瓔珞の音

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zoom RSS 彼女が呼ぶ名前

<<   作成日時 : 2014/03/28 22:41   >>

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卒業式、というと何故か桜が思い浮びます。
実際には、私の住むあたりは卒業のころはまだ桜は固い蕾で、
入学式のころは満開を過ぎて花吹雪が綺麗な時期になるのですけどね。
それでも、卒業や入学、別れと出会い、新しい生活への旅立ちには、やっぱり桜が似合う気がします。

この舞台の"卒業"の時期は春ではありません。
けれど、これまで二人がそれぞれに時に交差しながら歩んできた時間と、
これからともに歩いていく未来を感じさせるラストシーンで二人を包む空気は、
何故か花と新緑の気配を纏った春のように感じました。


「ダディ・ロング・レッグズ 」

2014.3.21 マチネ シアター・クリエ 3列10番台
2014.3.22 マチネ シアター・クリエ 11列10番台

原作:ジーン・ウェブスター
音楽・作詞・編曲:ポール・ゴードン
編曲:ブラッド・ハーク
翻訳・訳詞:今井麻緒子
脚本・演出:ジョン・ケアード
出演:井上芳雄、坂本真綾


というわけで、昼はDLL、夜はユニゾンライブという、無謀且つ最高に幸せな週末から1週間が経ちました。
ただいま絶賛ユニゾンモードでして、聴く曲も頭に浮かぶ曲もユニゾンばかり・・・なんですが、
時々不意にDLLの曲が思い浮んで、
ジャーヴィスの、あの静寂と孤独に満ちた書斎や、
ロックウィローのジルーシャの部屋の古い大きな机や、
暗い廊下にゆらゆらと揺れる細長い影に気持ちが飛んでしまいます。
たった3時間。
たった二人だけの役者さん。
なのに、あの舞台の上に広がった空間は、
なんてたくさんの場所を、時間を、想いを、願いを、欲望を、笑顔を、涙を、幸せを内包していたんだろう―――
今思い返しても、その深さと密度に感嘆してしまいます。

今回の公演では、幸いにも後方、前方、中央から3回観劇することができました。
その3回の観劇を、わたしは"ジャーヴィス・ペンドルトン"という、
臆病で熱情のある生き物を理解することに費やしたように思います。
彼についての印象的なシーンはたくさんありますが・・・というか、この舞台、どのシーンも印象的なのですが(笑)、
今回2日続けて観て、今更ながらにはっとしたシーンが幾つかあります。

一つは冒頭、暗く孤独な殻のような書斎の中でジルーシャの手紙を読む彼の姿が、
ジルーシャが「ダディ・ロング・レッグズ」という名前をつけた瞬間に、
ふっと光があたり浮かび上がるシーン。
なんだかね、この瞬間にジャーヴィスはジルーシャに捕まっちゃったんじゃないかなあ、と思うのです。
"ジャーヴィス・ペンドルトン"という名前は、彼の名前であるとともに、
家の名前であり、一族の名前であり、社会での名前である。
それはもちろん誰だって当然のことなのだけれど、
でも、それが彼にとって大きな重石であったことも確かなんじゃないかな、と思う。
ロックウィローでのジルーシャの発見から垣間見える、生き生きとした11歳の少年が、
こんなにも孤独で鬱屈とした大人になってしまった―――その、理由。
馴染めない一族。
求められる姿に当てはまらない自分。
そして、その名前から逃げることもできずに、
でも、家族が言う"正しい"お金の使い方はしないことで試みるささやかな反抗。
そんな彼にとって、ジルーシャが与えた彼のための名前と、
手紙からも感じられる生き生きとした彼女の呼びかけは、とても鮮やかで、甘やかな者だったはず。

彼女が"自分"に呼びかけるたびに。
彼女が"自分"の姿を思い描こうとするたびに。
彼女が"自分"に想いを届けようとするたびに。
彼女が"自分"という存在を求めてくれるたびに。
彼は"自分"を見つけていった。

ダディという存在が夢の存在ではなく、
どこかから自分を気にかけ、自分を見つめてくれている現実の存在であるということが、
ジルーシャにとって大きな拠り所で会ったのと同じように、
ジルーシャが見つめる"ダディ・ロング・レッグズ"という存在を通して、
彼は自分自身をもう一度知ることができたんじゃないかな。

そんな風に思いながら観ていたら、ジャーヴィスの変化や暴走っぷり(笑)が、
なんとも可笑しくて、切なくて、ちょっとめんどくさいけど(笑)可愛くて、仕方なくなってしまいました。
手紙を読みながら、表情がどんどん豊かになっていくのはもちろんなのだけれど、
自分の中にある衝動や欲望にも、凄く素直になっていってる気がするのね。

ジルーシャが扁桃腺炎で寝込んでいるときに、
彼女の寂しさと寄る辺なさが痛いほど伝わってくる手紙を読んで、
"罪を犯して"彼女に花を贈ってしまったジャーヴィス。
電話を手にするときの迷いのなさと、
電話をしてしまった後の、ちょっと呆然としているような彼の姿も。
孤児院のちょっと面白い文章を書く孤児ではなく、
初めてジルーシャと直に会ったときの戸惑いと躊躇いと好奇心に彩られた姿も。
自覚のないままジミーに嫉妬して大人気ない行動をとってしまう彼も。
そして、NYのシアターで、ジルーシャを見つめるその視線の強さも。
ロックウィローで童心に返って水遊びする無邪気さ(?)も。
ジミーとやるとジルーシャが言っていたことを悉く一緒にやる大人げのなさ(笑)も。
スカイヒルで月を見ながら、自分が見つけた"幸せの秘密"に対する戸惑いも。
そして、与えるということの本当の意味を知り、自分の傲慢さを自覚したときの自嘲も。
たぶん、新しい名前をもらう前の彼だったら、絶対にしないことばかり、感じないことばかりだったんじゃないかな。

そうそう、今回NYのシーンのジャーヴィスを観て、初めて"男"を感じてしまいました(笑)。
これまでは、生まれなおして成長しなおす子どもを見ているような気持ちだったのだけれど、
このシーンの彼には、凄く生々しい欲望があったように思います。
ジルーシャという、この不思議な生き物を手に入れたい―――
そういう、生々しくて、でも同じくらい純粋で、怖いくらいの欲望。
なんだかちょっとどきどきしてしまいました(笑)。
というか、このときサリーたちも一緒にいるわけですよね?
ジュリアはともかく、サリーは絶対ジャーヴィスの気持ちに気付いてたんじゃないかな。
で、きっとさりげなく気を使ったり、
でもジルーシャと義姉妹になれたら嬉しいなあ、なんて思って意図的に彼女を誘ったりもしてたのかも?
周りから見た二人もちょっと気になるけれど、
でもきっと端から見たらラブラブな二人でしかないのではないかと(笑)。

いやだって、最後の夏休みのジルーシャとダディのやりとりも、ジルーシャとジャーヴィスのやりとりも、
冷静に見てみると痴話げんか以外のなにものでもないような気もします(笑)。
あの清々しいくらいのテンポの良さとジルーシャの鮮やかさには、
毎回とっても楽しませていただいているのですが、
きっとジルーシャは無意識の中で、ダディとジャーヴィスに対しては同じスタンスになってたのかな。

ジャーヴィスと話し、彼と過ごすことでダディを思い、
ダディに語りかけることで、ジャーヴィスという存在を受け止める―――

この辺は、受け止め方というよりも個人的妄想の範囲な気もしますが(笑)、
だからこそ、最後に彼女は二人を一つの存在として受け止めることができたし、
何より初めてのはずのラブレターを、上手に書くことができたのかなあ、とも思います。


もう一つジャーヴィスで印象的なシーンとしては、終盤のあの慟哭。
確か♪チャリティー の前だったのだと思うのだけど、
それまで暴走していた感情に、やっと理性というか現実が追いついた感じ、なのかな?
21日と22日では、泣き方が全然違っていたようにも思います。
21日は、なんというか凄く激しさのある泣き方だったのね。
自分のしてきたこと、ジルーシャが与えてくれたもの、自分が与えることのできたもの、できなかったもの、
そして、自分が手にすることのできなかったもの―――
いろんなものに対する感情が、抑えきれずに溢れ出すような激しい慟哭に、
なんだかもう胸が引き絞られるような気持ちになった。
でも、22日は、もっとずっと静かな泣き方だった。
いろんなものに対する感情を、噛みしめて受け入れるような、そんな泣き方。
どちらもジャーヴィスとして違和感のないものなのだけれど、
個人的には22日の方がなんとなくしっくりときました。
なんというか、静かな分だけジルーシャに向かう気持ちの深さが伝わってくる気がしました。

でもって、ジルーシャにプロポーズして断られた後、ジルーシャの手紙を開けるまでの彼も切なかったなあ。
舞台の上では、ジルーシャのダディへの告白はもう始まっていて、
その手紙に書かれていることを観客は分かっているわけですが、
もちろん、彼にはそれはわからない。
けれど、その手紙には"ジャーヴィス"のことが書かれていることはきっと予想できていて。
最初と同じような薄闇の中で、手紙を手にしたまま逡巡する彼の周りには、
でも、最初とは違って、ジルーシャが書き綴ったたくさんの手紙が、彼を見守るようにそこにあって―――
薄闇に浮かび上がるその白い手紙たちの中に、
どれだけたくさんのジルーシャの想いが―――ダディへの愛情が込められているのかと思ったら、
もうジャーヴィスは独りではないのだと、孤独ではないのだと思えて、それがなんだかとても嬉しかった。
やっと手紙を読んだジャーヴィスは、その手紙を胸に押し当てて天を仰ぐのだけれど、
その胸に湧き上がったのは、たぶん単純な喜びや安堵だけではなかったんだろうな、と思う。
自分の臆病さが、ずるさが、ジルーシャを追い詰めていたことに対する後悔も、
そんな自分に対する怒りや情けなさも、きっと彼は感じていた。
そして、ジルーシャが自分に与えてくれたものを、
今のままでは自分はジルーシャに与えることができない、という確信も。

薄闇の中で涙を拭い、そしてもう一度光の中で手紙を書き始める彼の目には、声には、
これまでとは違う色合いがあったように思います。
それはたぶん、ジャーヴィスとダディが、本当の意味で一つになった瞬間だっただと思う。

初めての邂逅の時。
チョコレートを片手に大学を訪れた時。
NYの街で過ごした時。
そして、卒業式の時。
彼の影はいつも二つに分かれていた。
ダディである、彼。
ジャーヴィスである、彼。
どちらも本物で、でもどちらも本当の"彼"ではない。
その欺瞞から、彼はやっと解放されたんだなあ、と思いました。

まあ、その上でのあの逆ギレな辺りが、ジャーヴィ坊ちゃまたる所以なんでしょうけどね(笑)。

ラストシーン、抱きしめあう二人の手。
ジャーヴィスの手は、手に入れた愛しい生き物を強く強く抱きしめて。
そんな彼の背中を柔らかくぽんぽんと叩くジルーシャの手。
その満ち足りた二人の姿に、やっぱり温かな涙がこぼれてしまったのでした。


うーん、ほんとに今回はジャーヴィス寄りの観劇だったなあ(笑)。
もちろんジルーシャもちゃんと観ていたし、彼女の成長の鮮やかさに、
それでも彼女の中に小さく存在し続ける"みなしごのジルーシャ"の寄る辺なさに、
そして、そんな小さなジルーシャを抱きしめたまま、真っ直ぐに前を見つめようとする凛とした強さに、
やっぱりとても心惹かれたのでした。
最初に観た時、ジャーヴィスが言う「激しくて愛嬌のある生き物」というのがどうにもしっくりこなかったのですが、
複数回観て、ジャーヴィス視点だと確かにその通りかも、と思いました(笑)。
ジルーシャに寄り添っちゃうと、違う印象になっちゃうんですけどね。


そんなこんなで、何度観ても素晴らしいミュージカルでした。
千秋楽な22日のカーテンコールで井上くんが、
「こんなに短いスパンで再演ができるのは、皆さんの評価のおかげ。普通は飽きるんですけどね」
的なことを言っていたのですが、いや絶対飽きないって!
というか、二人とも飽きさせない気満々でしょ?(笑)
「(演出家に)またやるよね?、と言われた」とか、
「もっと二人の関係性を深めてみなさんにお見せしたい」とかも言っていたので、
また遠くない未来に再演があることを信じております!
あ、そうそう、鳴り止まないカーテンコールにもう一度出て来た井上くんが、
「こんな素晴らしい共演者と巡り会えて・・・」と言ったら、
真綾さんがすかさず「ずるい!」と叫んだのがめちゃくちゃ可愛かったですv
次の公演の時は、トークショーとかも観れるといいなあ(笑)。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
恭穂さま
恭穂さんが大好きとおっしゃっていたミュージカル。
本当にステキな作品でした。やっとですが観られてよかったです。
そして改めて恭穂さんの感想を読ませていただいて、
ますますジャーヴィぼっちゃんのことが好きに(笑)。
「チャリティ」の前のシーン、最後にジルーシャの手紙を読む前の
表情、私もとても印象に残っています。
会場で原作本も買ってしまったので(笑)、もう一度読み直して
次の再演に備えたいと思います。
スキップ
2014/04/03 12:36
スキップさん、こんばんは!

ほんとに大好きなミュージカルですので、
スキップさんに観ていただけてとても嬉しいですv
原作に描かれているジルーシャはもちろんのこと、
描かれていないジャーヴィスが本当に鮮やかで可愛かったですよねv
妄想レベルな記録で恐縮ですが、
更に坊ちゃまを好きになっていただけたなら何よりです!
私もアンコール公演を観た後に原作を読み直しました。
今井さん訳の本も気にはなっているのですが・・・
次の再演が決まったら、手に取ってみようかと思います。
恭穂
2014/04/03 21:48

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