深淵

小さい頃から習い事をいろいろやらせてもらっていましたが、一番長く続いたのはピアノでした。
3歳から17歳まで。
でも、長く続けたから上手になるわけではないのが楽器(・・・まあ何事もですが(^^;))。
私には悲しいほどに才能はなかったようで、見事に下手の横好き状態でした。
年1回の発表会で弾いた曲には、今も大好きなものもたくさんあるけれど、
先生の反対を押し切って自分から弾きたいと思った曲は一つだけでした。
ベートーヴェンの「悲愴」。
力不足なのは重々承知してた。
それでも。
あの和音を、あの旋律を、あの情景を、自分の手で紡いでみたかった。
がむしゃらに練習して、でも結局人様に聴いてもらえるレベルには達しなかったから、
結果としては惨敗だったと思う。
今考えると若気の至りとしか思えない暴走っぷりだけど、でも後悔はしていない。
その発表会を機にピアノはやめた。
私の14年間は、きっとあの曲を弾くためにあったのだと、そう思った。
そのくらい、私にとっては特別な曲だった。

もう10年以上ピアノには触っていなくて、もう楽譜の読み方も忘れてしまっているかもしれないけれど、
でも、もう一度あの曲を弾きたい。
そんな嵐のような感情を沸き立たせる舞台でした。


「No.9 ―不滅の旋律―」

2018.12.1 ソワレ 赤坂ACTシアター 1階K列20番台

演出:白井晃
脚本:中島かずき
音楽監督:三宅純

出演:稲垣吾郎、剛力彩芽、片桐仁、村川絵梨、鈴木拡樹、岡田義徳、深水元基、橋本淳、広澤草、
    小川ゲン、野坂弘、山﨑雄大、奥貫薫、羽場裕一、長谷川初範
ピアニスト:末永匡、富永峻
コーラス:泉佳奈、小塩満理奈、關さや香、髙井千慧子、高橋桂、竹田理央、南智子、小山由梨子、
      中川裕子、長谷川友代、石福敏伸、岩本元、齋木智弥、佐藤慈雨、外崎翼、吉川響一、
      黒田正雄、今井学、酒井俊嘉、比嘉誉


楽聖ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの半生を描いたこの舞台。
初演ではご縁がなかったので、今回初の観劇となりました。
中島さんが脚本ということで、荒唐無稽なお話なのかなー、となんとなく思っていたのですが、意外や意外!
楽聖と謳われた一人の天才作曲家の半生が、実に丁寧に、リアルに、情熱的に描かれた舞台でした。
いやー、先入観は持っちゃだめですね(^^;)
というか、そもそも主演の稲垣さんに対して、私はもの凄く偏った先入観があったのです。
彼の所属していたグループが、なんとなく苦手で・・・
だから、初演も今回も、そんなに積極的にチケットを取ろうとは思わず。
でも、今回ご縁をいただいて、そんな自分を思いっきり叱りたくなりました。
なんというか、言葉にならないくらい素晴らしい舞台だったんです!

舞台の上には、数台のピアノ。
その四角い空間を囲むようにそびえ立つ何本もの木の枠組みと、それを連ねる太い紐。
冒頭、舞台の奥から歩き出てきたルードヴィヒ(稲垣吾郎)の耳が捕えた弦の音に、
この空間がピアノの中のようだと気づきました。
そして同時に、この空間は外界の音から遮断されたルードヴィヒの内的世界であるとも思った。
舞台の上手と下手にはグランドピアノを弾くピアニストがいて、
知っている曲が奏でられるとちょっと嬉しくなったりしていたのですが、
物語が進むにつれ、二人がそれぞれに、時に重なり、時に追いかけ合い、
時にぶつかり合うように奏でるそのピアノの音色は、
単なるBGMや効果音ではなく、確かにルードヴィヒの言葉を越えた言葉なのだと、そう思いました。
多分、それぞれが弾く曲、タイミングに深い意味があったんだろうなあ、と思うのだけれど、
目の前の物語に圧倒されて、そこまでちゃんと受け取ることができなかったのがとても悔しいです。
でも、そのくらい、この舞台の上の物語は素晴らしかった。

この隔絶された舞台の上に描かれる、偏屈な天才作曲家の苦悩、愛情、切望、絶望、そして歓喜。
その作曲家を取り囲む人たちの興味、敬愛、嫉妬、諦念、欲望、覚悟、そして歓喜。
1幕ラスト、ウィーンを占領したフランス兵たちに初めてのオペラをこき下ろされたルードヴィヒが、
酒場で彼らに自分の曲を歌わせて熱狂させることで、音楽で彼らを支配したシーン。
20人のコーラスが歌う「歓喜の歌」が、その歌声が放つまさに歓喜の感情が、
押し寄せる波のように、降り注ぐ光のように劇場を満たした瞬間の高揚。
劇中、ルードヴィヒの曲は人々を翻弄し、歓喜させ、高揚させる、というような台詞があったと思うのですが、
まさにその通り!という感じでした。

ルードヴィヒ役の稲垣さんの生々しい存在感には本当に驚きました。
観ながら、舞台の上で生きているルードヴィヒが稲垣さんであることを忘れる瞬間が何度もあった。
この人は誰?と素で思ってしまったり、
音楽の教科書に載っているあの肖像画そのままに見える瞬間もあって、
そのことにちょっと呆然としてしまうくらいリアルなベートーヴェンでした。
台詞とかはね、決して非の打ち所がないような流暢さではなかったと思うのです。
聞き取りにくい瞬間もあったし、噛むこともあった。
でも、そういう些細なことを越えたところで、
そこに居たのはルードヴィヒであり、彼の音楽だったと思うのです。

彼の中で生まれる、彼の音楽。
彼が一人彷徨う音楽という深い森。
聴覚を失うことで、彼は更にその深淵へと踏み、そして囚われていく―――
2幕後半の彼の姿は、そんな鬼気迫る様子があって、見ているのが辛くなるのと同時に、
目を離すことを許さない魅力があったように思いました。
自分では決して踏み込むことのできないその深淵を、彼を通して体感するような、そんな昏い喜びがあった。

でも、彼はその深淵に沈みはしなかった。

周囲の人々を巻き込む狂乱の果て、自分の音楽が震わせるのが自分の魂だけではないことを、
自分の音楽を聴く人々の魂の震えを、その共鳴を実感として受け止めたルードヴィヒ。
その姿は、驚くほど“普通の男”に見えました。
深い森の奥から歩み出て、初めて陽の光を浴びたかのうように見えた。
そのことになんだかとてもほっとしてしまいました。

マリア役、剛力彩芽さん。
CMでは良く見かけましたが、ドラマも観たことがなかったので、演技を観るのはほぼ初めて。
すっと伸びた細い首筋と、夢二の絵のような黒目がちの目に宿る強さがとても印象的でした。
反発心と好奇心からルードヴィヒに近づいた一人の少女が、
彼の人となりに呆れ、翻弄されながらも、
彼の音楽に―――音楽の深淵に独り向き合う彼の孤独に魅了されていく様を鮮やかに見せてくれました。
華奢なのに強くしなやかな芯が感じられた。
マリアは、きっと彼の音楽の森を共に歩こうとしたんだろうなあ。
そのことを、全てを呑みこんで天才と共に在ることを選ぶ覚悟が、
彼女の存在を寄り鮮やかに見せていたように思います。
一時は彼女自身もその深淵に取り込まれそうになりながら、
それでも立ち止まり、ルードヴィヒを繋ぎ止め引き戻すことができたのは、
その覚悟があったからなんだろうな。

村川さん演じるマリアの姉ナネッテには、また違う強さがあった気がします。
何というか、凄く現実的で、明確で、揺るぎない強さ。
音楽と戦う同士、というような台詞があったと思うのだけれど、ルードヴィヒとの関係はまさにそういう感じ。
彼と共に歩むのではなく、それぞれの目指すもののために、それぞれの道を歩きながら、
共同戦線が張れる時には協力を惜しまない・・・そんな感じかなあ。
まあ、ルードヴィヒはその辺の線引きが曖昧だったみたいですが・・・男って!(笑)
そういう意味では、ルードヴィヒにとってのマリアのように、
彼女と共に歩もうとしていたのが岡田さん演じるアンドレアスだったのかなあ、なんて。
一見ヘタレな旦那さんなのだけれど、もしかしたらナネッテ以上の揺るぎなさがあったかも。
このご夫婦の関係性、とても素敵だなあ、と思いました。
というか、アンドレアスさん、めっちゃ癒しだった!!

片桐さん演じるメルツェルも癒しだったかなあ。
いや、癒しというか、彼が出てくると張りつめた空気がふっと緩むのにとっても助けられました。
最初あの髪型が出てきた時には、何事?!と凄い戸惑ったのですが(^^;)
ルードヴィヒの音楽を利用する、という点では、メルツェルと長谷川さん演じるヴィクトルは、
全くアプローチの仕方が違っていたように思います。
メルツェルは利益ありきで、ヴィクトルはルードヴィヒの音楽ありき、という感じ?
だからこそのそれぞれとの関係性が凄く面白かったです。
長谷川さんのヴィクトルは、もう出てきた瞬間から胡散臭かったのだけど(笑)、
でも、彼は本当にルードヴィヒの音楽に心酔していたんだろうなあ、と思う。
もしかしたら、彼はマリアとは違うやり方で、彼の森を共に歩きたかったのかもしれないな。
彼の最後が語られるシーンで、舞台の奥で笑う彼の姿に、思わず泣けてしまいました。

羽場さんは、回想でのルードヴィヒの父親と、
その父親に瓜二つなためにルードヴィヒに拒絶されるお医者さん役。
ルードヴィヒと話していたお医者さんが、ルードヴィヒの意識の中で父親に変貌するシーン、
照明の効果も相まって、ぞっとするような怖さがありました。
表情や声が変わるのではなく、皮膚の内側がくるっと入れ替わるような感じ。
お父さんと小さなルードヴィヒのシーンはステレオタイプな描かれ方ではありましたが、
ルードヴィヒの心に刻まれたその傷が、彼を父親と同じ行動に駆り立てるのが本当に悲しかった。
もちろん、その行動の意味合いは全く違っていたのだけれど。

ルードヴィヒの二人の弟、カスパール役橋本くんとニコラウス役鈴木くん。
注目している俳優さんお二人が兄弟役、というのは個人的に嬉しくv(笑)
二人が仲良しな感じが凄い微笑ましかったです。
たぶん二人はルードヴィヒによって父親から守られていたのだと思う。
そして二人を守るという意識は、父親と離れてからもルードヴィヒの気持ちの根っこにあって。
そして、守護が束縛になった。
カスパールの、兄の束縛に辟易しながらも、兄への感謝があるからこその諦念の表情。
ニコラウスの、兄の行動に呆れながらも、守られた恩を兄を守り支えることで返そうとする懸命さ。
それぞれの苦悩や苦痛の根底に、ルードヴィヒへの消すことのできない愛情が感じられて、
だからこそそれぞれの理由で離れずにはいられなかった二人がとても切なかったです。
ニコラウスはマリア関係でも損な役回りだったしなあ・・・振られるすずきひろき、新鮮でした(笑)。
終盤、狂乱し暴れる兄に突き飛ばされて舞台奥に座り込んだニコラウスが、
角度的に中央のルードヴィヒとマリアの向こうに見えていたのですが、
マリアの言葉で自らの深淵から引き返してきた兄を見つめるその表情が、
泣いているようにも笑っているようにも見えたのが印象的でした。


ラストシーン。
中央に立つルードヴィヒに、彼を取り囲む人々が一人ずつ近づいていきました。

強く抱きしめる者。
ポンと軽く肩を叩く者。
晴れやかな笑顔で頷く者。
硬く手を握りあう者。
肩を組む者。
背中を強く叩く者。
その胸に手を当て、深く俯く者。
静かに隣に立ち微笑む者。

彼に向けられる様々な感情。
それらが響き合い渦巻いて天へと昇華し―――そしてそれに応えるかのように降る無数の楽譜。
その光景は本当に晴れやかで。
1幕のラストとは全くニュアンスの違う「歓喜の歌」。
その旋律を声に出さずに共に歌いながら、なぜか溢れる涙を止めることができませんでした。

私はやっぱりピアノが好きで。
ベートーヴェンの音楽がとても好きで。
だからいつかまたピアノを弾こう。
特別なあの曲を、あの旋律を、またこの手で弾きたい。
泣きながら、そう、強く思いました。
・・・とりあえず、引越しを機に物置状態になっている電子ピアノを救い出さなくては!(笑)

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