魔法使いの庭

蜷川幸雄さんの訃報を、私は最初にTwitterのRTで知りました。

その後、関連するニュースを幾つも読んで。
Twitterに流れる観劇ファンのみなさんの言葉を読み。
追悼の番組を見て。
役者さんがブログに綴った追悼の文章を読み。

それでも、私の中で、それは未だ現実ではないような感覚のままでした。

今日。

久々に与野本町に降り立ちました。
大好きなさい芸の大ホールで、「尺には尺を」の観劇。
多分、「演出 蜷川幸雄」と記される最後の作品(違ってたらすみません・・・)。

劇場に入ると、がらんとした、どこか白々とした舞台の上でアップする役者さんたち。
始まりの鐘の音の後。
セットで区切られたその向こうに広がる闇と、光の道。

一瞬で私を別世界へ連れて行く、そこは、蜷川幸雄という魔法使いの庭だ―――そう、思いました。

蜷川さん演出の舞台の記録が、このブログには69個あります。
複数回観たものもあるから、多分作品数としては50弱。
そして、ブログを始める前に観た舞台もあります。
開演前、ガレリアに展示されたSSS作品の舞台写真を観て、
もう10年以上昔の、たった1回しか観なかったはずの舞台の光景までもが一気に蘇りました。

初めて蜷川演出に触れた「ペリクリーズ」。
トラウマになってるようにも思う「タイタス・アンドロニカス」。
硬質な空間に溢れた熱を感じた「ロミオとジュリエット」。
美しいセットに心奪われた「恋の骨折り損」。
薔薇の花が落ちる不規則なリズムが体にしみ込んだ「ヘンリー六世」。
未だに他の演出作品を観たいと思えない、「オセロー」。
能のぴんと張りつめた気配を感じた「リア王」。
・・・挙げて行ったらきりがありません。

多分、私は蜷川さんの演出を半分も理解できていません。
けれど、蜷川さんの舞台に出会わなければ、私はこんなにも観劇に嵌らなかったと思う。

その難解さに頭を抱え。
その美しさに魅了され。
その残酷さに憤り。
その遊び心に微笑み。
その直截さに恐れおののき。
その鮮やかさに息を呑み。
その猥雑さに嫌悪を覚え。
その生命に圧倒され―――

蜷川幸雄という魔法使いが作り出すその庭で迷いながら、
その魔法が作り出す何かに、私は永遠に出会い続けられるような気持ちでいたのかもしれません。


「尺には尺を」の終盤、怒涛の展開にびっくりしたり笑ったりしながら、
私はその“庭”が閉じられていくことをひしひしと感じて、溢れてくる涙の気配に怯えていました。

蜷川さんの想いは、きっと沢山の人が受け継いでいくのでしょう。
沢山の人の中に、“蜷川幸雄”という刻印は、きっと刻まれているのでしょう。

それでも。
あの魔法の庭の入口は、もう二度と開くことはない。

カーテンコール。
青空の中に掲げられた、蜷川さんの写真。
それを見た瞬間、溢れる涙を止めることはできませんでした。
一観客である私が泣くのは、きっと凄くおこがましいことだと思う。
でも、あの写真を見た瞬間に感じた喪失感は、自分で思っていたよりもずっとずっと大きくて。

蜷川さんの舞台が私の中に刻み込んだたくさんのことと一緒に、
この喪失感も刻み込まれたのだと思います。


今はまだ、閉じられた魔法の庭の扉の前でその痛みを感じながら、
月並みな、でも、心からのこの言葉で、
「蜷川幸雄」というカテゴリーの最後の記事を締めたいと思います。


蜷川さん。
ありがとうございました。

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