瓔珞の音

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zoom RSS 松かさ菊の咲く丘で

<<   作成日時 : 2017/06/02 23:21   >>

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1914年5月28日。
一人の男に絞首刑が言い渡された日。
103年の時を経て―――けれど、あの時の“彼ら”と今の私たちはいったい何が違うのだろうか。


「パレード」

2017.5.28 ソワレ 東京芸術劇場 プレイハウス 1階H列20番台

演出:森新太郎
出演:石丸幹二、堀内敬子、武田真治、新納慎也、安崎求、未来優希、小野田龍之介、宮川浩、
   秋園美緒、飯野めぐみ、莉奈、坂元健児、藤木孝、石川禅、岡本健一、石井雅登、杉山有大、
   当銀大輔、中山昇、水野貴以、横岡沙季、吉田萌美


物語の舞台は1913年のアトランタ。
南北戦争終結から数十年を経てもなお、
南北の確執は様々な要素を内包しながら人々の心に根付いていました。
南軍戦没者追悼記念日のパレードが行われた日。
鉛筆工場で13歳の白人少女メアリー(莉奈)の死体が発見されます。
容疑者として身柄を確保されたのは、死体の第一発見者であり、
その工場に勤める黒人の警備員ニュート・リー(安崎求)。
そして、北部から妻の故郷であるアトランタに移り住み、この工場を任された、
ユダヤ人レオ・フランク(石丸幹二)でした。
絡み合う政治的社会的思惑の果てに、無実の罪で起訴されたフランク。
「北部」からやってきた、富を占領する「ユダヤ人」の男が犯した卑劣な犯行に、
アトランタ市民たちは強い憎悪と嫌悪と怒りに満ち溢れていきます。
その結果として集まる、様々な情報。
そして、彼の裁判では、殺されたメアリーのボーイフレンドや工場で働く少女たち、
フランク家の黒人メイド、工場の黒人清掃員などが、次々とフランクに不利な証言をしていきます。
その証言が全て嘘であることを知っているのは、フランクとその妻ルシール(堀内敬子)だけ。
陪審員全員が有罪と判断した結果、フランクには絞首刑が言い渡されます。
けれど、夫の無実を証明するためにルシールが取った行動から、
数々の証言が偽証であることが明らかにされていき―――

という感じの、実話を基にしたミュージカルでした。
例のごとく全く予備知識なしでの観劇だったので、この物語が実話であることを知ったのは、
終演後のアフタートークでだったのですが・・・知らなくて良かったかも、と思いました。
だって、フィクションだと思って見ていても、本当に重く辛い物語で―――
こんなにも途中で逃げ出したくなって、でも、見届けなくては、と強く思った舞台は初めてかもしれません。
そして、この舞台に出会うことができて良かった、と強く思いました。

犯罪の被害者と加害者。
被害者家族と加害者家族。
同じ町に、国に住むだけで、直接的には何の関係もない一市民。

どの立場で見るかによって、多分受け取るものも湧きあがる感情も大きく異なる。
正直私は、最後までどのスタンスも取ることができませんでした。
登場人物のそれぞれが、一つの事件を自分に引き寄せて、
その結果として自分の見たいものだけを見たいように見て、自分が“見た”ものを信じて行動する。
それは決して悪意から来るものだけではなくて。
善意の一市民が、得た情報から構築した“結論”でしかなくて。
何が本当で、何が偽りなのか。
何が正義で、何が罪なのか。
絶対的にあるはずの真実が、意図して或いは意図せずに歪められ、隠され、踏みにじられていく。
それは、決して過去のアメリカだからこそ話ではなく、現代日本もきっと何も変わらなくて―――

赤く染まった空の下、黒々とした枝を広げ、深く根を張る大木。
パレードの日に降り注ぐ色鮮やかな紙吹雪と、交わされる幼い約束。
策謀と疑心と嫉妬の渦巻く華やかなパーティの中で、揺るがない夫婦の絆。
西日の射す牢獄の中で、暖かな妻の膝枕の上で一人の男が夢見る松かさ菊が咲き乱れる草原。

一人の男を破滅に導きく陰惨な物語の中、差し込まれる美しい光景はあまりにも鮮やかで。
でも、その闇も光も、全て人間が創りだしているもので。

この舞台を観たことで受け取ったものを、私はきちんと消化することはできていません。
“正しい答え”がもしあるとしても、それを私は見つけられなかった。
でも、この舞台を観て得た衝撃を、言葉にしようとしてできなかったいろんな気持ちを、
そして、この舞台の上での彼らの生き様を、
私は絶対忘れない―――忘れてはいけないと思うし、きっといろんな瞬間に思い出すと思う。
そんな風に思いました。


うーん、やっぱりちゃんと言葉にはできないなあ(^^;)
こういう時、自分の文章力のなさがほんとに情けなくなる。
いつか機会があったら、この舞台を観たお友達と語り合えたらいいなあ、と思います。
でも、今はとりあえず、役者さんの感想を。


フランク役石丸さん。
真面目で誠実だけれど、頑なで鈍感な一人の普通の男が、
不意に落とされた暗闇の中を一歩一歩進むように変わっていく様を、
とても丁寧に見せてくださったように思います。
なんというか、ある意味この事件って、
南部の人々を理解しようとせずに拒否し続けたフランク自身が呼び寄せた部分もあるのかな、と思う。
女工さんや街の人たちが、フランクという男のことをちゃんと知っていたら、
また流れは違っていたのかなあ・・・って。
そのくらい、冒頭のパレードの中右往左往するフランクの拒否っぷりは凄かった(^^;)
相手を理解しようとしなければ自分は理解してもらえないし、
相手に歩み寄ろうとしなければ、相手は歩み寄ってくれないんだよね。
でも、ルシールだけは違っていた。
南部ジョージアの女である妻を、フランクは最初先入観を持って見ていたし、理解してはいなかった。
でも、彼女と共に戦う中で、フランクはルシールの強さを、優しさを、賢さを、情を、
一つ一つ受け止めて、理解して、寄り添っていくことで、彼自身が変わっていったのかな、と思う。
終盤、妻への愛をはっきりと言葉にして、ルシールの膝枕で眠るフランクの表情は、
とても安らいでいて―――ああ、このまま幕が下りてしまえばいいのに、と思った。
この先を見ずに、今席を立ってしまいたい、と思った。
でも、同時に、彼の最後の選択を見届けなくては、と思った。
ラスト、拉致されて(かな?)、絞首刑か罪を認めるかの選択を迫られたフランクは、
彼の―――彼と妻の真実を守るために、絞首刑を選びます。
その時の彼の表情は、決して絶望ではなかったと思う。
そのことと、それから、彼の真実を信じようとする人(杉山さんかな?)がその場にいたことに、
なんだかちょっと救われた気分になりました。
それにしても、裁判のシーンの緑の照明の中のブラックフランク(え)、めっちゃ生き生きしてたな(笑)。
フランクは基本きっちりしているというか、弾けた動きはしない役柄なので、
その落差にちょっと呆然としちゃいました(^^;)
でもって、アフタートークの時に武田さんが暴露してた森語録で、
このシーンの稽古で普段のフランクのままでやってた石丸さんに、
「もっと踊ってください! ミュージカルなんだから!!」と言い放った、
ミュージカル初演出な森さん、素晴らしすぎる(笑)。

堀内さんのルシールは、最初の方はちょっと世間知らずなお嬢様、という印象だったのですが、
フランクの逮捕から裁判を経ていく間に、どんどん在り方が変わっていったのが凄い。
フランクについての嫌なことを聞かされたり、メアリーの母に会うのが辛いから、
裁判には出たくない、と言っていたルシール。
裁判の最中、本当に倒れてしまうんじゃないかという風情だった彼女が、
フランクの最終弁論(とは言わない?)を聞いている中で、
真っ直ぐに彼を見つめ、決意を固めていく様が、本当に鮮やかで―――
あの表情があったから、2幕の彼女の行動に説得力が出たように思います。
歌声も、まろやかで強い綺麗なソプラノが、石丸さんの歌声に重なるのが、
聞いていて本当に気持ちが良かった。
四季でのお二人を私は見たことがないのだけれど、それをちょっと後悔しちゃいました(笑)。
終盤の、牢獄でのピクニックのシーンは、
冒頭で彼女が行きたいと言ったピクニックとの対比なのだと思うけど、
最初と最後でその意味は全然違っていたし、白からグレーに変わった衣裳が象徴するように、
ルシール自身も大きく変わっていたように思います。
スレイトン知事に直談判に行く時も、弱気なフランクを鼓舞する時も、
ルシールの陽性の強さは本当に素敵だったのだけれど、
やっぱり、ラストシーンのあの表情は本当に圧巻でした。
フランクの死の後、訪ねてきた新聞記者クレイグに対峙した喪服のルシール。
その後、舞台で繰り広げられるパレードの光と笑いに満ち溢れた光景をバックに、
舞台前方に佇む彼女の表情から目が離せませんでした。
上手前方席で、その表情を近くからつぶさに見ることができた、ということもあるのだと思うけれど、
なんだかもう息を呑んで、ルシールと同じように固く手を握りしめて見つめてしまった。

硬く引き結ばれた唇。
真っ直ぐに前を見据える瞳にゆっくりとかかる涙の膜。
徐々に紅潮していく頬と、握りしめられた震える手の白さ。

彼女の中に渦巻く、怒り、悲しみ、悔い、決意、覚悟、愛情―――たくさんの感情。
けれどその嵐のような感情を内包する彼女の表情は、どこか静謐さを讃えていて。
不意に、泥眼という能面が思い浮かびました。
執念を持つ女であり、且つ菩薩でもある金色の目をした面―――
アフタートークで、ルシールは死ぬまでミセス・フランクを名乗りつづけたと言っていました。
「私はジョージアの女です」と言うルシールの言葉の意味を深く考えたくなってしまいました。

新聞記者クレイグ役は、武田さん。
SWのニックみたいな飄々としたお茶目な感じで、彼が出てくるとぱっと明度が上がる気がしました。
まあ、やってることは最低なんですけどねー(え)。
クレイグという役は、この物語の中で唯一実在しない人物で、
当時の新聞記者はこんな感じだった、という作りなのだそうですが、
加害者家族にも被害者家族にも臆面もなく近づいて、
集まった情報の真偽も確認せずに記事にするって、今のマスコミと変わりないですよね(^^;)
でも、裁判のシーンあたりから、少しずつクレイグの表情が変わっていって、
最後、ルシールに辛辣に追い払われた彼の背中が悄然としているのに、
なんだか少し気持ちが温かくなりました。
それにしても、こういう愛嬌のある、というか憎めない雰囲気、武田さんならではだなあ。
そんな武田さんに「持てないだろ!」と言う森さん、凄いし、
森語録を携帯にメモってる武田さんも素晴らしいです(笑)。
アフタートーク、いろいろ教えてくださってありがとうございましたv

フランクを基礎して追い詰める州検事ドーシー役は石川さん。
岡本さん演じる州知事スレイトンに命じられるまま、
黒人一人じゃ民衆の怒りは収まらない、とフランクを犯人に仕立て上げるわけですが・・・
部下にそれを納得させるためのナンバー、言ってることとんでもないのに、
妙に説得力があるのは石川さんのなせる業なのでしょうか(笑)。
証人たちに対しても、言葉巧みに誘導していったんだろうなあ。
それは、10代の少年少女じゃ抗えないよね(>_<)
裁判でメアリーのお母さんに語り掛けるシーンは、私もうっかり泣かされそうになったし(^^;)
でも、そこはかとなくフランクに対する罪悪感も感じられたように思います。
それにしても、スレイトン知事との関係が凄い気になる・・・
名前で呼びかけたりするということは、学校の同級生とか幼馴染とかそんな感じなのかなー。
でもって、知事の奥様を巡っての恋敵だったりとか?
最終的にこの事件をきっかけにスレイトンを追い落として知事になるわけなのだけど、
そこに至るまでの彼の背景にもちょっと思いを馳せたくなりました。

そんな岡本さん演じるスレイトン知事は、堅物な感じのドーシーとは対照的に、
社交的でダンディでかっこいい州知事さん。
2幕のダンスパーティのシーンで、女性客たちと次々に踊りながら、
彼女たちの良いところをそれぞれに褒めて笑顔にさせるスキル、とんでもない!と思いました(笑)。
でも、彼が一番愛しているのは秋園さん演じる奥様のサリーだし、
サリーもそれがわかっていて余裕の笑顔でドーシーをあしらってるし・・・
なんというか、この夫婦もフランク夫妻とはまた違った意味で素敵なご夫婦だなあ、と思いました。
スレイトン知事の最後の演説の前のサリーの言葉に、ああ、この夫婦は大丈夫だ、と思った。
でもまあ、アフタートークで言ってたみたいに、全ての元凶は彼なんですけどね(^^;)

新納さんが演じていたのは、反ユダヤ主義の活動家ワトソン。
ワトソンの最初のソロが、確かメアリーの葬儀のシーンで、
最後に一人で残って花を手向けるところだったと思うのですが、
あのシーンのワトソンの笑みが、ぞっとするほど綺麗で邪悪だったのが印象的。
前半では、彼の行動は決して表立った派手なものでなかったと思うだけど、
終盤、ドーシーを知事に、と煽るシーンの曲(♪洪水のとき、お前は? かな?)での、
がーっと前に出てきて全ての人を煽る勢いというか吸引力には、ちょっと動揺しました。
このシーンは客席通路に降りてきて歌う部分があって、結構至近距離だったのだけど、
これはみんな煽られるわ、と思いました。さすが新納さん。
アフタートーク情報では、ワトソンは実際に俳優並みの美形だったらしいです。
でもって、ワトソンは最初から全部計画していて、
自分の手で知事にしたドーシーを次の選挙で自ら追い落として知事になり、
最終的には上院議員になるのだけど、その後暴飲と肥満に侵されて、窒息で亡くなったのだとか。
でもって、稽古で森さんに言い返せるのは新納さんだけで(実は新納さんの方が1歳年上!)で、
森さんも結構いろいろダメ出しをしているんだけど、本人はそんなに応えてなくて、
むしろその後に周りから「気にしないで」とか言われる方がダメージ大きかったんだとか。
あと、「すべて細すぎる!茶柱か!」とか言われたらしい・・・新納さん、ご利益ありそう(笑)。
あと、楽曲が凄く難しくて、歌ってたら森さんに「音程合ってる?」って言われて、
「合ってるわい!!」と言い返したらしいです。どっちも凄いな(^^;)
でも、楽曲の難しさはとんでもなくて、伴奏を聴かずに歌って、
と言われたのは新納さんも初めてだったとのこと(だったら伴奏いらないじゃん!と思ったらしい(笑))。

あ、この日のアフタートークは武田さんと新納さんと石川さんという、フランクを陥れる悪役3人で、
贖罪のためのアフタートーク的なことを言ってました(笑)。
歴史的な背景や事件のこと、真犯人のこと、
目撃者のこと(メアリーが同僚とキャッキャしながら恋バナしてる時に名前だけ出てきたらしい)など、
いろいろ教えてくださって、とても勉強になりました。
武田さんの森語録の流れで、出てくるはずがなかった坂元さん(森さん被害者の会代表?(笑))が出てきて、
動きの再現付きでいろいろ訴えていったり、その様子を当銀さんがスマホで撮影してたり、
とうとう森さんが引っ張り出されてきたら(間違ったことを言わないか、袖で控えてたらしいです)、
スタッフさんがすかさず裁判シーンの証人用の椅子を出してきたりと、笑いも満載でございましたv

ちょっと話が逸れましたが、そんな坂元さんがメインで演じていたのが、工場の清掃員コンリー。
いやー、凄まじい役でした。
最初、坂元さんだって全然わからなくて。
こんな風に普通の尺度では測れない、悪そのものでできているような人を坂元さんが演じることに、
まず驚いてしまった。
コンリーの歌うシーンは、ドーシーとのやりとりも、裁判も、収容所も、
とにかく何を言いだすかわからないというか、めちゃくちゃ身構えて見てしまいました。
収容所のシーンの曲とか、曲調としては明るくてめちゃくちゃかっこいいのですが、
その純粋な邪悪さに、戦慄する思いでした。
そんな坂元さんがフランクを最後まで追い詰める警官の役も演じてるというのも、
なんというか意味深だなあ・・・

坂元さんとは違った意味で、怖さのある存在だったのが、藤木さん演じる判事。
台詞や歌は決して多くはないのだけれど、もう全部が意味深と言うか、
二重三重の意味があるような気がして・・・
ドーシーとの釣りのシーンもですが、個人的には裁判のシーンが印象に残りました。
次々と語られる証言を見つめるその横顔の厳しさと静けさ。
言葉を発しなくても、そこで自分は見ているのだと、強く伝える存在感。
判事がフランクを有罪にしたのは、怒りに暴徒と化した民衆に彼が殺されないよう、
護るための意図もあった、とのことなのですが、さもありなん、という感じでした。

メアリー役は莉奈ちゃん。
拝見するのは、LSH以来かなー。
実は彼女のジュリエットが大好きで、未だに彼女を超えるジュリエットには出会えていないのですが、
久々に舞台で観た莉奈ちゃんは、ジュリエットの頃とはまた違った、
安定感と深みのある可憐さがあったように思います。
メアリーという少女がどんな少女だったのか。
身体と気持ちがちょっとアンバランスになる時期の、
大人っぽさと幼さがまじりあったメアリー。
ボーイフレンドを翻弄する、ちょっと小悪魔な感じもあったりして・・・
だから、お給料をもらって立ち去ろうとしたメアリーが振り返って、
フランクに何を言ったのかが、凄く引っかかってて。
最後に、その言葉が明かされたとき、なんだかほっとしてしまいました。
物語の中心はフランクの冤罪や政治的な事柄になっていって、
それは物語の作りがそうなっているから仕方のないことなのだけれど、
全ての始まりであるメアリーの存在が、どんどん小さくなって、追いやられていってしまうのは、
なんだか凄く釈然としないきもちになりました。
論点がずれてるよ! 本当に注目しなくちゃならないことはそこじゃないでしょ!って何度も思った。
ああ、でも、それもこのミュージカルのトリックの一つなのかな。

メアリーのボーイフレンド、フランキーを演じたのは小野田くん。
ある意味、この事件で一番変貌を遂げたのは彼だったのかもしれないなあ、と思いました。
あの時一緒に工場に行っていれば―――そう嘆くフランキーが、
後悔と嘆きと怒りと絶望を生きるエネルギーに変えるためには、
フランクという明確に憎むことのできる相手が必要だったのかなあ。
彼の証言は、多分彼の中では“真実”だったのだと思う。
ちょっとしたメアリーの言葉を大きく広げた結果だったんじゃないのかな。
冒頭の二人がじゃれ合ってるシーンが本当に初々しくて可愛かったので、
(小野田くん、ちょっと体絞った? 少年っぽさが戻ってた気がする)
その後の彼の嘆きや変貌は、本当に観ていて辛かった。
終盤、絞首台にのぼったフランクの足台を外すのがフランキーだったこと、
その時の、「メアリーのためだ!」という叫びが、本当にやるせなかったです。

小野田くんは舞台の始まりで、南北戦争に赴く若い兵士としても、素晴らしい歌声を聞かせてくれています。
あのシーン―――赤く染まった空と、そこにそびえる大木の黒々とした姿。
戦争に赴く若い兵士の高揚と慄き。
右足を失くした老兵士(安崎求)が歌う失われた時。
一気に、物語の世界に引き込まれました。
この老兵士は、フランクの最期のシーンにも表れて、「ジョージアは法の決定を行使する」的なことを言うのだけど、
実在の人物と言うよりも、北部に対する南部の象徴的な存在だったのかなあ。

象徴という意味では、セットの大木も素晴らしかったように思います。
そこに生きる人々を厳しい光から守る存在のようであり、
南部の人々の心に深く根を張る歴史のようでもあり。
きっともっといろいろな意味が込められていたんだろうなあ。
セットのコンセプトとかも、聞いてみたい気がします。

あと、パレードのシーンで降り注ぐ紙吹雪も凄かった!
パレードのシーンは何度かあって、そのたびにどんどん色とりどりの紙吹雪が降り積もっていくのだけど、
華やかなパレードの様や、降り積もる落ち葉や咲き乱れる花のようにも見えたり、
(2幕冒頭の黒人のお二人が箒で掃こうとするけど全然らちが明かない感じで(笑)。
 というか、未来さんと宮川さん、本役とは全然雰囲気違って凄かった!)
照明や盆の動きが、紙吹雪そのものの動きに繋がって、なんだかとても不安定な印象を受けたり、
紙吹雪が舞台を覆い隠していく様が、様々な思惑で真実が覆い隠される暗喩のようにも見えたりしました。
実際、バミリや盆の境が全然見えなくて、役者さんたちは現実的に大変だったらしいです(^^;)
盆に乗り損ねて、ポーズを取った後にそのままぴょんっと飛び乗ったアンサンブルさんもいらしたとか(笑)。
和紙のような紙でできているので、滑らないらしいですが、それでも見ている方はちょっとハラハラしちゃいますね。
でもって、この紙吹雪、毎回破棄して新しいのを使っているらしいです。
で、毎朝スタッフさんが色ごとに束になって送られてくる紙を、手作業で混ぜてるんだとか。
・・・お疲れさまです!
でも、それだけの労力に見合う効果のある紙吹雪だと思います!

森さんの演出は、「ビッグ・フェラー」「クレシダ」に続いて三作目なのですが、
これまでの2作品でも感じた、光のニュアンスの雄弁さが、
今回の舞台でも、この大木と紙吹雪と共にとても素晴らしく発揮されていたと思います。
上手や下手の袖の低い位置から舞台を照らす白い照明で場面を変えていったりするのも、
紙吹雪があることで思いがけない陰影を生んでいて、ちょっと見入ってしまいました。
ミュージカルの演出は初めてとのことですが、
この演目は、森さんに演出していただけたからこそ、なんじゃないかな、と思う。
アフタートークの最後に石川さんがおっしゃっていたのですが(細かい言葉は違うと思います!)、
自分が芝居を始めたころは、自分たちの作りたいものを作り、それで世界を変えようとしていたけど、
今のご時世だと、観客は明るい気持になるために舞台を観て、
作り手も、そういう観客が求める舞台を創るようになってきている。
その中で、こういう舞台がこんなにも観客に受け入れられているのがとても嬉しい、ということばが、
なんだかとても心に沁みました。
確かに、何の憂いもなく笑顔で楽しめて、
スッキリした気持ちで劇場を後にできる物語が必要な時もあるけれど、
「パレード」のように、目にしたもの、受け取ったものを自分の中て深く考えたくなる舞台も、私には必要。
逃げ出したくなるくらい辛い物語だったけど、本当に、観て良かったと思える舞台でした。

東京公演は明後日まで、だったかな。
その後、大阪名古屋でも上演されるようです。
思うままに書いていたら、凄く冗長でわかりにくい記録になってしまったけど、
こちらに迷い込まれて、これを読んでくださって、もしこの舞台に興味を持たれた方がいらしたら、
是非、ご覧になってみてください。
笑顔で劇場を後にすることは難しいかもしれないけれど、
(私はアフタートークのおかげで笑顔で帰れましたが(^^;))
きっと心の深いところに、大切な何かを降り積もらせてくれる舞台だと思います。


そうそう、松かさ菊ってデージーのことなんですね。
それを知ったときに大好きなバンドの♪未完成デイジー という曲が思い浮かびました。
彼らの曲の中でもかなり特別に大好きな曲なのですが、ちょっとフランク夫妻にも通じるかも?
こちらで聴けますので、もしよろしかったらどうぞv

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