ベクトルの逆転

もともと人見知りの強い私ですが、最近は観劇も一人のことが多く。
一人だと、観終わった後自分のペースでじっくりと物語と向き合える。
でも、演目によっては観終わった後誰かと目一杯語りたいときもあって。
この舞台は一人で向き合いたくもあり、誰かと語りたくもあり・・・
次に観に行く時は、誰かと一緒に行けるといいなあ。


GORCH BROTHERS Reading THEATER
「朝彦と夜彦 1987」

作:菅野彰
演出:中屋敷法仁

2019.8.10 シダックスカルチャーホールA 
12時開演回 D列10番台 出演:【C】桑野晃輔 と 近藤頌利
18時開演回 C列 一桁台 出演:【A】谷口賢志 と 窪寺 昭


2015年の初演。
タイトルに心惹かれながらも知っている役者さんがいなかったことと、
朗読劇の定義に悩んでいたこともあり見送ったこの舞台。
後になって、原作が大好きな作家さん、菅野彰さんであることを知り、
雑誌に乗った菅野さんご自身の観劇記録や脚本を読み、
観にいかなかったことを内心で地団駄踏むくらい悔しがった舞台だったりします。
再演を心待ちにしていたところ、今回の再演の情報を得て、
何とか夏休みを確保して、2チームだけ観ることができました。


物語の舞台は、21世紀を間近に控えた12月。
田舎の進学校、しかも男子校の化学準備室。
そこで一人通知表の山と対峙している化学教師・山田朝彦は、
進まない仕事の合間に、ふと高校時代の同級生のことを思い出します。
賢く弁が立つけれど、社会や日常に適応できない、そんなタイプのバカ―――山田夜彦。
夜彦のことを思い出す30歳の朝彦の前に、不意に下手側から“17歳の夜彦”が現れます。
出会ったばかりの、“17歳の夜彦”を、けれど朝彦は何の抵抗もなく迎え入れ、
そして、記憶をたどるかのように、高校1年生の彼らの日常が描かれます。

親戚でも、ましてや生き分かれの双子でもない。
マイナーな共通の趣味があったわけでもない。
ただ単に高校1年の春、出席番号が前後しただけの関係から始まった、二人。
教師に言われるままに半不登校な夜彦の家を訪ね、
学校でのハイテンションとは別人のように、
遮光カーテンの引かれた暗い部屋の中で膝を抱える夜彦を知った朝彦は、
生来の面倒見の良さゆえに、夜彦に深く関わっていきます。

屋上での二人の遠慮のない会話。
躁鬱の激しい夜彦を持て余しながら、
けれど定期試験に怯える夜彦をなだめ(でも成績は夜彦が上)、
不眠を訴える夜彦のために快眠方法を探しだし(でも逆に不眠を増長)、
夜彦との距離を測りかねながらも、彼の隣にい続ける朝彦。

30歳の朝彦と、“17歳の夜彦”のやり取りを挟みながら、
二人は高校2年の―――1987年の夏を迎えます。
とある出来事をきっかけに徐々に夜彦の気鬱は深くなり、不眠は深刻さを増して行き。
徐々に朝彦は彼の気鬱には何か原因があるのではないかと思いいたり。
そして、夏休みが終わる2日前。
朝彦は、夜彦が抱えるその原因を―――17歳の少年には抱えきれない深い闇を知ります。

そして、二人が選んだ明日は―――


というような物語でした。
・・・って、良くわからないですね(^^;)
気になる方は、小説WINGSの2018年夏号に、
戯曲が掲載されていますのでそちらをご覧いただければと!(出版社の回し者ではありません(笑))
物語の設定上、登場人物は私とほぼ同年代でして(^^;)
開演前、劇場内に流れるその当時の曲がめちゃくちゃ懐かしく、
物語の内容も相まって、あの頃の生々しい感情を思い出してしまいました・・・
17歳。
あの頃って、今とは別の意味で「死」が凄く近い位置にあったと思う。


床と奥を黒い幕で覆った舞台の上には、キャスター付きの椅子が1脚。
それ以外にはセットはありませんでした。
演者のお二人が手にしているのは、
良く見る出席簿のような緑と黒の髪の表紙と紐で閉じた台本のみ。
白衣のような白いジャケットと白いパンツ、黒いシャツに黒い革靴の朝彦。
黒いジャケットと黒いパンツに、白いシャツと白いスニーカーの夜彦。
朝彦と、夜彦。
二人きりの朗読劇は、演者によってその関係性も、導き出される終わりも、多分大きく異なります。
更に言えば、観る人によってもその受け止め方は違うのだと思う。
本来であれば、チームごとに感想を書くべきなのかもしれないけれど、
個人的に、この二チームから受けとった“答え”が大きく異なったのがとても印象深かったのと、
実は正直まだ物語そのものを消化しきれていないこともあり、
今回はまとめて記録させていただきたいと思います。


最初に観たAチームは、お二人とも知らない役者さんでした。
朝彦役の桑野くんは、初演でも朝彦を演じられていたのだとか。
柔らかな雰囲気の、落ち着いた―――ちょっとくたびれた感じの30歳の朝彦と、
高校生の時の元気でまっすぐで世話焼きで―――子どもっぽさの感じられる朝彦。
文句を言いながらも夜彦を放っておけない朝彦は、
怯えたように、伺うように、距離を置こうとする夜彦に、
躊躇いながらも容赦なく踏み込んでいく朝彦は、本当にいい奴で。
彼の気持ちのベクトルは、多分まっすぐに夜彦に向いていた。
それは、夜彦でなくても、縋りつきたくなるような“何か”があったように思う。
対する夜彦役の近藤くんは、ちょっと猫背なひょろっとした細っこいシルエットと、
瞬きの少ない(ように見えた)大きな目が印象的な少年。
躁の時のハイテンションなオーバーアクションから、
気鬱の時の始終怯えているかのような雰囲気へ瞬時に切り替わるその危うさに、
ちょっと目が離せなくなるような感じでした。
その大きな目でじっと見つめられたら、
これは朝彦も放っておけないなあ、と素直に思えてしまう感じ。
朝彦が差し出し続けるその手に、夜彦がおずおずと手を伸ばしてくような、そんな二人でした。

けれど終盤。
夜彦が抱えているものを、夜彦の気鬱の原因を知った瞬間。
朝彦のベクトルが、一気にその向きを変えたのを見たような気持ちになりました。
退く、という言葉は良く聞くけれど、あの瞬間、まさに朝彦は“退いた”んだと思う。
この回は上手からの観劇だったのですが、
もう聞けないと―――もう受け止められないという朝彦のこわばった表情に、
それをスルーして語り続ける夜彦の、どこか遠くを見る横顔に、
なんだかもう、呆然とするしかできませんでした。
だって、二人はどちらも悪くない。
夜彦が差し出した過去は、想いは、高校生の少年が受け止めるには重すぎて。
朝彦が差し伸べ続けたその手は、もう離すことなどできないくらい夜彦の縁で。
というか、夜彦の過去の「小さな木の実」のエピソードは、とんでもないと思う。
父親を自殺で亡くした9歳の子に、クラス全員で「小さな木の実」を歌う。
お父さんは死んでしまったけど、この歌のようにいつだって君を応援している。
そういうメッセージを、クラスの子に合唱させた担任は込めようとしたのだろうし、
クラスの子たちは、多分純粋に―――何も考えずに、その優しい言葉に同意したのだろう。
でも。
世界の中で二人だけ、自分を見捨てないはずの両親の一人が自分を捨てた。
自分を捨てて、暗く汚い倉庫の中で命を絶った。
その父を、最初に見つけてしまった子どもが、思い出の中の父親に励まされる?
あのシーンでの夜彦の叫びは、近藤くんの夜彦に幼さが感じられるからこそ余計に、
もうどうにもならない、これしかない叫びのように聞こえて―――泣くしかできませんでした。

自分の中に在る、漠然とした不安。
その不安の先に在る、父と同じ死への希求。
眠れないまま朝を迎えた瞬間に、また眠れない夜に向かう一日が始まる絶望。
死を求めながら、同時に死を恐れ、健やかな生に憧れる夜彦。

朝目覚めて朝だな、と思う。
朝目覚めて、そこから始まる1日という未来に思いを馳せる。
そんな普通を普通とも感じないまま過ごしてきた朝彦。

夜彦の闇を受け止めて、共に死ぬことを提案した朝彦の中にあったのは何だったのだろう。
そう言うことで、夜彦を引き寄せたいという希望だったのか。
何もできない自分自身への絶望だったのか。
夜彦が求める言葉を与えることで、ただその刹那の安寧を求める妥協だったのか。
きっとどれも正解で、どれも違う。
そんな混乱の中で絞り出された言葉は、彼の言う通りきっと本気の言葉だったけど。
でも。

その朝、朝彦は約束の屋上のドアの前まで行きながら、そのドアを開けられなかった。
ドアの前で、ドアの向こうにいる夜彦の選択に―――存在に怯えながら、ただ震えて、
そして、30歳の大人になった。
目の前の“17歳の夜彦”に、約束を破ったわけを―――死への恐怖を、生への執着を、
叫ぶようにぶつけて。
そして彼に、妻と、二人の子どもと、来年生まれるもう一人の子どもを語る。
朝彦が手にした、普通の、未来。
そして、“17歳の夜彦”と交わされる、新しい約束。
子どもたちを残して死なないと。
子どもたちに、死を希求する朝を遺さないと。
この時、桑野くんの朝彦は、私にはどこか諦めたような、怯えたような表情をしているように見えた。
後ろ姿だった“17歳の夜彦”が、どんな顔をしていたのかが、とても気になりました。

“17歳の夜彦”が去ったあと、上手側から、“30歳になった夜彦”が入ってきます。
父親が迎えられなかった30歳を迎える夜彦の誕生日に、
学校の正門の前で待ち合せるという“約束”。
なかなか出てこない朝彦を迎えに来た夜彦は、
あの日の顛末と、それからの彼の時間を明るく軽快に語って、
朝彦を急かしながら先に部屋から出て行きます。
残された朝彦は、その約束をいつしたのか、あの日の顛末は彼が語る通りだったのか、
あの夏、二人は死を恐れ、生を望んでいたのかぼんやりと考え、夜彦に問いかけます。
遠くから聞こえる、夜彦の自分を呼ぶ声を聞きながら―――

このラストシーン、戯曲で読んだときにもどう解釈するのか結構悩みました。
“30歳の夜彦”が語るまま、彼は生きて、朝彦と共に30歳を迎えたのか。
それともあの日、夜彦は屋上から戻ることはなく、全てが朝彦の空想なのか。
舞台を観て、自分がこのラストをどう感じるのか、それがとても興味深かった。
そして、最初に観たこのCチームでは、後者のように感じたのです。

17歳の朝彦が持っていた健やかさは、死を拒絶したあの日を境に危うさへと変わり、
17歳の夜彦が持っていた危うさは、死を受け入れたあの日を坂に健やかさへと変わった。
物語が進む中で、徐々に明らかになってきた朝彦の中の危うさと夜彦の中の健やかさ。
それぞれが持っていたその健やかさと危うさが、あの瞬間鮮やかに逆転したように思った。
そのくらい、最後に独り立ちすくむ桑野くんの朝彦の存在はおぼろげだった。
そのことが凄くショックで。
カーテンコールで拍手をしながら、なんだかぼろなボロ泣きしてしまいました。



そんなショックを引きずったまま向き合ったAチーム。
この二人のラストでも、やはり同じように感じるのか、実はちょっと怖かったのですが、
始まってみると、同じ戯曲でありながら、Cチームとは全然違っていて、
驚くと同時にこの戯曲の深さと、そして朗読劇の面白さを感じたのでした。

Cチームで、朝彦のベクトルが夜彦に向かっていた、と書きましたが、
Aチームでははっきりしたベクトルを持っていたのは、夜彦だったように思います。
谷口さんの朝彦は、高校生の時でも桑野くんの朝彦よりも大人な印象でした。
世話焼きという自分の「核」故に、夜彦に関わりはするけれど、
その距離感は決して近くなかったように思う。
遠すぎず、近づきすぎず、絶妙な距離感で夜彦との関係をキープすしている―――そんな感じ。
テンションが上がりながらも、どこか冷静というか、客観的な空気が谷口さんの朝彦にはあって。
それがこんな風に感じた理由かもしれません。
一方の夜彦役の窪寺さんは、私の中では明智光秀でインプットされているのですが、
あれ?違う役者さん?と思うくらい全くの別人でした。
なんというか、若い!(笑)
衣裳はAチームもCチームも同じで、夜彦に限って言えば髪方も同じで、
前髪のちょっと長めなさらさらストレート、という感じなのですが、
・・・すみません、この髪型、めっちゃ好みなのを思い出しました。
思わず見惚れちゃったよ(^^;)
まあ、近藤くんを越えるオーバーアクションと、
大きな目を更に見開いての顔芸にすぐ正気に戻りましたが(笑)。
窪寺さんの夜彦は、近藤くんの夜彦よりも切実に、一生懸命朝彦に手を伸ばしている印象でした。
暗い部屋で長い足を抱え込んで俯いて座っていた夜彦が、ふっと朝彦に目を向ける瞬間。
朝彦の言葉に容易に落ち込んだり浮上したりする表情の変化。
縋るようにまっすぐに朝彦を見つめる目。
Cチームは、野良猫な夜彦を朝彦がアプローチしてゆっくり手懐ける感じとすれば、
Aチームは、野良猫が通りすがりにちょっと優しくしてくれた朝彦に懐いてついていく感じ?
ちょっと語弊があるかもだけど、そういう意味でAチームのベクトルは夜彦→朝彦だと感じました。
二人の距離感というか、相手に向かう気持ちの勢いと?前のめり感?そういうのが真逆。
それだけでも興味深かったのですが、終盤のベクトルの逆転もその向きだったと感じました。

2回目の観劇だったせいか、Aチームでは一つ一つの言葉が凄くクリアに聞こえました。
紹介は物語に振り回されて、ちょっと冷静じゃなかったんだと思う。
もちろんAチームにも翻弄されましたが、クリアな言葉に乗った感情は、
その方向性を更にクリアに見せてくれたように思う。
一定の距離感を置いて、ある意味大人な対応で夜彦と接していた朝彦。
けれど、夜彦を知る中で、そして、眠ることのできず消耗する夜彦と共にいる時間の中で、
いつしか朝彦は自分からその距離を縮めようとしているように見えた。
死にたいとは決して言わないまま、死に囚われている夜彦を、
朝を朝だと迎えられる自分を羨み普通を切望する夜彦を、
一文字違いの名前という縁から始まった、けれど「何か」の関係性を築いた夜彦を、
朝彦は自ら手を伸ばし、その手を取り、引き寄せようとしていたように見えた。

ベクトルの、逆転。

この回は下手からの観劇だったので、もう聞けないと、聞きたくないという朝彦の表情は見えなかった。
見えなかったけれど、その背から、私は絶望を感じた。
17歳の少年の手には負えない夜彦の闇に手を伸ばしてしまった絶望。
自分には、どうすることもできないことに向き合った絶望。
それでも、夜彦の手を離すことのできない絶望。
だから、彼が言った「一緒に死ぬよ」という言葉は、本気だったと思う。
希望でも、妥協でもない、本気の絶望。
けれど、17歳の心身は、きっとそんな絶望を凌駕するほど健やかで生に近くて。

どうして約束を破った?と穏やかに問いかける“17歳の夜彦”に、
死にたくなかった、死ぬのが怖かったと慟哭と共に叫んだ朝彦の背は、
夜彦に向かう強いベクトルと共に、
その後の13年を生きてきた時間と、まさに生きる力を感じさせて。
そして、そんな朝彦を見つめる夜彦の目は、とても、とても静かだった。

その後の家族の話と、子どもに死にたい朝を遺さないという新しい約束を交わす二人は、
なんだか観ていて泣きたくなるくらい穏やかだった。
あの日の“死”を越えて、年を重ねた朝彦は、13年間の葛藤を越えて穏やかに力強く、
朝彦の想像の中の“17歳の夜彦”は、そんな朝彦を柔らかな微笑みで見つめていた。

そして現れた、30歳の夜彦は、本当に、生身の、30歳の夜彦に見えました。
朝彦を待ち続けて熱中症で倒れたあの日から、
朝彦を恨みつつ入退院を繰り返して、“普通”だと言える今を生きている。
きっと未だ眠れない夜もあって、未だ死を願い死を恐れる夜もあって、
それでも、17歳の夏を胸に、彼は今を生きている。
それはきっと朝彦も同じで。
あの日の恐怖も、後悔も、葛藤も全部胸に抱えて、
想像の夜彦と一緒に時々ちょっと“普通”を見失ったりしながらも、今を生きている。

正反対の、朝彦と夜彦。
片方が朝に希望を抱くときは、片方が朝に絶望を抱き。
片方が死を希求するときは、片方が生を希求し。
片方が普通を見失った時は、片方が普通を語る。

そんな二人が辿り着いたこのラストシーンに、独り佇む谷口さんの朝彦の笑みに、
この物語は、“生”に向かう物語なのだと、そう確信する自分がいました。
それが彼らにとって健やかで明るく幸いな未来なのかはわからない。
でも、17歳の夏を胸に彼らは今を生き、そしてこれからを生きていく。
これは私だけの思い込みかもしれないけれど、
それでもそう感じられた自分になんだかちょっとほっとして、やっぱり泣けてしまいました。


いつにもましてわけのわからない記録になってしまいましたが、
とにかくそのくらい演者さんやその組み合わせで形作られるものが異なる、
ある意味朗読劇としてとても素晴らしい戯曲であり、舞台だったと思います。
戯曲を読んだときの、文字からの情報だけで脳内に想起される彼らと、
生身の肉体と声と、そして関係性で描き出される彼らは全く違っていてそれぞれに魅力的でした。
今回は2チームしか観られなかったけど、他のチームを見たら、また違う感覚だったのかな。
というか、同じチームでも観るたびに違うのかもしれないな、と思います。
いつかまた上演されることがあったら、ぜひ観にいきたいと思います。

そういえば、これを書きながらふと思ったのですが、朝彦もお父さん、いませんよね?
この物語の中、朝彦の背景はほとんど語られません。
冒頭で、4人兄弟の長男で、一人で4人を育てる母親を助けてきたド長男だと、彼は言っていました。
つまり、彼も父親はいない、ということですよね?
でも、朝彦の父親については全く語られない。
父親が生きているのかも死んでいるのかもわからない。
観ている時には不覚にもそのことに思い当たらなかったのだけれど、
そうであることを踏まえて見ると、また夜彦の告白を聞く朝彦の心理状態とか、
違った風に見えるのかもしれないなあ、と思いました。
うん、これはやっぱり再演を待つしかないですね!

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