瓔珞の音

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<<   作成日時 : 2013/07/15 22:37   >>

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彼には、常に幾つもの視線が纏わりついていました。

彼を求める視線。
彼を愛でる視線。
彼を値踏みする視線。
彼を妬む視線。
彼を嘲る視線。
彼を昂揚させる視線。
彼を翻弄する視線。
彼を哀れむ視線。
彼を苛立たせる視線。
彼を恐れる視線。
彼を―――飲み込もうとする、視線。

でも。
彼の視線の先にあったものは、一体なんだったんだろう?



マシュー・ボーンの「ドリアン・グレイ」

2013.7.13 マチネ オーチャードホール 1階3列一桁台
2013.7.14 ソワレ オーチャードホール 1階7列20番台

原作:オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」
翻案・演出:マシュー・ボーン
出演:大貫勇輔、鈴木陽平、皆川まゆむ、大野幸人、丘山晴己、森川次朗、安村圭太、木原浩太、
    原田みのる、矢島みなみ、谷古宇千尋


大貫くんを知ってから、時々ダンス公演を観にいってはいますが、
ここまでストーリーのしっかりしたものを観るのは、
同じくマシュー・ボーンさんの「シザー・ハンズ」以来。
とはいえ、「シザー・ハンズ」はもともと映画が大好きで、内容も知っていたので脳内補完ができましたが、
今回の「ドリアン・グレイの肖像」は読んだことがなく・・・
正直、大貫くんが出なかったら、たぶん観にいかなかった演目で。
なので、始まる前は、どれだけ理解できるかな?とかなり不安でした。
が!
そこはやはり「シザー・ハンズ」で私を号泣させたマシュー・ボーンさん!
言語の違いや文化の違いを軽やかに乗り越えて、
人の身体が創り出す根源的な雄弁さと、計算されつくした演出で、見事に私を未知の世界へ誘ってくださいました。


物語の舞台は、現代のファッション業界。
ファッション誌の編集者レディ・H(皆川あゆむ)の主催するパーティでウェイターをしていたドリアン(大貫勇輔)は、
写真家のバジル(鈴木陽平)にカメラを向けられることで、その秘められていた魅力を開花させていきます。
レディ・Hの後押しもあり、モデルとして成功の階段を上り始めるドリアン。
突然目の前に現れたきらびやかな世界。
その世界の中心で、人々の視線を集め、美しいものに囲まれて、美しいものを愛し、ますます輝いていくドリアン。
けれど、その美しさは、退廃と悪徳と疑心と表裏一体で。
知らずその毒に犯されていったドリアンは、大切な何かを一つ一つ自らの手で壊し、喪っていき―――


恭穂的意訳としては、こんな感じの物語でした。
白を基調とした舞台の上には、中央に扉のある真っ白な壁。
その裏側は、錆びたような色合いの壁。
回り舞台の上で、その壁が回転することで、どんどん場面が変わって行きました。
ドリアンの生きる日常。
彼が垣間見、そして歩んでいくきらびやかな世界。
光に溢れ、けれどどこか無機質な白い世界と、
人の身体の熱と、絡み合う感情と、雑多なもので溢れるバックヤード。
時にはその壁を境に二つの世界が描かれ、
時には、ダンサーさんがその壁をぐるりと走りぬけ、
時には開け放たれた扉の向こうに深い闇が覗き―――
シンプルなのに動きのある舞台ワークに魅了されました。
そして、そこで描かれる人たちは、誰もが"その人"としてきちんと生きていて・・・それが実感として感じられました。


大貫くんのドリアンは、どこか幼ささえ感じられる無邪気さがありました。
ウェイターをしているときも、垣間見たセレブな世界にちょっと目を輝かせ、
レディ・Hの美しさに見惚れてみたり、ぎこちなく彼女に笑いかける様がなんとも微笑ましくv
もちろん、あわよくば、という感情や、上昇志向、狡さみたいなものもあるのだと思うけど、
それよりも、まだ何かに守られているような幼さが感じられました。
そんなドリアンが、バジルの目に留まり、スポットライトを浴びせられ、
そして、バジルのカメラが向けられたとたん、鮮やかに変貌していきました。
若干猫背で、バジルを伺うような戸惑った笑みが消え、
自分に向けられる間接的な"視線"に対して、真っ直ぐに背筋を伸ばし、挑むような表情で向かい合う―――
バジルの視線に暴かれ、引きずり出された自分でも知らなかった自分自身に、
彼の全てが歓喜に満たされていく様は、観ていて私まで胸が高鳴りました。

また、このときの鈴木さんのバジルの全開の笑顔がめちゃくちゃ素敵で!
バジルって、たぶん写真家としてちょっと行き詰った状態にあって、
自分の中にある理想と、自分の目の前にある現実のギャップに苛立っているように見えたのですが、
その閉塞感が、ドリアンの変貌を目の当たりにして、一気に昇華していった感じ。
カメラを間にした二人のデュエットは、
前半の互いを伺い、挑発しあい、そして戦っているような緊迫感のある雰囲気に息を呑み、
歓喜に満たされた二人が、野生の仔ライオンがじゃれあうみたいな後半に、なんだか笑顔になってしまいました。
このシーンって、多分ラブシーンで、官能的な振りなんだろうとは思うのですが、
私的にはとにかくこの二人が可愛くてしかたがなかった!
互いを刺激し、高めあう―――恋愛感情というよりも同志的というか、もっとずっと素直な関係に見えました。
この笑顔がずっと続けばいいのに、って、2回目に観た時にはなんだかちょっと泣けてしまいました。
バジルにとって、ドリアンって、彼をスランプから引き上げインスピレーションを与えるミューズであり、
同時に、自分だけが彼の本質を知っている、という自負もあったんじゃないかと思う。
そんなドリアンが、ものすごい速さで変わっていく環境の中で、どんどん変質していくのを見るのは、
きっと凄く辛かったんじゃないかなあ・・・
香水の広告写真はバジルが撮ったのだと思うのだけど(違うかな?)、
あの写真を見たときのバジルのソロダンスは、嫉妬や怒り、独占欲というような感情が強く感じられました。
2回目に観た時は、バジルに感情移入しちゃって、
ドリアンが眩しいやら愛しいやら可愛いやら心配やらもどかしいやらで、
なんだか私の気持ちがぐちゃぐちゃになってしまいました(笑)。


ドリアンとレディ・Hの関係は、もっと一方的な印象だったかな。
バジルが見出したドリアンを、レディ・Hが磨き上げる、という感じ。
ドリアン自身というよりも、素材としての彼に惹かれ、磨き上げ、
そして出来上がった"作品"に集まる賞賛を、彼女自身も甘受しているような?
バジルに対するあからさまな牽制というか優越感みたいなのもあって、
思わずバジル負けるな!とか思ってしまいました(笑)。
もちろん、レディ・Hとドリアンの間にも"愛情"はあったのだと思うけれど、
バジルとのそれとは違って、もっとビジネスライクというか、クールな関係に見えました。
一方でドリアンの中にはレディ・Hに対する甘えのような感情もあって・・・
その齟齬、というか愛情の質の違いがなんだか観ていてもどかしかったなあ。
皆川さんのレディ・Hがまた、めちゃくちゃ綺麗で、有能で、高飛車で、そして不器用さがあるんですよね。
素直になれない、というか、自分の立ち位置を決して崩さない頑なさのような感じ。
すっと伸びた細い首筋と、赤い唇を歪めるような笑い方がそう感じさせたのかも。
常に相手に対して優位であることを自分に課し続けているような・・・
自分の理想からどんどん外れていくドリアンに対して冷めていく感情とは裏腹に、
生まれてしまった彼への情に戸惑っているようにも見えました。
2幕、ドリアンを拒絶したあとの泣き崩れる細い背中が、なんだかとっても印象的だったなあ。


大野さん演じるシリルは、全然ドリアンへの愛情ってなかったですよねー。
とにかく、打算的。
舞台で踊るシリル(ロミオ、なのかな?)の優美な美しさに心奪われたドリアンが妄想する二人のダンスは、
二人の衣裳の違い(片やスーツ、片や白タイツ/笑)や体格差も相まって、
とても幻想的で綺麗で、その現実感のなさがなんだか危うくも感じられました。
その後楽屋口で出待ちするドリアンの浮かれっぷりがまた微笑ましいやら心配やら(笑)。
で、出てきたシリルが、ドリアンの妄想の中の彼とは全く違う狡猾な雰囲気があって、
うわ!こいつとんでもない!と思ってしまいました(え)。
なんというか、とにかくドリアンを利用しようとしか考えていない感じがもう半端なくって・・・
いや、あそこまで憎憎しいキャラクターを表現できる大野さんって凄いなあ、とある意味感心しちゃいました(笑)。
なんだかね、1幕終盤の彼の傍若無人さから媚びた笑みに対する嫌悪感って、
きっとドリアンも持っていたと思うのね。
ドリアンの中にあった"夢のように綺麗なシリル"が、まさに夢でしかないこと―――
そして、現実の彼の矮小さと醜さに対する絶望が、彼にある一線を踏み越えさせたんじゃないかな、と思う。
ドラックの過剰摂取(なのかな?)でのた打ち回りながら死んでいくシリルを見るドリアンの目の冷たさと、
白く冷たい光の中に在るドリアンを上方の暗闇から見つめるドッペルゲンガーの姿の対比に、
なんだか鳥肌が立つくらいぞっとしてしまいました。


丘山さん演じるドッペルゲンガーという役は、本当に不思議で難解でした。
私的には、ドッペルゲンガーは半分実在で、半分ドリアンの幻想の中の存在なんじゃないかな、と思う。
最初のパーティーのシーンで、彼、ドリアンと一緒にウェイターをしているんですよね。
この時に、ドリアンよりもずっとあからさまにレディ・Hやバジルにアピールしていたように思います。
けれど、彼らに選ばれたのはドリアンだった―――
マシュー・ボーンさんのアフタートークで、原作ではドリアンの自殺した恋人の兄がドリアンを付回すのだけど、
その役割も担っている、というような話がありましたが、
ある時点までは、ドリアンを引き摺り下ろそうとする実在の存在だったんじゃないかと思います。
2幕の前半で、ドリアンを挑発するように現れる彼は、少なくともそうだった。
でも、実在の彼を目にしたドリアンの中で、"彼"は彼を越えた怪物的な存在になっていった―――
混乱と苛立ちの中、ぐるぐると舞台の上を歩き回るドリアンにぴったりとくっつくように歩くドッペルゲンガーは、
既にドリアンの中の存在になっていたと思う。
生気はないのに強い意思を持ってドリアンを見つめる眼。
歪んだ笑みを浮かべていてさえ、無表情に見える顔。
触れるほど近くにいて、時に足を取ったりもするのに、決して向かい合うことのない男。
その怖さったら、もうほんとに半端なかったです(涙)。

ドッペルゲンガーに追い詰められるかのように、どんどん常軌を逸していくドリアン。
そんな彼と重なるように、引き裂かれ汚されていく広告写真を前にしたバジルのダンスは、
1幕で同じように踊った時とは全く異なっていて、焦燥や不安が強く感じられました。
そして、ドリアンに対峙し、もう一度彼にカメラを向けるバジル―――
このとき、バジルはきっと自分のカメラでもう一度ドリアンの本質を写し取ろうとしたのだと思う。
けれど、カメラを向けられたドリアンは、それを避けるように顔を背けて・・・
このときの振りって、多分最初の彼らのダンスと同じだったと思う。
同じ動きで、同じようにカメラを間に向かい合って、
けれど、このときのドリアンは、もうバジルの視線を受け止め向かい合うことはできなかった。
バジルに見出された、美しい自分。
バジルの"眼"が見つめる、自分の本質―――変わってしまった、自分自身。
多分、このときのドリアンにとって、バジルの存在は恐怖でしかなかった。
だから、その"視線"を消した―――
であった頃のような無邪気な笑みで自分を見つめるドリアンに誘われ、バスルームへと入っていったバジル。
その顔に浮かぶ、あの全開の笑顔。
そんなに遠くない過去に、二人がかわしたはずの、笑顔―――
自分を追い詰めるバジルのカメラでバジルを殴打するドリアンの、
呆然としたような、けれど何処か安堵しているかのようなあの目。
自分の最も大切なはずの存在が、最も自分を追い詰める存在となってしまったドリアンは、
なんだかとても儚くて、でも、何かを超越したような美しさがあって・・・胸が痛くなりました。

そこからラストシーンまでは、なんだかあっという間でした。
バジルの血で染まった手。
その手で何かを確かめるかのように自分の顔を、身体をなぞるドリアン。
縋りついたレディ・Hにもたれかかるドッペルゲンガー。
常に、自分の隣に在り、そして、自分を見つめるドッペルゲンガー―――

二人がベッドに並んで座ってから、ラストシーンまでの流れは、
ものすごくシンプルなのに、身じろぎすら許されないような緊迫感がありました。
混乱と絶望と喪失の中で、ただ目を見開くしかできないドリアンと、
血が通っているようにはまるで見えない、冷たい存在感のドッペルゲンガー。
この二人が手を取り、ベッドに横たわり―――そして、消えていく命。

最後、レディ・Hが死したドリアンを清め、その額に優しく口付けする横顔がとても優しくて、
そして、次の瞬間、唇を引き結び背筋を伸ばし前を見つめるその姿がとても綺麗で―――
やるせないラストシーンのはずなのに、なんだかほっとしてしまいました。


台詞のないダンス公演なのに、台詞のある舞台と同じくらいたくさんの感情を受け取ることができました。
もちろん、これは私が受け止めた彼らの感情であって、
演出家やダンサーさんの意図とは全く異なるのかもしれません。
でも、それはたぶん台詞のある舞台でも同じことで―――
大まかな流れの先の細かなイマジネーションは、やっぱり個人のものなんだろうな、と思う。
そういう意味では、めちゃくちゃ刺激的で、めちゃくちゃ奥深い物語でした。
プリンシバルのことばかり書きましたが、
そのほかのダンサーさんも、それぞれの役の感情を届けてくれたように思います。
お一人お一人に役名はありますが、それがどの役なのかはちょっとわからず・・・
ドリアンを取り巻く人たち、という意味では、それぞれがドリアンとの関係を作り上げていて、
もっと回数が観れたら、一人一人の背景をもっと感じてみたかったなあ、と。
個人的には、エドワード役の森川さんが、レディ・Hに振られて嘆く姿か可愛らしくv(笑)
あと、エスペランザ役の谷古宇さんのダンスと表情がめちゃくちゃキュートで印象的でした。

14日は、終演後にマシュー・ボーンさんのアフタートークがあったのですが、
その最後の質問で、若いころ言葉で気持ちを伝えることが苦手だったマシューさんが、
感情を伝える術としてダンスやマイムに辿り着き、その先に彼の舞台がある、という話があって、
なんだか凄く納得してしまいました。
言葉は話さないと伝わらないし、話しても伝わらない時もある。
一方で、身体から迸る感情が、言葉や文化の違いを超えて伝わることもある。
だからこそ、どちらもがきっと欠くことのできない大切なものなんだろうなあ、と思います。

そんな風に、いろんなことを感じさせてくれたこの舞台、5日間の公演を終えて今日が千秋楽でした。
この公演期間、本当に短い!
センセーショナルな内容ばかり強調されたプロモーションが目立ちましたが、
もっとずっとたくさんのことが詰まっている舞台だったと思います。
集客にはちょっと苦労されたようですが、たぶんもっと公演期間が長かったら、口コミで観客も増えたんじゃないかな。
ので、また再演して欲しいなあ・・・
あ、そういえば、「シザーハンズ」の記録を読み直したら、
エドワード役がUKキャストのドリアンを演じられたリチャード・ウィンザーさんでした!
UKキャストも観れば良かった!と心底思ってしまいましたよ。
UKキャストのバジルは、鈴木さんとはまた違った雰囲気だったそうですし。
うーん、これは遠くない未来に是非再演してほしいなあ。
というか、マシュー・ボーンさんの舞台、また観にいってみたいと思います。

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