その綱を引く人

昨日は、即位礼正殿の儀を自宅のTVで見ていました。
何台ものカメラで撮影され、くまなく映されるその儀式。
近代的な建物の中に鎮座した高御座の鮮やかな装飾。
皇族の方々がお召しになった御装束に込められた意味。
そこだけ時間の流れが異なるかのような、不思議なテンポで進む儀式。
それは、本当に歴史的にも、文化的にも興味深い1時間で。

でもそんな中。
天皇陛下が述べられた「誓います」という言葉に、私は一瞬呆然としてしまいました。

誓う、という言葉は日常生活で早々使うものではないけれど、
でも、滅多に耳にしないわけでもない。
でも、この瞬間耳に届いたその言葉の響きには、
これまで感じたことのない“重さ”があった。
天皇陛下は、穏やかともいえる表情だったにも関わらず、
その言葉に込められた覚悟に、静かだからこその厳しさに、
一瞬何を聴いたのかがわからなくなるくらい、驚き、動揺してしまいました。

一つの言葉が内包する、全身全霊の想い―――その凄まじさ。

言葉というものの力を再確認した瞬間でした。
そしてそれは、この舞台でも感じたものかもしれません。


「組曲虐殺」

2019.10.20 マチネ 銀河劇場 1階I列一桁台

作:井上ひさし
演出:栗山民也
音楽・ピアノ演奏:小曽根真
出演:井上芳雄、高畑淳子、上白石萌音、神野三鈴、山本龍二、土屋佑壱


10年前の初演、7年前の再演を経ての今回の上演となったこの舞台。
・・・って、もう7年も前なのか!
ちょっと違った意味で呆然としてしまいましたよ(笑)。
この舞台は、個人的に宝物のような舞台なので、
再演を心待ちにしていた身としてはとても嬉しくv
が、観に行く予定だった日が台風で九円となってしまったため、
結局1回しか観ることができませんでした。残念!
でも、その分めちゃくちゃ真剣に、少しでも沢山のことを受け取れるようにと、
気合を入れて観ていたせいか、3時間が何だかあっという間に過ぎてしまいました。
そして、観終わった後にご一緒した文学に詳しいお友達とお話をして、
なんだか凄く満足しちゃって、ちょっと記録として外に出せるものが何もないことに気づきました。
考えたり受け止めたりしたものが、すーっと自分の中に沁みこんでしまった感じ?
なので、今回もちゃんとした観劇記録にはなりそうもありませんが、ご容赦ください!

今回観ていて思ったのが、井上くんの演じる小林多喜二という存在は、
♪独房からのラブソング で彼自身が歌っているように、
本当に“人”を愛した存在だったんだなあ、ということ。
“人”という存在に対して、とても興味を引かれていて。
その人が生きてきた時間。
胸に閉じ込めた思い出。
大切にしている何か。
そういう、他者の人生に向ける眼差しが、本当に優しくて、真摯で。
だからこそのあの人生だったのかなあ、と思ってしまいました。
そして、だからこそ彼は作家でありつつも作家ではあり得なかったのかな、とも思った。
何というか、彼が書きたかったのは、“物語”ではなく“人”だったんじゃないのかな、と。
いや、これだと言葉足らずで誤解を招きそうだな・・・
えーと、上手く言えないけど、丸ごと全部の“人”そのものを、彼は描きたくて。
だから、ああいう方法で小説を書くことを選んだのかなあ、と。

♪信じて続け のシーンで、希望と絶望の間を繋ぐ愛の綱を引く人が必要だ、というような台詞がありました。
希望を生み出すのも、人。
絶望を生み出すのも、人。
希望と絶望の狭間で揺れ動くのも、人。
その人に手を差し伸べるのも、人。
未来を、絶望と希望のどちらに引き寄せるのかを決めるのも、人。
その“人”を多喜二は愛して、だからこそ彼自身がその“綱を引く人”になったのかな。

うーん、余計に訳がわからなくなった(^^;)
観ている時には、なんだかすとんと納得してしまったのだけど。
多喜二の時の井上くんの歌声は、やっぱりとても生々しくて。
普段の声で朗々と歌うのが、麻布のアパートでのあのシーンだけ、というのに、
今回はなぜかめっちゃ受けてしまったのですが(笑)、
その分、その他の曲は井上くんではなく確かに多喜二の歌声で。
ラストシーン、大きなスクリーンに映された男が、
頭では井上くんだとわかっているのに多喜二にしか見えなくて。
そのことに、不思議に泣けてしまいました。


瀧子役は、今回から上白石萌音ちゃん。
「ナイツテイル」での純粋な存在感と澄んだ歌声がとても印象的だった彼女ですが、
今回のタキちゃんも可愛いだけでなく、
自分の足場をしっかりと踏みしめている感じが、とても素敵だったなあ、と思います。
多喜二兄さん。
多喜二君。
多喜二さん。
彼女の多喜二への想い、そして彼女自身の在り方の変化にともなって変わっていく呼び方。
その過程で発露する彼女の鮮やかな感情。
なんというか、凄く“生きて”いるタキちゃんだったなあ、と思います。
タキちゃんが欲しいものと、多喜二が彼女に与えようとしていたものは違っていて、
そのことがとても切なかったけれど。
でもって、多喜二はタキちゃんの何を見ていたのかな、とも思ったけど。
麻布のアパートでタキちゃんが泣いている時、
多喜二は顔を手で隠すようにしてずっと俯いていた。
あの時、多喜二はタキちゃんに何か言葉を与えるべきだったと今でも思うけれど、
でも、そうできないということも、理屈でなくわかってしまった気がして。
それこそが、“人”を愛した多喜二なんだろうなあ、と思いました。
いやでも、タキちゃんにとってはとんでもないと思うけどね!

ふじ子さん役の神野さんは、本当にさすがの一言!
緊迫したシーンも、笑えるシーンも、切ないシーンも、
途切れることなく“伊藤ふじ子”という存在だったなあ、と思いました。
彼女が、多喜二の小説から知ったタキちゃんやチマ姉さんのことを語るシーンがあるけれど、
彼女は多喜二を取り囲む人たち全部まとめて、多喜二を愛していたのかなあ、とも思ったり。

チマ姉さん役の高畑さんは、本当にめちゃくちゃかっこよかったです!
前回観た時は、チマ姉さんは多喜二の思想や活動を全ては理解せず、
家族として受け入れて支えていたのかと思ったのだけど、
今回観て、彼女は全てを理解して、その上で弟を心配すると同時に誇りに思い、
そして、自分のできる全てで彼を支えていたんだなあ、と思いました。
チマ姉さんの言葉は端的で、まっすぐ。
自分の大切なもの、守るべきものがぶれることなく彼女の芯にある。
そういうかっこよさに思わず見惚れてしまいました。

というか、この物語の女性陣は、本当に三者三様の強さと美しさだな、と思う。
♪豊多摩の低い月 で重なる三人の声は、それぞれに特徴的で、
決して混じり合うことはないのだけれど、その距離感がとても好ましかった。
高く澄んで空気を揺らすタキちゃんの声。
凛とした強さと危うさの感じられるふじ子さんの声。
おおらかな強さと高潔な響きのあるチマ姉さんの声。
同じ月を見て、それぞれに思い描くものが異なるように、
多喜二に対する想いも三者三様で。
そんな象徴的なシーンだったのかなあ、と今更ながらに思いました。

そう言えばこの曲の前に男性三人が♪伏字ソング を歌うのだけれど、
女性陣と男性陣で見ている面がまるで違うなあ、と。
状況が違うから当然なのだけれど、
人生の暗さや理不尽さと対峙することで前に進もうとする男性陣と、
美しいものを美しいと感じることで、人生を愛そうとする女性陣。
そんな対比もあるのかなあ、と思いました。


特高のお二人、古橋役の山本さんと山本役の土屋さん。
ちょっと年齢差のある一筋縄ではいかないバディ感が秀逸でございましたv
怖くて得体のしれない特高刑事が、物語が進む中でどんどん“人”になっていくのも、
それを多喜二が興味深そうに見つめているのも、
見ていてなんだかワクワクして・・・ラストシーンに一気に打ちのめされました。
あの山本の叫びは、本当に胸を引き裂かれるようだったし、
そんな山本の選択を止めようとしている古橋から感じる諦念も辛かった。


今回もピアノは小曾根さん。
そういえば、今回は席の関係か、ピアノの存在が前に出てくる感じはなくて、
舞台空間そのものに溶け込んでいるような印象を受けました。


うーん、もっといろいろ考えたはずなのになあ。
でも、これ以上ひねくり回しても、これ以上のものは今は出てこなそうなので、
ここで強制終了することにします。
またいつか再演されたときには、
もうちょっと理論的にいろんなことを受け止められるといいなあ。

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