明日の約束

また、明日。

それは、果たされる最初の約束。
果たされない、最後の約束。
でも、それは紛れもなく、二人の“今”―――


朗読劇「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」

2018.8.25 ソワレ オルタナティブシアター H列20番台

原作:七月隆文
脚本・演出:三浦直之
出演:鈴木拡樹、山﨑紘菜


ラノベ原作で、映画化や漫画化もされているというこの物語。
とても有名な作品のようですが、私はこれまで全然意識しておらず(^^;)
じゃあ、どうしてチケットを取ったのかといいますと・・・

時代物でない作品の鈴木くんを見てみたかったから。

という理由だったりします。
以前井上くんが「日本人の役をやったことがない」ということを言ってた気がしますが、
鈴木くんって、普通の現代人の役って凄い珍しいんじゃないかなー、と思うんですよね。
少なくとも、私は観たことがない・・・って、ここ2年しか観てませんが(笑)。
朗読劇、というのもちょっと気になったところで。
憑依型、と言われるほど、存在そのものに役を纏う彼が、朗読という形ではどんな演技をするのかなー、と。
そんなこんなで、初めての劇場に行ってまいりました。

オルタナティブシアターは、なんというか映画館っぽい雰囲気でした。
ロビーの雰囲気とか椅子の感じとか。
というか、ここって前は映画館でしたっけ?
なんだか不思議な感覚でした。
照明はとても綺麗で、星空のシーンでは舞台上のセットだけではなく、
天井も星のような照明が煌めいて、流れ星まで演出されたのにはびっくりしました!
こういう体感型の舞台も面白いですね。

さて、以下、盛大にネタバレしますので、これから観劇される方はご注意くださいね!
(というか、見直したら、パンフやポスターの絵、思いっきりネタバレしてるよ(^^;))

物語の舞台は、桜舞う4月の京都。
美大に通う20歳の南山高寿は、通学途中の電車で一人の女性に一目惚れします。
彼女が同じ駅で降りたら声をかける。
“本能的な”衝動に突き動かされるかのように、彼は人ごみの中彼女を追いかけ、声を掛けます。
不器用だけれど懸命な高寿のアピールに、戸惑ったように、
けれどまろやかな笑みで答えた彼女―――福寿愛美、20歳。
その日から、二人は毎日逢瀬を重ねていきます。
2日目の動物園での再会。
3日目の初めての映画デート。
初めて手をつないだ日。
初めて名前を読んだ日。
美容師学校に通う彼女が、初めて彼の髪を切った日。
初めて、抱きしめた日。
―――初めて、唇を重ねた、15日目。
初めてを重ねるたびに涙をこぼす泣き虫な彼女。
共に在ることが、何よりも自然に感じられる、彼女。
けれどその日、高寿は愛美の忘れていったメモ帳に、不可解な言葉がかかれていることに気づきます。
翌日、愛美は高寿に語り始めます。
彼女は、異世界から5年に1度、30日間だけこの世界に来ることができる存在であること。
彼女の世界の時間は、この世界とは逆向きに流れていること。
5歳の時に溺れた彼を助けた女性は、35歳の愛美だったこと。
彼女は、15歳の時に25歳の彼から教えられた“20歳の30日間”の出来事をなぞっていたこと。
あと15日で、20歳の二人の時間は終わること。
その事実を知らされた高寿は―――


というような物語でした。
不思議なタイトルだなー、とは思っていたけれど、そのまんまなタイトルだったんですね。
明日彼が会うのは、昨日の彼女。
明日彼女が会うのは、昨日の彼。
観ている途中で、その設定について思わず考え込んじゃって、
ちょっと気がそぞろになってしまったのは不覚でしたが(^^;)
でも、面白い設定だなあ、と思いました。

舞台の上には、水色に塗られた二つのベンチがありました。
どちらも中央側が低くなっているので、緩いV字を描いている感じ。
後ろには淡い色に塗られた幾何学模様のパネル。
二人が紡ぐ言葉に合わせて、そこにそのシーンを象徴する様々な絵が映されました。
出会った日に高寿が愛美と見た桜。
高寿が描いたキリンのクロッキー。
高寿が小さい頃溺れた宝ヶ池の東屋。
二人で並んで座った河原。
高寿の引っ越し荷物の中にあった、小さな箱。
愛美が切った高寿の髪。

ベンチも、その絵も、物語を知ってから思い返すと、とても象徴的な使われ方をしていました。
最初、ベンチの端と端に座っていた二人が、水が低い方に流れるような自然さで、
徐々に距離を縮めて触れ合うほど近くに座るようになる。
でも、そのベンチが描く二つの線は、そこで繋がるのではなく、交叉する。
逆行する時間の中で、逆向きに年を重ねていく二人の年齢が、唯一交わるこの30日間のように―――
そして、高寿視点で進んでいった物語が、愛美視点で進み始めた時、
それまで映し出されてきた絵が、凄い勢いで逆回転して映し出されて。
前半での泣き虫な愛美の唐突な涙の意味が、抗いようのない必然として描きなおされる、その残酷さ。

彼の初めては、彼女の最後。
高寿が受け取った「また、明日」は、
彼にとっては明日への最初の約束、彼女にとっては果たされない最後の約束。
徐々に縮まっていく距離は、相手にとっては徐々に離れていく距離。
育まれる恋情は、片方が最大の時、片方は最小。
15日目―――初めて唇を重ねたあの時だけ、二人の時間と恋情は等価で重なった。
20歳の30日の前、あるいは後、片方は相手を知り、片方は相手を知らない。
二本の線が、近づいて、交わって、そしてまた離れていくように―――

僕たちの時間は、すれ違ってなんかない。

そう、高寿は言います。
端と端で繋がり合って、一つの円をなすのだと、そんな風に言っていたと思う。
でも、この言葉も、20歳の高寿が、
20歳の愛美から、「25歳の高寿が15歳の愛美に言った言葉」として知らされてるんですよね。
じゃあ、この言葉は本当に高寿の言葉なんだろうか。
高寿にとって最初の15日間に愛美が言った言葉は、
高寿にとって最後の15日間に高寿が言った言葉は、
本当に彼らの言葉なんだろうか?
そんな疑問も浮かび上がる。
もし、二人が“行ってきた”ことを行わなかったら?
もし、二人が、35歳の時にそれぞれ5歳の相手を助けなかったら?
そんな、疑問も浮かんだ。
もしかしたら、そんな風にして、二人の円環を壊すこともできたのかもしれない。

でも―――

高寿は、どんどん知らない女になっていくはずの愛美の時間そのものを愛することを選んだし、
愛美はそもそも5歳の時から高寿に恋をして、
恋人として在ることのできた30日間を目指して生きてきたんだよね。
その後、自分が出会う彼は、自分のことを知らない彼だということを分かった上で。

うーん、某悲伝の円環以上に、こちらの円環は抜け出すことが困難だなあ。
だって、二人が円環の中に居ることを選んじゃってるんだから。
でも、この物語はハッピーエンドなんだろうな、と思う。
一緒に時間を重ねていくというハッピーエンドにはどうやってもたどり着けないけど、
彼らは、40歳以降は愛する人のいない世界で生きていかなきゃいけないのはとてもさみしいけれど、
でも、二人が懸命に寄り添った20歳の30日間は、その一日一日は、
まぎれもなく彼らの“今”だったんだから。


こういう時間軸が交錯する系のお話、すっごい好みなので、
ついつい内容について語ってしまいましたが、役者さんのことについても書いておかなくては!

高寿役、鈴木くん。
出てきた瞬間、ちょっと猫背なその立ち姿に衝撃を受けました。
三日月さんと全然違う!!(当然です(^^;))
衣裳とか、ごくごく普通の格好なので、多分普段の鈴木くんの格好に近いと思うのだけれど、
でもって、ベンチの端に置かれた台本を手に取って、パラパラとめくっている間は、
もしかしたら素に近かったんじゃないかと思うのだけれど、
台詞を読み始めた瞬間に滑らかに高寿にシフトチェンジして、気が付いたら“高寿”になっていました。
愛美に出会い、心惹かれ、一目惚れから恋に、そして愛へと感情が深まっていく様を、
丁寧に見せてくれたように思います。
前半の恋に浮かれている感じは、微笑ましいやら甘酸っぱすぎていたたまれないやら(^^;)
なんというか、とろけるような柔らかい笑みで愛美を見つめたり、
彼女と別れた後に幸せを噛みしめるようにする様子とか、台詞以上の感情を伝えてくれました。
だからこそ、真実を知ってからの彼の困惑や、やるせなさ、どうにもならない怒りみたいなのも、
凄く鮮やかだったように思います。
明日会う彼女は、今日の自分を知らない彼女。
彼女自身は、最初から―――それ以前から彼に恋をしていたとしても、
高寿が一日一日愛美を知り、想いを重ねていくのとは反比例するように、
愛美の自分に対する距離感がどんどん離れていくのを、彼は肌で感じていたと思う。
だって、どんなに前から好きだった相手でも、初めて会った20歳の相手に対して、
最初から愛情Maxな恋人として振る舞うなんて、絶対無理だよ!
もし、あの16日目に彼女が真実を告げなかったら、その距離感はたぶん拭い去れない違和感になって、
30日目を待たずにして二人は破局していたとしてもおかしくないんじゃないかな、って思う。
そういう意味では、25歳の高寿が15歳の愛美に20日の30日間を告げたのは。
二人の時間を守るためには賢明だったと思うし、
15日目にメモ帳を落とすのは、高寿の指示だったんじゃないかなあ、って思う。
そんな風に思ってしまうくらい、覚悟を決めた後の高寿は穏やかで、
今の自分を知らない愛美への思いやりに満ち溢れていたように思う。
この先の、25歳の、30歳の、そして愛美を助ける35歳の高寿の姿が見えるようだった。

そしてラスト。
愛美視点になったあと、高寿の時間がどんどん遡るわけなのですが、
その表情も、声音も、どんどん“愛美との時間を過ごした高寿”ではなくなっていくのが、
気持ちの距離感が開いていくのが、近づいていくのと同じくらいに鮮やかで。
彼にとっての最初が、彼女にとっての最後だと―――
名前を呼ばれるのも。
手をつなぐのも。
並んで歩くのも。
息を切らして声をかけてくれるのも。
「また、明日」と言いあうのも。
彼女にとっての最後が、彼にとっての最初なのだということが、
歴然とした事実として存在していることに、その残酷さに、ちょっと泣けてしまいました。

また、その鈴木くんの演技を受ける愛美役の山崎さんがとても素敵だったんですよ!
初めて見る役者さんで、映像が中心で舞台は初めて、ということのようなのですが、
その初めてさが、凄くナチュラルな存在感として愛美を形作っていたように思います。
最初は、ナチュラルというか、台詞もまさに朗読、という感じで、
台本は持っているけど全身で高寿を演じている鈴木くんとの温度差を感じたんです。
1日目のお別れの時に泣き出したのも、演技ではなく素で泣いているような感じで、
入り込みすぎちゃってるのかなあ、とか思ってた。
平坦な感じなのに、時々凄く深く激しい感情が浮かび上がってくる。
そのことがなんだかとても不思議だった。
でも、設定がわかってみると、愛美の台詞って高寿から聞いた言葉や表情をなぞっていることに気づいて。
最初の頃は特に、高寿が何も知らない分、“高寿の明日”を繋ぐために、
定められた“今”から逸脱するわけにはいかなかった。
だから、彼女は未来の高寿が教えてくれた“今”をなぞっていた。
出会った時に―――20歳の高寿にとっては最後の日に、高寿から事細かに聞いた“二人の思い出”を、
自分にとっての未来を、丁寧に丁寧に紡いでいった。
高寿の大きな愛情を必死に受け止めて、自分の中で深まっていく高寿への愛情を必死にコントロールして、
それでもどうしても涙を抑えることはできなくて―――

潤ってるんだよ。

泣き出した自分を心配する高寿に、彼女は何度もそう言います。
ああ、そういえば、彼女の声はいつもどこか潤んでいるようだったな、と思う。
ほんの小さなきっかけでで溢れそうな涙で、溢れそうな感情で、
常に震え、潤んでいるような、そんな揺らぎの感じられる声だった。
でも。
最後の「また、明日」は違っていた。
感情の全てを迸らせるように、何度も何度も繰り返される、「また、明日」。
高寿の「また、明日」が、未来への希望に溢れているのとは裏腹に、
彼女はまっすぐ彼に向かって、全身で、全霊で、叫んでいた―――「さよなら」と。
それは、たぶん、舞台の最初の「また、明日」とは違っていたと思う。
鈴木くんの高寿が、悲しいほどに最初の高寿であったのとは対照的に、
この言葉を言う彼女の熱量は、明らかに膨れ上がっていた。
でも。
このシーンは、愛美の視点だから。
高寿の視点ではわからなかっただけで、彼女は、多分いつも全身全霊で彼に向かい合っていた。
求めるほどに離れていく心を、声にならない声で必死に呼び続けていた。
それが、彼女の声の潤みとして聞こえてきたのかもしれないなあ、と思いました。
そして高寿と同じように、この先を生きていく彼女が見えたような気がしました。

うん、山崎さん、素敵な役者さんだった。
また、どこかの舞台で拝見できるといいなあ。

そんなこんなで、予想以上に楽しめた舞台でした。
カーテンコールでの二人の笑顔にほっとしたり。
捌けるとき、一度目は鈴木くんは山崎さんに手を差し伸べてたのですが、
二度めは山崎さんが鈴木くんに手を差し伸べて、
鈴木くんが手をとっておどけながら捌けていくのが可愛かった(*´▽`*)
三度目は一瞬の攻防のあと、鈴木くんが手を差し伸べてましたv
そういえば、挨拶のお辞儀、鈴木くんは仕舞っぽい感じ(腰骨に手を当てるやつ)だったのだけど、
あれはいつもなんでしょうか?
袴姿の時だけじゃないんだ!ってちょっとびっくりしました(笑)。
天魔王の時はどうだったっけ・・・?

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この記事へのコメント

みずたましまうま
2018年08月30日 16:51
素敵な舞台だったんですね。朗読劇だと、表情と声色に集中できるのがいいですね。
記事を読みながらとても切なくなりました…。せめて原作や映画に触れてみようかな
恭穂
2018年08月30日 21:55
みずたましまうまさん、こんばんは!

思いがけず素敵な舞台でした。
私も原作や映画は知らないのですが、ちょっと読んでみたくなりました。
少し設定も違うみたいですしね。
下弦の天魔王が、ピュアな大学生だったのも興味深く(笑)。

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