瓔珞の音

アクセスカウンタ

zoom RSS 狭間

<<   作成日時 : 2008/07/22 22:39   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 4

出会い、というのは不思議だな、と思います。
何を当たり前のことを、と言われるかもしれないけど。

出逢った途端に、必然だと思う出会いもある。
必然だと思っていたのに、結局通りすがりでしかなかったこともある。
どんなに必然でありたくても、同じ時間を刻めない出会いもある。
その一方で、偶然の出会いを必然に変える力もある。
その力は、愛情であったり、執着であったり、同情であったり、慈しみであったりするかもしれない。

生きていく中で、出会う人より、出会わない人の方が多いのも当たり前で。
でも、だからこそその中の奇跡のような出会いの一つ一つを、
大切に大切に育んでいけばいい。
例えばその出会いが、どんなに刹那的なものであったとしても、
その出会いが刻む足跡が、どんなに痛いものであったとしても、
出会ってしまったことを後悔するのではなく、
出会いの後の別れを嘆くのでもなく、
出会えた奇跡を祝福したい。

そんな二つの出会いの物語を観てきました。



七月大歌舞伎 夜の部 「夜叉ヶ池」「高野聖」

2008.7.19 歌舞伎座 1階21列30番


7月の歌舞伎座夜の演目は、坂東玉三郎さんが監修ないし演出をされた、泉鏡花の物語二つ。
この演目を見た瞬間に、絶対に行く!!と心に決めていました。
泉鏡花の物語が大好きか?と言われると、実はちょっと悩むのですが、
波津彬子さんが描かれた泉鏡花の三戯曲の漫画、「鏡花幻想」は、
めちゃくちゃ好きなのですv
以前「牡丹燈籠」の時にも、
波津さんの漫画はお薦め!と書きましたが、
今回の「夜叉ヶ池」は、まさに波津さんの世界が立体化したような印象でした。


「夜叉ヶ池」の物語は、夏の夕暮れで始まります。
刻々と影に沈む山の木々。
まだ明るさを残す青い空と、そこに浮かぶ薄紅の雲。
厳かに響く鐘の音。
小さな家の垣根に咲くのは真っ白な夕顔の花。
そして、そこに住まう穏やかな雰囲気の老夫婦―――
もう、その最初のビジュアルだけで、一気に物語の世界に引き込まれてしまいました。

物語は、この昼間の暑さの名残を感じさせる人の世の夜と、
密接に関わりながらも決して交わることのない(はずの)妖の世界とで進んでいきます。
そこに描かれるのは、人間の弱さ、エゴ、強さ、無私の愛情。
一方の妖の高潔さ、残忍さ、情の深さ。
そして、その双方の美しさと醜さ。
柔らかな日本語で紡がれる、三次元の鏡花の世界に、うっとりと浸ることができました。

百合を演じた市川春猿さん。
立ち振る舞いのたおやかさと、綿毛のように柔らかな声音が印象的でした。
もう、本当に波津さんの描く百合がそのまま現れたかのような美しさ!
百合の、人と妖の世界の狭間にいるような曖昧な存在感が、
この物語のかたちを決めていたように思います。
子守唄も、優しい旋律なのに、百合の不安が滲み出るような寂しさがありました。
これは白雪姫も心を動かされるよね。
最後、自害して果てるまでのシーンは、晃役の段治郎さんの熱演とあいまって、
ひたすら涙してしまいました。

その萩原晃役、市川段治郎さん。
いやー、めっちゃくちゃかっこよかったです!!
こちらも波津さんのビジュアルそのままv
白髪姿も、黒髪の姿も、凛とした佇まいがとても素敵でした。
伯爵家の三男坊な彼が、夜叉ヶ池を見るためにこの地に立ち寄り、
そして不思議な巡り会わせで二代目鐘撞き弥太兵衛となった・・・
その影には百合との出会いがあった。
一つの言葉もない、別れと直結していたはずの出会い。
けれど、その一瞬の出会いが、晃の中に確かな火を灯した。
穏やかで安らかな愛情と、他者を傷つけることも厭わぬ熱情。
最後の立ち回りで、晃は叫びます。
「命に代えても妻は売らん。神にも仏にも恋は売るものか」
その言葉の激しさは、妖である白雪姫の恋情と、
「生命のために恋は棄てない」と叫ぶ白雪姫の激しさと通じるものがありました。
その激情は、結局百合に自害を選ばせ、晃に鐘を撞かぬことを選ばせ、
そして村は水の底へ沈んでいきました。
冷たい水の底の新しい住まいで、新しい生を生きはじめた二人は、
もしかしたらそれ以前から、妖と人の世界の狭間に棲んでいたのかもしれません。
だからこそ、あんなにも綺麗でいられた・・・そんなふうに感じました。

山沢学円役、市川右近さん。
こちらも、波津さんの以下同文(笑)。
地味ではありますが、晃と人の世の繋ぎである重要な役柄でした。
友達思いで、正義感が強くて、だからこそ厳しい人。
自分の命も危ないと解かっていて、萩原の鐘を撞かないという決心を後押ししたのは、
彼らを破滅へ導いた人への嘆きと嫌悪があったのかもしれません。
そんな実直さが素直に感じられる演技でした。
うーん、右近さんのヤマトタケルも観たかった!!

白雪姫役、市川笑三郎さん。
こちらも、波津さんの以下同文・・・
とても強気で、素晴らしく綺麗なお姫様でした。
私のイメージ的には、姫の方が白百合、という感じだなあ・・・
百合のために鐘を壊すのを諦めるのですが、
その直後に契約が破棄されて自由になれるのですよね。
姫の立場なら、百合が自害する前に助けることが出来そうですが、
この人(妖?)はわざとそうしなかったんだろうなー。
村が水に沈んだ後の、あの晴れやかな笑顔がそういっていました(笑)。

湯尾峠の万年姥役、上村吉弥さん。
いやー、良い味だしてらっしゃいましたv
まさに姥=乳母と言う感じ。
お姫様が大事で大事でしかたがないんですねー。
愛情を感じましたv

白雪姫の眷属は、みなさんとてもわかりやすい格好をしていました。
鯉七や大蟹五郎なんて、照明の色でもかっきり分けていて、遠めでもしっかり!
他の眷属の方の衣装とか、もっと近くで観てみたかったです。

あと、姫の御付の木の芽峠の奥山椿
緑の着物に日本人形のような髪、そこに挿した赤い椿の花がとても可愛らしく、
且つ笑い声も可愛らしい方だなあ、と思っていたら、
市川猿紫さんでした!
ヘタルベをやっていた方ですよね?!
帰りの新幹線でそれに気づいて、写真を買わなかったことを後悔しました(笑)。



そして後半の「高野聖」。
こちらはもうとにかく舞台美術にまずびっくり!
山道の表現もそうですが、渕での水浴び(?)のシーンは、こうきたか!!と(笑)。
最初と最後以外は夜のシーンなので、
闇と、青い光と、そして家の中の暖かな光の対比がとても美しかったです。
闇の中を闊歩する様々な動物たちも、不気味ですがラブリーでした(笑)。


女役の玉三郎さんは、「牡丹燈籠」の時に通じるような、自然な演技でした。
私には、あんまり魔性には見えなかったなあ・・・
手をかざすだけで病を治したり、
邪な思いをもつ者を、その思いに相応しい姿にしてしまったり、と
この女も人と妖の狭間の存在なのかもしれませんが、
私的には、情の深い寂しい女、という印象でした。
情に流されて、どんどん深みにはまっている、という感じもあったかな。
でも、あの美しさは尋常ではないです!
劇中、崖下の渕へ降りるシーンで、客席通路に下りてこられたのですね。
その時、客席の照明は殆ど落とされていて、
5番扉のところから黒子さんが青い光で二人を照らしていたのですが、
私の席からは、その青い光の中の女を真正面から見ることができたのです。
青い光の中に浮かび上がるほの白い顔と艶やかな赤い紅。
そして、何処か遠くの世界を見ているような目・・・思わず溜息がでちゃいました。
水浴びシーンの腕もとんでもなく綺麗でしたし、
あのへんはやっぱり魔性なのかもしれないなー(笑)。

その女と出会う高野聖、宗朝役、市川海老蔵さん。
いやー、しゅんとした大人しい海老蔵さんって、初めて見ました!
違和感ばりばり!(笑)
始終受身で、行動に出る前に考えて考えて、結局考えただけで日が暮れちゃう、というような役柄でした。
女の行動に戸惑いながらも、その情の深さに感動したり、
なんとか彼女を救えないかと、ひたすら考えたり・・・
でも、行動には移さない、というか移せないんですよね。
だって、彼と彼女の出会いは通りすがりなんだから。
互いにどんなに深く鮮やかな印象を残しても、
それから後、ずっと心にその面影を描いていても、
二人はそもそも立っている場所が違っている。
その出会いは、刹那であったから、あんなにも美しい。
・・・というようなことを思ったのは、帰りの新幹線の中だったり。
もっと前の席で見れば良かったのかもしれませんが、
最後のシーン、中央に立つ海老蔵さんからは、私、残念ながら何も受け取れなかったんですよねー。
なんでかなー・・・?

親仁役、中村歌六さん。
飄々とした、とらえどころのない役柄でした。
最後の長台詞が、この物語の謎解き、というか根本なのだと思うのですが、
ただ台詞だけでそれを過不足なく表現するのって、とても難しいだろうな、と思います。
親仁としての、女への感情なんかも見え隠れしないと、
たぶんとても面白くないシーンになってしまいそう。
そんな難しそうなシーンでしたが、歌六さんの親仁さんは、
観客の意識を逸らすことなく、きちんと女の半生を伝えてくださいました。

そして、次郎役、尾上右近くん。
なんと現役高校一年生!
でも、次郎という、難しい役柄を丁寧に演じてらっしゃいました。
この次郎に魅力がないと、この物語のリアリティが全くなくなっちゃうと思うのです。
だって、次郎こそが、女がそこに居る理由なんだから。
木曾節の歌声も、素晴らしかったです!
心から拍手をしてしまいました。
学校と舞台とできっと大変だと思いますが、
また何処かの舞台で見ることができるのを楽しみにしていますv

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
08/08/05 玉三郎座頭の七月大歌舞伎を貫いたもの・・・
{/hiyoko_thunder/} 昨日も今日も関東を局地的で強烈な雷雨が襲う。日本は亜熱帯になりつつあるという異常気象の現われ。環境に傲慢な人間への報いではないか。今日などは職場の窓から稲光が射し、間もなく地響きを立てる雷鳴におののいた。 {/hiyo_uru/} 一昨年の七月大歌舞伎で玉三郎の鏡花作品一挙上演について考えた記事を書いたが、今回も反芻しながらいろいろと考えが浮かんでくる。 今回は夜の部だけ鏡花作品だが、昼の部を狐忠信の通し上演としたこととの関連もなんとなくイメージが湧いてきた... ...続きを見る
ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記
2008/08/06 21:11

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
初めまして!
高野聖は海老蔵の高潔さあっての劇化可能であったという、新聞評を見て行きましたが、まさに最後の海老蔵の表情は菩薩そのものでした。
受けの芝居の巧さ…女の美しさも魔性もこの宗朝という役ひとつで決まると思います。
ストーリー自体の浄化の為にあの宗朝の口元の微笑が要ったのでしょう。
50年前、大阪新歌舞伎座で同様の舞台を見たのですが、こちらもやっと学齢に達した位でありながら、山中の恐ろしい光景や雷蔵が扮した不具の亭主が恐ろしく感じました。玉三郎と海老蔵という同時期に存在したふたりの天才の出会いが今回の舞台を高みに上げたと思います。
神聖と魔性
2008/07/22 23:46
神聖と魔性さま、はじめまして!
歌舞伎初心者の偏った意見を読んでくださって、更には素晴らしいコメントまでありがとうございました!
宗朝、最後には微笑んでいたのですか・・・さすがに最後列ではそこまでの表情は見ることができませんでした。その表情が見れれば、この演目の印象も大きく変わったように思います。
受けの芝居の旨さ、ということにも納得しました。確かに観客は宗朝の視点で物語を見ており、宗朝の演技次第で女の印象も変わるのかもしれません。
私自身は「女」は決して魔性とは思えなかったのですが、それこそが私が海老蔵さんから受け取ったものなのかもしれませんね。

50年前の舞台をご覧になっているとのこと。初心者の私の記事にご不快になられたのではないでしょうか?もしそうでしたら、申し訳ありませんでした。これに懲りず、また是非歌舞伎についていろいろ教えていただけると嬉しいですv

恭穂
2008/07/23 00:02
歌舞伎座の七月公演全体を概観した記事を書いてみました。夜の泉鏡花だけでなく昼の狐忠信の通し上演も含め、座頭の玉三郎丈はどんな世界を描き出したかったのかなどを考察した次第です(^^ゞ
勢いで書いた記事ではありますがTBさせていただきましたので、お目通しいただき、ご感想をいただけると嬉しいですm(_ _)m
ぴかちゅう
2008/08/06 21:15
ぴかちゅうさん、こんばんは!
わーい、感想、お待ちしていました!
先程じっくり読ませていただきました。
昼の部も見ればよかったなあ、とちょっと後悔しています。
これから、CMさせていただきに行きますねー。
8月はご一緒できる機会がなさそうですが、
また次にお話できるのを楽しみにしておりますv
恭穂
2008/08/08 22:37

コメントする help

ニックネーム
本 文
狭間 瓔珞の音/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる