瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2012/04/09 22:49   >>

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今日はとても暖かい一日だったようですね(・・・職場に入っちゃうとわからないのです・・・)。
朝は、花びらの先がちょっと顔を覗かせている程度だった桜も、
この暖かさに咲き初めたでしょうか(・・・帰りは暗くて見えないのです・・・)。

日に日に姿を変え、時間によっても印象を変えていく桜。
花の時期は短くても、その存在はとてつもなく大きい。
淡い紅のその姿に―――
美しさを見るか、
儚さを見るか、
したたかさを見るか、
たおやかさを見るか、
純粋さを見るか、
妖艶さを見るか・・・
それは、多分見る人毎に、その瞬間毎に違っていて、でも桜はどんなときも桜でしかないんだろうな。

さて、それでは、満開の東京の桜と共に愛でてきた舞台の記録を。



DANCE ACT 「ニジンスキー 〜神に愛された孤高のバレエダンサー〜」

2012.4.1 ソワレ 銀河劇場 3階A列20番台
2012.4.7 ソワレ 銀河劇場 1階G列30番台

脚本・演出:荻田浩一
音楽:斉藤恒芳
振付:平山素子、港ゆりか
出演:東山義久、安寿ミラ、岡幸二郎、遠野あすか、和田奏右、
    佐野大樹、長澤風海、東文昭、加賀谷真聡、舞城のどか



ヴァーツラフ・ニジンスキー。
バレエにほとんど接したことのない私でも、
余りにも有名なその名前と、「牧神の午後」や「春の祭典」といった代表作名は知っていました。
でも、それがどんな作品なのか、ニジンスキーとはどんな人生を歩んだ人なのかは、全然知らなかった。
なので、ある意味この舞台が、私にとってニジンスキーとのファーストコンタクトでした。

物語は、ヴァッツァ(ニジンスキーの愛称)が狂気に囚われた1919年、
彼の妹であるブロニスラヴァ(安寿ミラ)が、彼の半生を語る形で始まり、
そして、彼の傍にいた人たちが、彼を語る形で進んでいきます。

ブロニスラヴァ・ニジンスカ―――彼を見つめ、彼と同じ板の上で彼を支え続けた、彼の妹。
セルゲイ・ディアギレフ(岡幸二郎)―――彼の立つ舞台のプロデューサーであり、そして彼の愛人でもあった男。
ロモラ・ド・ブルスカ(遠野あすか)―――彼の才能を、美しさを、富を、名声を愛し崇拝した、彼の妻。
フレンケル医師(佐野大樹)―――狂気に囚われた彼の主治医であり、ロモラの心の支えでもある精神科医。

彼らの言葉が、彼に向ける彼らの視線が、彼に触れる彼らの手が創り上げる"彼"の姿―――
そんな"彼"の姿を、ヴァッツァを演じた東山さんはとてもクリアに見せてくれました。

とにかく今回の舞台は、東山さんあってこそのもの、と感じました。
ダンスはもちろんなのですが、あの衣裳とメイクをしっかり自分のものにしているところがまず素晴らしい!
いえ、東山さんって、というかダンサーさんって、上半身の筋肉が結構しっかりしているじゃないですか。
だからこそ、あの美しく力強いダンスが出来るのだと思うのですが、
あの胸板と上腕の逞しさって、凄いですよね?
なのに、この舞台の中で表された「牧神の午後」の淡い色合いの重なった軽やかな衣裳や、
「薔薇の精」の赤い花で作られた華やかな衣裳を纏ったヴァッツァは、
なんだかもの凄く華奢で中性的な存在に見えました。
東山さんが痩せたとかではもちろんなくて(実際スーツ姿の時はやっぱり胸板厚かったです)、
東山さん演じるヴァッツァの演技とダンスが、"彼"をそう見せたのではないかと思うのです。
姿形だけではなく、その存在自体が、牧神や精霊という人ではないものになっていた―――

実際、舞台の上ではなく、ヴァッツァとして妹やロモラと話すときの彼の姿は、
同じ衣裳のままでも全然印象が違いました。
初めての振付をするときの、自分の中の何かをゆっくりと探るようにして言葉を紡ぐ姿も。
ディアギレフの前での、気だるく、嫌悪と共にどこか甘えと諦念を感じさせる姿も。
ロモラを抱きしめるときの、途方に暮れた子どものような姿も。
そのどれもが、舞台の上の"彼"とは異なっていて―――そして、どれもが何故かあやふやだった。

子どものころからペトルーシュカ(人形)のマネが得意だったヴァッツァ。
生活のために、妹曰く「大嫌いな」ディアギレフの愛人となったヴァッツァ。
彼の言葉に従い、最初の振付を―――自分の踊りたいように踊りはじめたヴァッツァ。
賞賛と非難の中で、ただ踊り続けたヴァッツァ。
人形であることを、道化であることを、誰かの―――神の道化であることを受け入れたヴァッツァ。

求められる"自分"でい続けるために、彼は自分自身の本当の姿をあえて見失っていたのではないか―――

幼い頃から狂気の淵に沈んだ兄スタニスラフ(和田奏右)の死に導かれるように、
狂気に囚われた彼の、何処か遠くを見つめる虚ろな目を見、
不思議な三段論法で彼自身が定義する"彼"を聞いた時、そんな風に思ってしまいました。
そんな"彼"が時折浮かべる笑みはとても儚く曖昧で・・・決して本当の笑顔ではなかった。
もちろん、バレエシーンでの妖艶な笑みも。
もしかしたら、彼の最後のバレエのシーンで逆光の中に一瞬浮かび上がった笑みが真実だったかもしれないけれど、
その笑みは美しいのに何故かとても歪んで見えた(でも、個人的には、このシーンのダンスが一番好きでした)。
そのことに気付いたとき、"彼"という存在そのものが儚く曖昧に思えて、なんだかとても切なくなりました。

そして、最後のシーン。
満天の星の下で、ディアギレフと、ロモラと、ブロニスラヴァと語り合うヴァッツァは、
とても明るい全開の笑みを見せていました。
これまで彼らと対峙していたときとは全然違う、はっきりとした口跡。
明るい笑い声。
ちょっと皮肉な、けれど相手への感情が素直に伝わる言葉たち。
ああ、これはきっと死後の世界で、肉体を脱ぎ捨てたヴァッツァは、
同じように相手とのしがらみや言葉の壁、疑念、嫌悪、愛憎―――そんなマイナスの何かを取り払って、
初めて"彼自身"として彼らと向き合うことができたのだな。
そんな風に感じてなんだかほっとしてしまいました。
けれど―――
最後にブロニスラヴァと語り合う彼は、その明るく無邪気な笑顔のままで言います。
「僕は道化を演じる。
 道化は人々を笑顔にする。
 人々を笑顔にするのは神だ。
 僕は神に選ばれた道化―――僕は神だ」
と(途中かなり抜けてるかも/汗)。
その言葉が紡がれていくにつれて、その笑顔は美しさはそのままに禍々しさを増していって―――

異形―――

その笑顔を見たときに、この言葉が浮かびました。
彼は"異形"だと。

異形ゆえの醜さ。
異形ゆえの苦悩。
異形ゆえの狂気。
異形ゆえの魅力。
異形ゆえの、美しさ。

ヴァーツラフ・ニジンスキーを"異形"と感じることは、もしかしたらとても間違ったことなのかもしれません。
けれど、彼の美しい肉体の中には、この世界には馴染むことのできない魂があった。
その魂の片鱗に触れる人たちを魅了し、取り込み、狂わせる、異形の魂が―――
いつか、ニジンスキーの振付けた舞台を観たら、もしかしたら間違っていたと感じるかもしれません。
でも、この舞台で私が受け取った"彼"は、美しき異形であった―――それが今の私の答えなのです。


うーん、感じたことを思いつくまま書いてたら、なんだか変な方向に行ってしまった気が(汗)。
とりあえず、東山さんのダンスとお芝居の深さにはちょっとやられました。
役柄ごとで、というか同じ役でもこんなにも印象を換えてこられると、ちょっと目が離せません(笑)。
とりあえず、また舞台の情報が出たら観にいっちゃうんだろうなあ。


ブロニスラヴァ役の安寿ミラさん。
多分舞台で拝見するのは初めてなのではないかと。
宝塚の男役さん!というオーラ全開の方だなあと思いました。
途中ドレス姿もあるのですが、とにかくパンツスーツの時のかっこよさが尋常ではない!
そして、二人の一筋縄では行かない兄を持ち、したたかにならなくてはいけなかった妹の虚勢や戸惑い、
兄に対する憧憬と崇拝と嫌悪と憐憫、敗北感と安堵―――そんないろんな感情を見せてくれました。
ある意味狂言回してきな役柄なのですが、上手に置かれた椅子に座って中央でのやり取りを静かに見ているときも、
ふと気付くととても細やかな表情や演技をされていて、
ブロニスラヴァだけを見てもいろいろ受け取れるものがあったんじゃないかなあ、と思いました。
もっと何度も見れたなら、そうしたかも。

同じように感じたのが、フレンケル医師役の佐野さん。
妻帯者でありながら、ロモラに心惹かれて行くのですが、
同時にヴァッツァの存在にも、理性とは別の部分で引き寄せられている感じでした。
でも、ロモラのようにそのまま取り込まれてしまうには、彼は理性的で賢すぎたのかも。
それが幸せなのか不幸なのかはわからないけれど。
夫との馴れ初めを語るロモラを見つめる彼の表情に見えた苦渋がとても印象的でした。
フレンケルがヴァッツァの「本質」を推測するシーンがあるのですが、
もしかしたら、あれは正しかったのかなあ、って最後のシーンを見て思いました。

ロモラ役の遠野あすかさん。
昨年の「CLUB SEVEN」以来ですが、全然違う雰囲気でした。
なんというか、少女の美しさと醜さをそのままに大人になってしまった女性、という感じ。
「薔薇の精」の時のうっとりとした表情が、とても綺麗で、でも同時にとても危ういものに見えました。
自分にはない美しさや才能、自分から奪われた富や名声。
それらを全て持つヴァッツァに心酔し、彼を手に入れるためには手段を選ばなかったロモラ。
二人の関係を、フレンケルは「鏡に映った自分を愛する不毛な関係」と称し、
ディアギレフは「彼女がほしいのは"ニジンスキーの妻"という立場だ」といいますが、
私はちょっと違う風に感じました。
うーん、上手くは言えないのですが、ロモラはニジンスキーに夢を見たのかなあ、と。

彼に夢を見たのは、岡さん演じるディアギレフも一緒かな?
最初に観たとき、彼のSっぷりにおおお!と思ったのですが(笑)、
それよりなにより、彼の"美"に対する想いの強さが凄かった。
ヴァッツァを支配し追い詰める様はちょっと怖かったですが、
(オレンジを使ってのシーンとか、ヴァッツァの気だるい雰囲気と相まって、ちょっと怪しい美しさでしたv)
でも、彼の行動の基本には常に"美への愛"があるんですよねー。
ヴァッツァに向けられていたのも、"愛"ではあったと思うのです。
ただ、その先が正確にはヴァッツァ自身ではなく、ヴァッツァの創りだす"美"に向かっていただけで。
そのぶれない信念が、とにかく凄い説得力でした。
岡さんの朗々とした歌声がまたこれぞディアギレフ!!という感じで、とにかくお似合いでしたv
でも、この曲ってとんでもなく難しくないですか?
ロシア語(だよね?)の歌もあったりして、さすが岡さん!と思いました。


ヴァッツァとブロニスラヴァの兄、スタニスラフを演じたのは和田奏右くん。
たぶん初めて観るのだと思うのですが、難しい役柄をしっかり演じてらっしゃいました。
6歳で精神を病み、30歳(だったかな?)で精神病院で亡くなったスタニスラフ。
彼の死がヴァッツァの狂気に直接的な発端になったとのことですが、
この舞台で表現されるスタニスラフは、まさに彼を狂気に誘う存在、という感じでした。
兄弟妹の中で、一番幼い姿に見えたし。
1幕終わり近くで三人が同じような振りで踊るシーンがあるのですが、
あれはちょっと背筋が寒くなるような感じでした。
ペトルーシュカの振り、なのかな?
道化の時の、ヴァッツァとのシンクロ具合も良かったですし、
あと、ブロニスラヴァが「スタニスラフが亡くなった」といった後の登場の仕方とか、
その後の長い長い袖の白いシャツを着て、その袖を二人のダンサーさんが玩ぶ感じで三人で踊るシーンとか、
凄く見ごたえがあって、且つとても怖かった!(笑)
たぶん、ここに描かれたスタニスラフは、ヴァッツァの中にいるスタニスラフだったんだろうなあ・・・
ブロニスラヴァには見えてなかったのかも。
その辺も、もっとよく見てみたかったです。


ダンスアクト、ということで(なのかな?)、男性3人と女性1人のダンサーさんたちが、
最初から最後まで様々な空間を作り出してくれました。
男性3人の顔と名前を一致させるまでに行かなかったのがとっても残念!
(それにしても、こういう舞台を観ると、大貫くんには是非こういう舞台に出てほしい、と思ってしまう・・・/涙)
舞城のどかさんは、とにかくとっても可愛らしかったですv
でも、白いチュチュに黒いタイツというのが、あんなにも妖しい感じになるとは思わなくてびっくり!(笑)
今回の舞台、衣裳は白と黒が基本で、明るい色合いはヴァッツァのステージ衣裳と、ブロニスラヴァの帽子の飾りくらい。
あ、あとディアギレフの赤いソファー!(笑)
その分、照明がとても複雑な文様と色合いで舞台を彩ってくれました。
逆光の使い方もとても綺麗で、あと時々上から降りてくる鏡も多分凄く意味深だった感じで、
真正面の席から見てみたかったなあ、とちょっと思ってみたり。
うーん、DVD申し込んでくればよかったかなあ。
でも、この舞台って、映像になっちゃうとちょっと雰囲気が違っちゃうんじゃないかな、と思います。
ので、またいつか再演してほしいなあ。
そのときは、もっと一人一人の役者さんの表情をきちんと見てみたいです。
・・・って、きっとまた東山さんのヴァッツァに目を奪われちゃうんでしょうけどね。

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