穏やかな復讐

ちょっといろいろ余裕がなくてブログ・・・というかSNSをほぼ放置していたら、
いつの間にかブログの仕様が変わっていました(@_@。
いやー、ちょっと慣れないわー。
一行に収まるように改行してたのもずれこんじゃうし、ちょっと悔しい(笑)。
まあでも変わってしまったものは仕方がないし、
人って結局状況に慣れていくものだから、そのうち気にならなくなるでしょう。
とりあえず、先週の観劇記録を。


「ドライビング・ミス・デイジー」

2019年7月7日 マチネ 紀伊國屋ホール J列10番台

作:アルフレッド・ウーリー
演出:森新太郎
出演:市村正親、草笛光子、堀部圭亮

物語の舞台は1948年アトランタ。
自損事故を起こした72歳の母デイジー(草笛光子)を心配したブーリー(堀部圭亮)は、
運転手としてホーク(市村正親)を雇います。
事故を起こしたのは新しい車のせい。
運転手なんて雇ったら周りから金持ちぶってると思われる。
黒人の運転手が家の台所で食事をするなんて我慢がならない。
そんないろいろな理由からホークを拒否していたデイジーでしたが、
ホークの根気強い働きかけから、徐々に彼の存在を受け入れて行きます。
物語は、そんな二人と、ちょっと距離を置いて二人を見守る息子の25年間を、
彼らの日常生活を描くことで淡々と紡がれていきます。
もちろんそこには、老いという抗いがたい事実が、
黒人と白人、そしてユダヤ人のそれぞれが直面する“差別”が、
一人一人が抱える互いへの複雑な感情が内包されていて。
でも、そんな諸々を越えて、デイジーはホークを信頼し、
ホークはデイジーに誠意をもって仕え―――

という感じの物語。
2017年に観た「パレード」とともに、
アルフレッド・ウーリーの「アトランタ三部作」の一つなのだとか。
私は映画は観ていないので、今回まっさらな状態での観劇になったわけですが、
正直、かなり身構えて観ていました。
いやだって、あの森さんの演出ですよ?! 
「パレード」といい、「テロ」といい、「ビッグ・フェラー」といい、「奇跡の人」といい、
一歩間違えるとトラウマになりそうな演目ばかりを観てきたので、
今回もどんな衝撃が待ち受けているのかと、内心戦々恐々としていたのですが、
なんというか、びっくりするぐらい穏やかに終幕を迎えまして。
もちろん、途中は結構ハラハラしたり、観ていて辛くなったり、
やるせなくなったりするシーンもあったのです。
終盤、錯乱したデイジーの言葉から、
彼女がどれだけの抑圧を受け止めて、
どれだけの責任を背負い込んで、
どれだけ厳しく自分を律して、
そして自分が役立たずだと思われることにどれだけの恐怖を抱いていたのか、
どれだけ、彼女が孤独だったのか―――そのことが強く感じられて。
その後彼女がホークに伝える「あなたは私の親友」という言葉の、
静かであるからこその深い想いというか、執着というか、依存というか、
そういうものに、なんだか凄く哀しくなってしまって。
だから、ラストシーン、主従の関係ではなくなった二人が向かい合って、
ホークがデイジーに復活祭のパイを食べさせるシーンに、
なんだかほっとしてしまったのです。
観終わった直後のツイートでも、人と人の繋がりを柔らかな視点で見せてもらった、
というふうに書いたりしてたわけなんですが・・・

観終わって1週間。
時々この舞台のことを思い起して、ふと思ってしまったんですね。
あの穏やかでほのぼのしたシーン。
二人の気持ちは、本当に同じ温度だったのだろうか、と。

物語の中、デイジーがホークを受け入れ、気持ちの距離感が近づいていく様が、
いろいろなエピソードで描かれていきます。
それと同時に、デイジーが持つ無意識の“差別”も描かれる。
食料品の棚からなくなった一つの缶詰。
デイジーにとって当然のことである読み書き。
ガソリンスタンドのトイレのこと。
彼のことを知らなかったから―――それだけでは済まない、現実。
そういったエピソードの一つ一つを経て、デイジーはホークを知り、
その気持ちの距離感は近づいていく。
でも、ホークは?
一つ一つのエピソードを、時には深いやるせなさや悔しさをにじませながらも、
淡々と凌いでいくホーク。
でも、それは、彼が傷ついていないということではなくて。
彼が、諦めているというわけでもなくて。
デイジーの信頼を得て、デイジーという人を知っていき、
その距離感が縮まるからこそ、
デイジーの持つ無意識の“差別”はホークを苛んだのではないだろうか。
デイジーに対する信愛の情が深まると同時に、
デイジーに対する暗い感情も増して行ったのではないだろうか。
彼女の、“親友”という言葉を、ホークはどう受け止めたんだろうか。

そんなことを思ったら、あの穏やかなラストシーンが、
違う色合いを纏っているように思えてしまったのです。
彼が家の台所で食事をとることにすら嫌悪していたデイジーが、
その相手の手からパイを食べさせてもらう―――その意味。
穏やかで、優しくて、柔らかくて、甘い。
それは、ホークだけが感じている、“復讐”なのではないか、と。

この時代についての知識が曖昧なので、この辺は本当に思い込みなのですが、
森さん演出だと、そのくらいの怖さはあるんじゃないかなー、なんて(笑)。
とりあえず、チャンスがあれば映画も見てみたいです。


さて、役者さんのことも少し。

ホーク役、市村さん。
飄々とした佇まいと愛嬌の中に、一筋縄ではいかない暗さが感じられました。
多分、人のいい、優しくて我慢強くて献身的なホーク、というのが本当の彼なのだろうけど、
個人的には、他者にそう見えるように自分をコントロールできる、
あるいは、相手にそう思わせることで益を得ようとする強かさのある存在と感じました。
それだけの苦渋と、屈辱と、痛みと、怒りを受け止めてきた存在なのだ、と。
所々ちょっとザザを彷彿とさせるところがあったのだけれど、
草笛さんとの共演がラ・カージュ以来とのことなので、オマージュ的なところもあったのかな?

デイジー役の草笛さんは、本当にお美しくて!
冒頭の凛とした佇まいに、ちょっと見惚れてしまいました。
賢くて常識的で、でも保守的で頑な。
それが彼女本来の姿なのか、老いと共に彼女の中に凝り固まったものなのかはわからないけど、
デイジーが過ごす25年という歳月を、
彼女の中で変わっていくもの、変わらないもので見せてくれたように思います。
ちょっと亡くなった祖母を彷彿とさせるところとかもあって、
なんだか懐かしくなってしまいました。
そういう意味でも、本当に自然に“老い”というか彼女の時間を見せてくれたと思う。
いろんな部分を深読みしたくなる、とても奥行きのあるデイジーでした。

ブーリー役の堀部さんは、なんというか個人的にちょっと癒しでした(笑)。
手のかかる年老いた母に対する心情とか、めっちゃ共感してしまうところも(え)。
ブーリーとデイジーが一緒に暮らさないのには、
(嫁姑問題とか)いろいろな事情があると思うのだけれど、
そんな中でできる限り母親に寄り添い、母親のためにできることをして、
でも、母親も自分の心地よくいられる距離感を保っている・・・なんてできた息子なんだ!
ユダヤ人の工場主で、商工会で表彰されたりする名士で、
でも、彼自身がユダヤ人であることで受けている“差別”については、
あまり明確には描かれないけれど、
少しずつ佇まいを(体形も(笑))変えていく彼に、
ブーリーの時間の流れも感じられたように思います。


そういえば、「パレード」に出てきた松かさ菊はデイジーのことでしたね。
アトランタ3部作では、“Daisy”は何か象徴として使われているのかしら?
ちょっと調べてみたら、デイジーの花言葉は純潔、美人、平和、希望、
赤いデイジーは無意識、白いデイジーは無邪気なんだとか。
うーん、意味深!(笑)
三部作のもう1作も、いつか森さん演出で観てみたいなあ、と思います。
というか、「パレード」再演して欲しい・・・!

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