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zoom RSS 水底で寄り添う想い

<<   作成日時 : 2016/02/29 21:32   >>

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仕事にめげたり頭痛に負けたり某所の某刀探索に玉砕したり某ネット小説に嵌ってファンタジー熱再燃したり
久々に観劇記録以外の趣味の文章を勢いで書きあげたりしていたら、
あっという間に2月も最終日になっていました・・・やばい!
今月はそもそも観劇数も少なかったのは確かなのですが、
さすがに1ヶ月に1個しか記事がないのは哀しいので、
滑り込みセーフでもう一個記録しておこうと思います。
・・・って、そういえば今年最初の記事も滑り込みだった気がする(^^;)
今年はそういう年なのかもですが、記録はちょこっとでも必ずしようと思っております!・・・と書いておく(笑)。
というわけで、覚書的観劇記録、いってみますか。


NODA・MAP第20回公演
「逆鱗」

2016.2.20 ソワレ 東京芸術劇場 プレイハウス 2階A列10番台

作・演出:野田秀樹
出演:松たか子、瑛太、井上真央、阿部サダヲ、池田成志、満島真之介、銀粉蝶、野田秀樹、他


というわけで、久々のNODA・MAPを観てきました。

今回、最初に思ったのは、なんて綺麗な空間なんだろう、ということでした。
冒頭、松さん演じるNINGYOが独白する碧の水底。
水中水族館の水槽の中で泳ぐ鰯の群れ。
敵から仲間を守るために、命をかけて一匹が散らした鱗の雪のようにきらめく無数の鱗。
人の領域と海の領域、現実と幻想、現在と過去・・・いくつもの空間を隔て、結ぶ不思議な鏡。
大小のシャボン玉がふわりと揺らめく人魚の世界。
そこに蠢く獲物を求める人魚たち―――
今回は2階席からの観劇だったので、舞台の全体が見えたのですが、
本当に何とも幻想的で、でも、その美しさに絡めとられるような息苦しさも感じられて・・・
昔、一度だけ経験したスキューバダイビングの記憶がふっと思い浮かびました。
空気と隔てられた空間の、本能的な恐怖と陶酔―――

そして、一見取り留めなく、けれど綿密に紡がれる言葉の数々に、ふと不安になりました。

この物語は、いったい何をモチーフにしているのだろう、と。

これまで、野田さんの舞台でモチーフとなっていたものは、
直接的にその言葉が出ることはあまりなかったように思います。
積み重なるシーンや言葉が一つの形に集約されたとき、現れる絵の衝撃。
それは私をいつも打ちのめすので、今回もちょっと身構えてみていたんですね。
これはあの事件かな? それともあの災害に繋がるのだろうか?
そんな風に考えながら、何が来ても大丈夫なように身構えてた。

でも、この物語はそのモチーフをあまりにも直接的に描いて来て・・・目の前に示された答えに、
描かれるデフォルメされているはずの“事実”の生々しさに、なんだか呆然としてしまいました。
自分が何を観てきたのか、これまでの台詞が、シーンが、
いくつの意味を持ち、何のメタファーで、どんなアナグラムであったのか。
捕まえ損ねたその繋がりを真剣に探していたら、
観劇後、なんだかもう立ち上がりたくないくらい疲れていました(^^;)
なんというか、直接的だからこそ、私には非常に難解だった気がする。
野田さんのお芝居は、いつもほんとに打ちのめされるので、基本1回しか観ないことにしているんですが、
この物語に限っては、ちゃんと回天について勉強したうえで、もう1回最初から観てみたいな、と思いました。
・・・まあ、日程的にもチケット的にもそれは無理なんですけどね(^^;)

そんな感じで、例のごとく理解できたのはきっとごく一部な私なので、
この後は役者さんのことを少しずつ。

NINGYO役の松さん。
この方の声の響きは、本当に美しいなあ、と思います。
なんというか、あの最初の独白は、台詞というよりも、ある意味歌のような、
あるいは、直接体の中に響いて、その中で言葉という形になる音の羅列のような・・・
あの幻想的な空間を構成する素晴らしい要素だったように思います。
水族館に現れた、自分を人魚と信じる女と、
水底に誘った男に、人魚の理を伝えていくNINGYOと、
その身の内に男を抱え込んだまま、その男が死んでいくのに寄り添うことしかできない人魚=回天と・・・
どのシーンも、彼女がいなければ成り立たなかったんじゃないかなあ、と思う。
彼女の首から剥がされた“逆鱗”の意味を、なんだかいろいろ考えてしまいます。
私の席からは細かな表情は見えなかったけど、
だからこそ、その声が、その佇まいが伝えてくるものは大きかったように思います。

モガリ役、瑛太さん。
水族館に電報を届けにやってくる、見えないはずのものが見える、青年。
NINGYOに振り回され、ザコに翻弄され、サキモリと一緒に右往左往し・・・
阿部さん演じるサキモリとの関係性や軽快なやりとりが、
だんだんと終盤の“事実”に向けて変わっていく過程の、
あの心許なさというか、不安定な感じがとても印象的でした。
見えないはずのものが見える青年が、最後、聞こえないはずの爆音が聞こえると叫び続け、
人の心が聞こえるという男が、回天に乗って出撃していく青年たちの想いであるはずの言葉を代弁し、
碧の髪をした人魚たちが、青年たちに寄り添うように順々に海へと放たれていく・・・
あの出撃シーンの緊迫感と異様さに息を呑みました。
最後、一人になったサキモリのあの台詞は、本当に重かったなあ(涙)。
一人海に沈んだモガリ・・・ではなく、回天に乗った青年の独白と、
言葉をかけることも、助けることもできず、自分こそが彼を死に至らしめると知りつつ寄り添うしかできない人魚。
その姿は、まさにアンデルセンが描く声を失いながらも人を愛する人魚であり、
人の優しさと裏切りに涙しながら、その想いを蝋燭に描き続けた人魚であり・・・
光の届かない水底に佇む二人の、決して重なることのない視線が切なかったです。

満島くん演じるイルカくんは、明らかにさかなクンがモデル(笑)。
あの長身の濃い顔の上に、イルカの帽子をかぶっているミスマッチさがいい味を出してましたv
が、素直で一生懸命な青年が、戸惑ったり違和感を覚えたりしながら、
最終的にはまっすぐなまま破滅に向かっていくさまを観るのはきつかったです・・・

そんなイルカくんを翻弄するザコ役の井上真央ちゃん。
NINGYOとは全く異なるスタンスでの多重性に目を奪われました。
彼女の真意がどこにあるのか、
彼女が求めているものは何なのか、
そもそも彼女が全ての黒幕なのか・・・?
相対する人ごとにいろんな表情を見せるその存在の曖昧さは、
ザコの上司である人魚研究の学者、柿本(野田秀樹)や、
ザコの父親で舞台となる水族館の館長である鵜飼(池田成志)の存在感を、
一瞬仰臥するような強烈さがありました。

というか、この3人の在り方って、人魚の世界よりもずっと生臭くて動物的な感じがしました。
なんだろう・・・人の中にある下衆な部分を綺麗に飾って見せてくれてるみたいな?
観ているうちに、鳥獣戯画が思い浮かんだんですよね。
自分でも不思議だし、言葉で説明はできないんだけど、なんだか凄く納得できていたり(笑)。

銀粉蝶さん演じる鰯ババア(逆八百比丘尼)は、衣裳や振る舞いの派手さとか怪しさとは裏腹に、
シンとした静けさのようなものが感じられました。
逆八百比丘尼という存在の意味を私はちゃんと理解できていないのだけど、
水族館に現れる謎の鰯ババアから、最後、回天で息子を亡くした母親に至るまで、
言葉を超えた説得力のようなものを感じました。
当事者であるはずなのに、究極の傍観者でしかいられない悲哀、というか・・・
うーん、上手く言葉にできないなあ。


観劇から1週間以上経っていて記憶が曖昧、ということもあるのだけど、
いつにもましてわけのわからない記録になってしまいました・・・
まあ、私の中で上手く収まりどころが見つかってない物語だから仕方ないか(^^;)
ほんとに、もう1回、答えがわかった上で観たかったなあ。
とりあえず、戯曲が載ってる雑誌、まだ売ってないか探してみます。

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