瓔珞の音

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zoom RSS 涙の意味

<<   作成日時 : 2012/12/16 18:22   >>

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考えても考えても考えても―――答えが出ない。

そういうことは、たくさんあります。

答えが出なくても、"考えること"そのものに意味があることもあるし、
考え続けている限り前に進めない、と見切りをつけざるを得ないこともある。
答えなんてないんだ、と開き直れれば楽なのに、
いつもそのことを突きつけられてしまうこともある。

考えることは嫌いではないけれど、
でも、それを有無を言わさぬ、あるいは悪意をこめた口調で突きつけられたら、
やっぱりどうしても素直になれないのは、私の性なのかなあ、とも思います。

井上ひさしさんのお芝居は、いつもいろんな命題を私に突きつけるけど、
そういえば、未だかつて明確な答えに辿り着いたものはないように思います。
今回の舞台で突きつけられた"お芝居を観ること""お芝居を観て流す涙の意味"も、
きっと私には明確な答えを持つことはできないのだと思う。


「日の浦姫物語」

2012.12.1 ソワレ シアターコクーン 1階D列10番台

作:井上ひさし
演出:蜷川幸雄
出演:大竹しのぶ、藤原竜也、辻萬長、たかお鷹、立石涼子、木場勝己
    鳥山昌克、赤司まり子、井口恭子、原康義、星智也、大門伍朗、妹尾正文、二反田雅澄、福田潔、
    掘文明、澤魁士、野辺富三、手打隆盛、佐藤玲


一人の説教聖(木場勝己)と、赤子を連れた三味線引きの女(立石涼子)が語る説教節として、
その物語は私の前に現れました。
時は平安、奥州米田庄・御館の主の下に生まれた、男女の双子。
兄・稲若(藤原竜也)と妹・日の浦姫(大竹しのぶ)。
箱入りの幼い二人の、無邪気なはずの戯れが、日の浦姫の胎内に新しい命を芽生えさせます。
そこから始まる、長く捩れた宿命の流れ―――
愛する妹と別れさせられ、都へと昇った稲若の死。
両親の罪を背負わされ、海へ流される赤子。
亡き両親と兄の変わりに米田庄を治める日の浦姫の前に現れた、一人の若者・魚名(藤原竜也)。
米田庄の窮地を救った魚名と、民の望みに従う形で婚礼を挙げる日の浦姫。
仲睦まじく、待望の子宝にも恵まれた二人の前に突きつけられた、血縁の業―――

文章にするとどうにも救いのない重いテーマを、
井上さんならではの言葉遊びや歌を交えて描かれる物語は、役者さんたちの好演もあって、
ちょっと疲労に負けそうだった私でも、まったく眠くなることなくひきつけました。

今回は、とにかく日の浦姫を演じた大竹さんが凄かった!
いえ、大竹さんはいつも本当に凄いのですが(笑)。
15歳(数えだから下手すると13歳?)から50代まで、
そのシーンシーンで全く違った表情で、けれど最初から最後まで芯の通った"日の浦姫"を見せてくださいました。
15歳の少女の持つ、子どもの無邪気さと女のずるさ。
母として生まれた赤子を愛おしむ心。
その子に罪を背負わせて流すことに対する、罪悪感と虚無感―――そして、僅かな安堵。
"女"であることを押さえ込み、直衣姿で政務に当たる姿。
魚名に出会い、求められ、促され、けれど最後には自分の意思で"女"である自分を取りもどした歓喜。
そして、愛する男が息子であることを知ったときの、懊悩―――
個人的には、このシーンが一番印象に残っているかな。
魚名は息子ではないと思い込むために、
ありえないだろう!とつっこみたくなるようないろんな理由を思いつくまま口にする姫。
でも、彼女はそれが儚い戯言であることをわかっていた。
わかっていても、言わずにはいられなかった。
彼女の言葉に観客席からは笑いが起こっていたけれど、
実は私的にはこのシーンが一番泣けてしまいました。
そういう風に言わずにはいられない日の浦姫の、焦燥に追い詰められるような上ずった声、こわばった笑み。
罪の重さと絶望の深さに押しつぶされそうな彼女の姿が、とにかく観ていて痛々しかったです。

稲若・魚名役の藤原竜也くん。
「シレンとラギ」に続いての近親相姦ものですが(え)、
もちろん受ける印象は全然異なりました。
こちらの方がある意味受身かな。
稲若の純粋さと軽率さ、魚名の純粋さと一途さもまた全然違って見えて、面白かったです。
真実を知り、目を潰し、日の浦姫と別れ放浪した彼が、
海の中の岩の上で魚たちに養われて・・・というくだりは、
元ネタ(?)についてプログラムに書かれてはいても、ちょっと笑っていいのか悩むところではありました・・・
最後、日の浦姫と再会し、互いの目が見えるようになる、というくだりも、
この時点で二人の間に親子としての情だけがあったからこそなのかなあ、とも思いました。
互いに触れる手の優しさが、確かに"親子"のものだったことにほっとしたり。
でも、同時に、目で見ることで再び湧き上がるものもあるのではないかな、とも思ったりしました。
100%納得はできないけど、まあ、こういうハッピーエンドもあるよね、という感じ。

でも。

物語は、ここでは終わりませんでした。
この物語を語り始め、常に舞台の上手に在った説教聖と三味線女。
上手側の席だったこともあり、木場さん演じる説教聖の表情に、何度も視線と気持ちを持っていかれました。
無邪気に戯れる兄妹を見つめるときの、射殺すかのような強く激しい視線と厳しい表情。
赤子を流すシーンでの、三味線女の嘆き。
時に舞台の中ほどまで歩み入り、笑いや皮肉を交えながらも語り続ける二人。
物語の早い段階で、ああ、この二人もきっと兄妹で、そして赤子の両親なんだろうな、と思いました。
物語を語り終え、聴衆にお布施をねだるその途中、
二人が兄妹であることが明らかになったことで、聴衆たちは彼らに石を投げます。
その後の説教聖の言葉が突きつけたことに、私は呆然としてしまいました。
この物語を聞いた人たちが流した涙の意味。
それは、私には考えてもみなかったことでした。
激しく発せられるその言葉は、怒りと悪意に満ちていた。
露悪というには、その怒りは強すぎ、
懺悔というには、その悪意は鋭すぎた。

説教聖が―――井上さんが突きつけた"涙の意味"。
そうではない。
私は違う。
とっさにそう思いはしたし、今でもそう思っているけれど、
では、その理由を理路整然と述べろ、と言われたら、たぶん上手くは言えない。
そして、考え続けるうちに、自分のなかにもそういう部分があるんじゃないかと、
違う、と言い切ってしまった影には、そうかもしれない、と思っている自分もいるのではないかと、
なんだかもの凄くもやもやと、納まりのつかない気持ちが、観劇して2週間経った今でもあります。

私は酷く泣き虫で、たぶんこれからもいろんな舞台を観て、いろんな涙を流すと思う。
その涙の理由には、もしかしたら、今回突きつけられた意味も、あるのかもしれない。
これから、舞台を観て涙を流すたびに、私は自分の涙の意味の裏側を探るのかもしれない。
その果てに、私は舞台を観ることに疲れ果てるかもしれない。
でも、その時が来るまで、私はやっぱり舞台に―――井上さんのお芝居も含めた舞台に、
これからも通っていくんだろうなあ、と思います。

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