瓔珞の音

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zoom RSS 黄昏の旅路

<<   作成日時 : 2015/05/16 21:33   >>

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最近、というかここしばらくずっと、チケット運が今一つだなー、というか良くないなー、と感じています。
いや、もともとくじ運とかは良くないのですが、
ライブとかの先行は軒並み落選だし、舞台のチケットもがっくりくることが結構あるし、
最近はまってる某世界では、出会いたい人に全く出会えないし・・・(^^;)
これまででくじ運を使い果たしたのか、
単にそもそも運がないのか、
はたまた欲望センサーなるものが働いているのか(笑)、
それとも何か大いなる意志が影響しているのか(え)はわかりませんが・・・

これはやはりお祓いに行くべきか??

そんなことを実は結構真面目に考えている今日この頃だったりします(笑)。

くじ運もそうですが、自分ではどうにもならないことに出会った時に、人はどんな反応をするのかな。
怒る、嘆く、狼狽する、諦める・・・いろんな感情があると思うけど、
私は小心者の臆病ものなので、諦める努力をすることが多いです。

この舞台の二人も、自分ではどうにもならない状況の中にあった。
その中で、彼らを満たした感情は何だったんだろう・・・


「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」

2015.5.10 マチネ 下北沢OFF・OFFシアター  A列一桁台

作:トム・ストッパード
翻訳:平川大作
演出:鵜山仁
出演:石橋徹郎、浅野雅博


物語は、二人の男がコインの裏表を当てるゲームを繰り返すシーンから始まります。
どちらが投げても、
どんなふうに弾いても、
どんなふうに止めても―――出るのは、表ばかり。
確率論的にありえないその現実を前にして、
負け続けているギルデンスターン(浅野雅博)は焦りと不審と惧れを感じ、
ローゼンクランツ(石橋徹郎)は、そんなギルデンスターンを見ながら飄々としています。
そして、二人ははたと気づくのです。

ここはどこなのか。
今は朝なのか夕方なのか。
自分たちは、ここで何をしているのか―――?

いきなり合流した旅役者の座長も加わって、
あちこちに飛び跳ねて混迷を極めた会話の中から、二人は思い至ります。
朝早く、一人の男に起こされた二人は、クローディアス王のお召を受け、王宮に馳せ参じたのだと。
そして、二人は“そこ”に至るまでの彼らの時間をもう一度歩み始めて―――


恭穂的解釈としては、こんな物語でした。
いやー、難しかった!!
でも、観ている時は、二人のテンポの良いやり取りに一気に引き込まれて、
一緒に悩んだり考えたりいぶかしんだりドキドキしたりしながら、
あっという間に1時間40分が過ぎてしまったような気がします。
2010年に観た「モジョ ミキボー」が本当に素敵な舞台だったので、
今回も迷わずチケットをとりましたが、
観終わった後の充実感というか余韻がとても好きな感じでした。
たぶん、このお芝居を私は理解しきれていないと思うのだけれど、
うっかり最前列ほぼセンターでの観劇になったこともあって、
彼らの彷徨う時間の中に私自身もいるような臨場感と、
「ハムレット」のストーリーを知っている分、そこに至る彼らを文字通り客観的に見ている冷静さの間を、
観ている間ずっと行ったり来たりしていたように思います。
これまであまり経験したことのないタイプのお芝居でしたが、とても刺激的でした。
たぶん、「ハムレット」の台詞を踏まえたやり取りもあったと思うのですが、
あまりその辺は知識がなくて・・・
もっと「ハムレット」に精通していたら、更に楽しめたのかなあ、と思ったりもしています。


「ハムレット」の物語を、二人の視点から見ているお芝居なので、
もちろん、「ハムレット」の台詞やシーンがそのまま演じられたり、
「ハムレット」では描かれていない部分も描かれていたりしていました。
が、これは二人芝居。
ですので、旅芸人の座長は黒子が持つ不気味な人形。
(でも、履いている靴が二人と同じクロックスのちっちゃいのなのが可愛らしくv)
座長の台詞は、黒子さんが背負ってる箱(スピーカー?)から出ていた気がするんだけど、
あれは誰の声だったのかなー。
彼が、二人の観客(あるいは演者?)を得たことに喜んで、
王の前で演じる芝居を同じく人形で演じ始め・・・そして、二人はいつの間にか王と妃の前に。
で、その王と妃をはじめとした登場人物たちは、
二人がそれぞれに扮装して撮影した映像が、舞台中央のスクリーンに映し出されて、
その映像とロズギルの二人がやり取りをする、という形。
映像と実体のやり取り、というのも面白かったし、
デーモン閣下並のメイクと、厚紙(かな?)2枚ではさむ形の衣裳(?)を着ていたので、
その現実感のなさがこの物語空間を更に深めていたように思います。
その衣裳が舞台の上に飾ってあるのも不思議な雰囲気だったな。
それにしても、石橋さんのガードルートが何気にお美しかったです(笑)。


石橋さんのローゼンクランツは、おおらかな笑顔がが魅力的。
浅野さんのギルデンスターンがしっかり者でちょっと神経質なお兄ちゃん、という感じなのと対照的で、
ちょっとやんちゃな弟分、というような印象でした。
ローゼンクランツの勢いに振り回されそうになりつつも、
頑張って踏みとどまって、でも考えすぎてぐるぐるしちゃって、
結局ローゼンクランツに打破されちゃうギルデンスターンも微笑ましくv
お二人は口跡も鮮やかで、難解な台詞を難解なまま、でもとても意味深に語られていて、
「モジョ ミキボー」の鮮やかな演じ分けとはまた違う部分で、凄いなあ、と思ってしまいました。

そんな二人の旅路は、「ハムレット」の物語に沿うようにして進んでいきます。
途中、王から名前を間違えて呼ばれたりして(「ハムレット」でもそうでしたっけ?)、
それを「それが正しいんだっけ?」的に受け入れそうになってしまう二人がいたりして、
もともとカタカナ名が苦手な私は非常に混乱したりも(笑)。
それ以外にも、そもそも自分たちがどうしてここにいるかがはっきりしない彼らのやり取りは、
曖昧さと不確かさと形のない不安に満ち溢れているようで、
観ている私もなんとなく落ち着かない気分になりました。

そして、ハムレットのお供としてイギリスに渡る船に乗った二人。
そこでのやり取りは、もちろん「ハムレット」には描かれていないもので。
寝入った二人が持つ王の親書を、こっそりとすり替えるハムレット。
そして、海賊の襲撃―――
ハムレットを見失った二人は、この後どうするかをまたしても相談。
そして、自分たちが持っている親書に思い至ります。
ハムレットは行方不明になってしまったけど、この手紙があるしー、という感じで、
ローゼンクランツは手紙を開封して中を見ます。
しかし、そこに書かれていたのは、自分たちを絞首刑にしてほしい、という内容で―――

そして、二人は思い至るのです。
この旅路の果てにある結果は、既に決まってしまっていることに。

泣きはらした真っ赤な目をして、その“事実”に感情を爆発させて、走り去ってしまうローゼンクランツ。
その彼の背に手を伸ばしながら、静かに深くやるせない想いを呟くギルデンスターン。
けれど、その事実に直面した二人をあざけるかのように語る座長を剣で刺し貫いたのは、
ギルデンスターンその人でした。

ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ。

それは、「ハムレット」の中のほんの短い一つの台詞に過ぎません。
ハムレットの友を自称する二人は、決してハムレットの真の友ではなく、
ハムレットが生きる世界の端っこで、ただわたわたとしているだけの存在なのかもしれません。
自分たちを動かす者の意図を知ることもない、愚かな脇役なのかもしれません。

曖昧で不確かな、永遠に黄昏が続くような、彼らの世界。
けれどそこは、表が出続けるコインのように、
決して崩すことのできない意図と作為に囲まれた箱庭のような場所だった。
それを、運命と呼ぶのか、神の摂理と考えるのか、
その神とは冒頭で窓の外からローゼンクランツが取り出した内輪に描かれた、
シェイクスピアなのかは私にはわからない。
この世界に生きた―――あるいは、絞首台の上で死にゆく彼らの中に現れた世界を再び旅した彼らは、
愚かで浅はかではあったかもしれない。
けれど、その、底なしに人間臭い彼らの在り方は、この不条理な世界の中で、
鮮烈な印象を私の中に刻み込んだのでした。


うん、このお二人+鵜山さんのお芝居、私はやっぱり凄く好きだな。
また、こういう企画があったら、下北沢への恐怖を振り切って(笑)、また観に行ってみようと思います。
とりあえず、「トロイラスとクレシダ」がとっても楽しみ!

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