開眼

令和が始まりましたね。
昨日から今日に掛けてなんだか大晦日から新年みたいでちょっと不思議な感じでした(笑)。
でも、こんな風に明るく爽やかな気持ちで新元号を迎えられるのって素敵ですね。
令和がどんな時代になるのかはわからないけれど、
5月の新緑のように健やかで明るく和やかな時代になるといいなあ、と思います。

さて、そうしたら、令和最初の観劇記録を。



「笑う男 -永遠の愛-」

2019.4.28 ソワレ 日生劇場 2階A列40番台

出演:浦井健治、夢咲ねね、朝夏まなと、宮原浩暢、石川禅、山口祐一郎、中山昇、上野哲也、
    宇月颯、清水彩花、榎本成志、小原和彦、仙名立宗、早川一矢、藤岡義樹、堀江慎也、
    森山大輔、石田佳名子、内田智子、岡本華奈、栗山絵美、コリ伽路、富田亜希、安田カナ、
    吉田萌美、下之園嵐史


物語の舞台の始まりは、17世紀末のイギリス。
赤子の頃にコンプラチコ(子供買い)の手に落ち、
見世物とされるために口を割かれたグウィンプレン(下之園嵐史)。
コンプラチコの一行とはぐれ、雪の中独り彷徨っていた彼は、
凍えて息絶えた人の腕の中でか細い声を上げる盲目の赤ん坊と巡り合います。
その温もりを胸に彷徨い続けた彼が辿り着いた小屋。
そこに住む興行師ウルシュツ(山口祐一郎)は、突然舞い込んできた二人の子どもを戸惑いながら受け入れ、
作られた醜悪な笑みと、盲目という重荷を背負った二人に、
この厳しい世界を生き抜く術を教えながら、父として育てていきました。
そして時は経ち、青年となったグウィンプレン(浦井健治)と、
彼がデアと名付けた赤ん坊―――今は美しい少女となったデア(夢咲ねね)と共に、
義父の見世物小屋の人気者として、義父と仲間たちに愛されながら、この世界を生き抜いていました。
しかし、彼自身すら知らない彼の出自が、王宮の使用人であるフェドロ(石川禅)の目に留まったことで、
彼の人生は大きく舵を切らされていきます。
突然手にした富と権力。
その力で、虐げられた人たちを救うべく、社会を変えようと貴族院に乗り込んだ彼に突きつけられた現実。
全てに絶望した彼が最後に選んだ場所は―――

ざっというとこんな風な物語。
ビクトル・ユゴー原作ということですが、全く知らないお話だったので、
最初から最後までハラハラドキドキしながらの観劇になりました。
1幕の物語と凶悪な引き(笑)がかなり好みな感じだったので、
この物語がどんなふう場所に辿り着くのか、幕間には楽しみなような怖いような気持ちだったのですが、
思いもかけない結末に、正直ちょっと呆然といたしました・・・
ちょっと待って!何故その選択?!って、内心で叫んだよね(^^;)
余りのことにカーテンコールが始まってもしばらく呆然としていたのですが、
挨拶の浦井くんがグウィンプレンではなく浦井くんだったので、やっと我に返りました(笑)。
正直、この結末を自分の中でまだ消化しきれていない感じなので、
内容のある観劇記録は書けなそうなのですが、とりあえず、役者さんの感想を。


浦井くんのグウィンプレン、めっちゃ好みな浦井くんでした!
いろいろあって1回しか観劇出来なかったことを本気で後悔しましたよ・・・
もし地方公演のチケットとかロビーで売ってたら、幕間で買ってたかもしれないレベル(笑)。
生まれ持っての純真さが感じられる、甘く柔らかくどこか幼さの感じられる歌声は、
まさに浦井くんならではだな、と。
ちょっとチャーリーを思い出しました。
でも、もちろんそれだけではなくて。
義父に教えられた強かさ、デアに向けられた愛情と依存の狭間のような感情、
そして、刻み付けられた“笑顔”に対する、彼自身も自覚していない深い深い傷。
自らの顔を見世物として強かに生きるグウィンプレン。
ウルシュツは、その顔を武器に生き抜くことを彼に教え、
その傷を見ることのできないデアは、グウィンプレンの存在そのものを愛し求めていた。
そのことは、彼を力づけ、癒してはいただろうけれど、
でも、知らぬうちに彼を苛んでもいたのではないかと思うのです。

この傷がなければ、ウルシュツは自分を受け入れなかったのではないか。
この傷を見ることができたら、デアは自分を受け入れなかったのではないか。

自分の意志とは別の意図で刻み付けられ、常に自分と共にあったその傷は、
彼が望むも望まなくとも、彼のアイデンティティだった。
だからこそ、そんな不安を彼は抱えていたのではないか―――
ウルシュツに対する反抗も、デアに対する距離感の大きな揺らぎも、
不安の表れのように感じられました。
そんな彼の前に、女公爵・ジョシアナ(朝夏まなと)が現れた。

朝夏さんのジョシアナは、とにかくお美しくてかっこいい!
美しさも権力も財力も、全てを手にしていながら、自分の人生を他者に決められる理不尽。
そんなものに対する怒りや苛立ちを、常に纏っているような雰囲気がありました。
本当に欲しいものは手に入らない。
だからこそ、欲したものは全て手に入れなくては気が済まない。
けれど、手に入ってしまうものであるなら、それはもう自分が求めるものではない。
そんな矛盾が、グウィンプレンへの誘惑に透けて見えるように思いました。
というか、あの誘惑はちょっと尋常じゃないですよね?
役柄とはいえ、耐えきったグウィンプレンを褒めてあげたい!(笑)
だって、ジョシアナのあの誘惑は、グウィンプレンのアイデンティティを肯定するものだったと思うのです。
醜い傷を、醜いと認識したうえで、むしろそうであるからこそ愛し求めてくれる存在。
たとえそれが高貴な人の気まぐれであったとしても、
あの愛の言葉は、彼の漠然とした不安を拭い、丸ごとの自分を求めてくれると感じさせたんじゃないかな。
ほうほうの体で彼女のもとから逃げ出した後の、グウィンプレンの動揺を見て、
そんな風に感じてしまいました。
まあ、その誘惑に乗るには、彼は賢すぎ、家族を愛しすぎていたし、
手に入るものとなったところで、ジョシアナは彼から興味をなくしたわけですが(^^;)

フェドロが見つけた証拠によって、グウィンプレンはその出自を知ります。
赤子のころに攫われた、クランチャリー家の跡継ぎであること。
クランチャリー卿は、ジョシアナの本来の婚約者であること。
そして、クランチャリー卿となったグウィンプレンは、貴族院に迎え入れられること。
連れ去られるようにフェドロが用意した宮殿へと入り、目の前に突きつけられた富と権力。
女王陛下からの宣旨。
それを知ったジョシアナの変貌。
彼の出現によりその座を奪われたデヴィット(宮原浩暢)の憤り。
そんな出来事を経て、徐々に自分が手にした力を時間したグウィンプレンは、
その力で世界を変えようとします。
貧しく、虐げられた人たちが―――ウルシュツやデア、一座の仲間たちが幸せになる世界を。
自分たちのように子どもが傷つけられることとのない世界を。
真っ白で豪奢な衣裳を着てそう歌うグウィンプレンの姿は堂々として、
その歌声は強い決意に溢れた真摯なものだった。
けれど。
その姿に、私は危うさしか感じられなかった。
その歌声に、高揚感ではなく不安を掻き立てられた。

そして―――

当然のことながら、貴族院では彼の主張は受け入れられることはなく。
女王や貴族たちに訴える♪目を開いて とは一変した♪笑う男 の冒頭の低音は、
純粋な歌声と同じくらい大好きな浦井くんの歌声で。
でも、その声が聴けた喜びは一瞬で、その歌が紡ぐ怒りと絶望に、
ただ息を呑んで見つめるしかできませんでした。

刻み込まれたグウィンプレンの笑みと、
貧しい人々の地獄の上に成り立つ楽園で笑う貴族たちの笑み。
そのどちらが醜悪なのか、そうこの物語は問いかけます。
現代に生きる観客の私たちにとって、その答えは明確で。
けれど、その答えの本当のところを、私は実感できてはいないと思う。
だからこそ、本当の醜悪さを見たグウィンプレンがデアたちのもとに帰ったあと、
彼らは彼らの住まう場所で、本当の美しさを胸に強く生きていくのではないかと、そう思った。
でも、この物語は、そんな甘く優しい世界ではありませんでした。


グウィンプレンが死んだと告げられていたウルシュツたちは、そのことをデアに知らせないことを選びます。
もともと心臓の弱いデアには、その事実は受け止めきれないだろうから、と。
それを納得できてしまうくらい、夢咲さんのデアは透き通るように儚い美しさでした。
グウィンプレンとはまた違った純粋さは、
彼女が生まれながらに持つものなのか。
それとも彼女を取り囲む人たちの彼女への愛情が創り上げたものなのか。
あるいは、彼女が自ら獲得したものなのか。
片時も離れず共に在ったグウィンプレンへの信頼と愛情。
見ることのできないデアにとって、耳にする彼の声が、手で触れる彼の表情が、肌で感じる彼の感情が、
彼女にとって“世界”の入口だった。
グウィンプレンを通して知る、世界。
二人の歌声が重なり合う♪木に宿る天使 は本当に美しくて、
二人の間にある繊細で、けれど強固な絆が感じられて、うっとり聞き惚れてしまいました。
彼らは、本当に魂の片割れ同士なんだなあ、と。
でも、だからこそ、彼女は彼の向こうにある世界の広さを実感していたんだと思う。
そして多分、ウルシュツたちが思うよりもずっと彼女の心は強くて、
グウィンプレンが思うよりもずっと、デアは彼を理解していた。
春先の淡雪のような儚さを纏いながら、けれどグウィンプレンに対する確信を持った言葉は、
なんだかとても強く感じられました。
手を伸ばし奪う強さではなく、待ち続け受け入れる強さ。
あの強さこそが彼女の本質で、多分周りの人は多かれ少なかれ彼女のその強さに依存していた。
その最もたるのがグウィンプレンで―――だから、彼はあの最期を選んだのかもしれない。

・・・とは思うのですが、それでもやっぱりあの選択には物申したくなりました。
だって、二人はそれで幸せかもしれないけれど、
残されたウルシュツは、絶対生きていけないくらい傷ついていると思うのよ・・・

山口さんのウルシュツは、1幕冒から本当に魅力的でした。
突然飛び込んできた子どもたちを受け入れるまでの葛藤と、
受け入れてからの不器用で、でも素直な優しさ。
この厳しい世界を生きる先達として、そして父として、二人を慈しむ姿。
二人に向けられる愛情が、優しさが凄くて、びっくりしてしまいました。
そして2幕、デアにグウィンプレンの不在を知らせないために、
グウィンプレンの真似をしながら観客のいない芝居を演じるその姿―――
明るく元気な口上を述べながら、けれど私にはウルシュツが泣いているように見えた。
デアへの労りで覆い隠そうとしている彼自身の悲しみが胸に迫るようで、
切なくて切なくて仕方ありませんでした。
山口祐一郎という役者は、私にとってこれまで凄い!と感嘆することはあっても、
気持ちの深いところを揺らされる存在ではなかったんですね。
ファンの方には申し訳ないのですが、これはもう好みの問題だと思うのでご容赦いただきたいのですが(^^;)
でも、今回のウルシュツから感じる溢れるような優しさに、愛情に、悲哀に、
本当に胸をえぐられるような思いがしました。
ここにきて、山口さんの魅力に開眼するとは思わなかったよ・・・
ウルシュツにとって、子どもたちはこの厳しい世界で守るべき存在であると同時に、
彼自身が生きる理由だった。
だからこそ、グウィンプレンに続いてデアまで失わないように心を砕いて、
グウィンプレンが戻ってきた時には、あんなにも歓喜した。
愛する二人が共にあることこそが、きっと彼の幸せだったのだと思う。
だからこそ―――だからこそ、ラストシーンの彼の背中が本当に辛かった。
どうして、グウィンプレンはこの選択をしたのかと、
お前にとってウルシュツとはどんな存在なのかと、
グウィンプレンの胸ぐらをつかんで問いただしたくなった。
ああ、もしかしたらあの瞬間、私の胸にあったのは怒りだったのかもしれないなあ。
でもその怒りは、あの時代の身分社会という現実を、
グウィンプレンが感じた絶望を、きちんと理解できていない私の甘さゆえなのかもしれません。
それでも・・・グウィンプレンには、ウルシュツと共に生きてほしかったなあ。


思うままに書いていたら、なんだか訳がわからなくなってきました(^^;)
やっぱりちゃんと消化できてないんだな・・・
禅さんのフェドロの目的についてとか、
さらっと流されたけど全ての元凶な宮原くんのデヴィットの抱える闇とか、
ジョシアナがグウィンプレンから何を受け取ったのかとか、
宇月さんのフィーヴィーと清水さんのヴィーナスとデアの関係性とか、
内田さんのアン女王とジョシアナの関係性とか、
リトル・グウィンプレンの下之園くんがめっちゃ将来有望だとか、
衣裳がどれもとんでもなく豪華で象徴的で意味深だとか、
ワイルドホーンさんの楽曲はドラマティックで美しくて、やっぱりそこはかとなく昭和っぽいなとか(え)、
他にもいろいろ考察したいこととか書き留めておきたいことがあるのだけれど、
更にぐだぐだになりそうなので強制終了します(笑)。
地方公演にはどうあがいても行けそうにないので、ぜひ再演をお願いします!と、
どこかに向けて祈りつつ、
地方公演に向かわれるキャスト・スタッフの皆様の健康と安全もお祈りしていようと思います。
あ、CDは買わなくちゃ!

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