人として在るということ

Nさんにお借りした「鋼の錬金術師」のDVDを、
今最終話まで観終わりました。

やられました。
最後の最後で泣かされてしまいましたよ。
しかも一瞬泣いてるのに気付かなかったぐらい、重い泣き方で。
ごめんなさい、めちゃくちゃ好きな流れの終わり方でした。
ちょっとしばらく立ち直れないかもしれません・・・
40話を過ぎたあたりから、その救いようのない展開に、
「やばい、好みかも・・・」と思ってはいたんですけどねー。
ここまで(個人的に)後を引く終わり方になるとは思いませんでした。

もちろん、突っ込みたいところも山ほどあるんですよ。
でも、登場人物の一人一人が、納まるところに納まった感じがしました。
それが、先へ続く場所にしろ、そうでないにしろ。
望んだものにしろ、望まなかったものにしろ。
彼らは、不完全な何かを手にし、
これからも無いかもしれない答えを求めながら、
進んでいくんだろうな、と思いました。

原作とは全く違った流れで、物語のトーンも全然違って、
きっとファンの中では賛否両論あるのでしょうけど、
でも、私は、これもありかな、と思いました。
どっちが好きかといわれると、ちょっと困ってしまいます。
だって、原作はまだ途中だし、
それに、原作とアニメって、まったく別の物語だと思うのですよ。
同じ名前で同じ力のある登場人物でも、
その根本が全く違うものな気がします。

原作は、人として「生きる」ことを描いていて、
アニメは、人として「在る」ことを描いていたのかな、と
漠然とそう感じました。

「生きる」ことと「在る」ことは、決して同じではないと、私は思います。
もちろん全く別のものでもないけれど。

生きること、歩いていくこと、戦っていくこと、築いていくこと・・・
それらを、自分自身で選び取っていくこと。
原作は、そういった力強さと、前向きさがあるように思います。
読んでいて、めちゃくちゃきつくなる時もあるけれど、
どの登場人物も、自分の精一杯で「生きて」いる。
だから、どんなに辛い展開ですら、読んでいて救いがあった。

けれど、アニメの方は違いました。
どの登場人物も、自分自身の足場が不安定なのです。
だから、常に何かを探している。
自分が自分で「在る」ための意味を、証拠を、痕跡を。
探しながら、いつ崩れるかわからない自分の足元を、必死で守っていた。
その足場は、決して、自分自身で望んで得たものではなくて。
だからこそ、守らなければならないものだった。
彼らが人として「在る」ために。



・・・すみません、なんだか非常に混乱してきました。
まだ自分の中でも整理しきれていないけど、
なんだか凄い「何か」を受け取ってしまったような気がします。
今日はちょっと夢にも見そうだなー(笑)。

すみません、Nさん、もうちょっとDVD貸しててください。
もう一回ぐらい観れば(いや、さすがに流し見になると思いますが・汗)、
何を受け取ったかわかるような気がするので。
そして、次にお会いした時に、映画版のDVD買ってしまっていたら、
どうぞ笑ってやってくださいねー(汗)。

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