。
とし子の死さえ、最後の最後に第一郎への言葉で告げられるだけです。
最初に観た時は、物語を追うのに精一杯だったのだけれど、
2回目に観た時は、知識というだけでなく、賢治の佇まいから、
ああ、とし子はもう賢治の傍にはいないのだ、とそう感じることができました。
そんな風な賢治の変化は、繊細で控えめだけれどとても鮮やかで・・・さすが井上くん!と思ってみたり。

美帆ちゃんはもう一つ大きな役をやっていまして。
それは、最後のシーン、劇を終えた人々を彼岸へと運ぶ列車・グスコーブドリ号の女車掌・ネリ。
この名称と、ネリの凛とした姿を見た瞬間、涙腺が危ういことになりました。
実は私、宮沢賢治の物語の中で「グスコーブドリの伝記」が凄い特別な存在なのですね。
好き、という言葉では言い切れない思い入れがあって。
思い入れがありすぎて、映画は見に行けなかったのですが(笑)。
なので、彼女が優しいく頷きながら、人々からの"思い残し切符"を受け取るのが、
そして、賢治を演じた青年の切符を受け取るときに、
ネリ自身の、あるいはネリが受け取り繋いだ感情を露にする姿を見て、
なんというか理屈でない部分で"思い残し切符"を理解したような気がしました。
これは多分私の勝手な思い込みで、でもって悔しいことに全然上手く書くことができないのだけれど、
ネリという名前の、かつて誰かの切符を受け取り、誰かに切符を手渡したはずの存在が、
賢治の物語を紡いだ彼らを導いていくのが、なんとも嬉しくて安心してしまったのでした。

最後、赤い柱を中心に円になって空に旅立つ彼らの頭上には、綺麗な星空がありました。
それは、底知れない暗闇に浮かぶ星ではなく、
新しく生まれる太陽の気配を感じさせる黎明の蒼い空。
それが本当に本当に綺麗で、なんだか泣けて仕方がありませんでした。
そして、その空を彼らと一緒に見上げながら、
私はどんな思い残し切符を受け取ったのかな、という思いと、
私はどんな思い残し切符を手渡すのだろう、という思いが同時に飛来しました。
そして同時に、私は今まで切符を受け取ることしか考えていなかったことに気付きました。
それは、なんて浅はかで、なんて傲慢なことだったんだろう。
でも、そんな傲慢さを、そんな愚かさを、この物語はそのまま受け止めて、
それでいいんだよ、と言ってくれているようにも感じました。

うーん、いつにも増して観劇の記録じゃなくなっちゃってますね(笑)。
でも、とりあえず、井上さんの作品に対しては、自分がそこから受け取ったものや感じたものを、
今は素直に書きとめておこうと思っているので。
どうぞぬる〜くスルーしていただけると嬉しいですv


あ、そうそう、このお芝居では、賢治の物語や詩に出てくるような擬音を、役者さんたちが歌うように表現します。
綺麗なハーモニーで流れるその音はなんとも不思議な感覚。
そして、その声を導くように、寄り添うように響くのが、荻野さんのピアノでした。
途中、左手はピアノ、右手はピアニカで演奏するシーンがあったのですが、
その音の重なりが不思議に懐かしい感じで素敵でしたv

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
恭穂さま
続けて失礼いたします。
これは心に響く作品でした。
宮沢賢治のこと、ぼんやり知っていたつもり
だったのですが、改めていろんなことを感じました。
井上芳雄くん、とてもよかったですね。

思い残し切符については、それぞれに受け止め方、
感じ方があって、そしてそれはみんなその人が
思うその通りなのではないかな、と思います。
今度機会があれば、恭穂さんの「グスコーブドリの伝記」
への思いもぜひ聞かせてくださいね。
スキップ
2013/11/26 13:11
スキップさん

コメントありがとうございます。
小林多喜二に引き続き、井上くん、素晴らしかったですね。
もちろん、二つの役は全然別の色合いで・・・
こういう賢治像もいいなあ、と思いました。

思い残し切符の感じ方は様々ですね。
私も次に観た時は(再演ありますよね、きっと!)、
違う感じ方をするかもしれません。
「グスコーブドリの伝記」は、話し出すときりがないかと(笑)。
それは別にしても、また是非スキップさんとお話させていただきたいです!
恭穂
2013/11/27 21:21

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