亡霊

黄昏の終わりに沈む部屋。

そこにいるのは、二人の男?
二人の男と一人の女?
一人の男と二人の女?
二人の男と二人の女?


「謎の変奏曲」

2017.9.18 ソワレ 世田谷パブリックシアター 2階C列30番台

作:エリック=エマニュエル・シュミット
演出:森新太郎
翻訳:岩切正一郎

出演:橋爪功、井上芳雄


(以下、盛大にネタバレいたします。ご注意ください!)

物語の舞台は、ノルウェー沖の孤島。
白夜の終わる日―――一年で一日だけの秋の日。
その孤島に一人で住むノーベル賞作家、アベル・ズノルコ(橋爪功)の元に、
地方新聞の記者を名乗るエリック・ラルセン(井上芳雄)が訪れます。
哲学的で、大学で研究までされているこれまでの著作とは趣を異にした彼の新作、
「心に秘めた愛」について、インタビューの約束を取り付けていたというのです。
約束を忘れたかのように、侵入者として窓からラルセンに銃を向けるズノルコ。
ラルセンの質問に質問で答え、嘲笑し、挑発し、煙に巻くズノルコ。
そんな彼の言葉に戸惑いながらも食らいつくように質問を重ねるラルセン。
とうとう怒って帰ろうとしたラルセンを、もう一度銃で引き留め、気に入った、と話し出すズノルコ。
あちこちに霧散するような彼らの会話の中心は、ズノルコの新作について。
著作の中で、ズノルコと往復書簡を交わす女は、実在するのか? 誰がモデルなのか?
互いに探り合うようなやり取りの後、二人の話はある一人の女に辿り着きます。
エリックと同じ町に住み、ズノルコのファンで何度か手紙をよこしたことのある、
文学を教えている女―――エレーヌ。
二人の謎と秘密の源となる、女。


前半はこんなような物語。
膨大な台詞が寄せて返す波のように高さを、強さを、形を変えながら舞台を満たす、そんな二人芝居でした。
舞台はズノルコの屋敷の一室。
北欧らしい木の温もりと、冷たい石の融合した部屋。
青い暖炉に若草色のソファ、グランドピアノ、天井まで届く大きな本棚。
高い天窓からは、まだ暖かさを残した光が射しこみ、
壁のほとんどを占める大きな窓の外には黄昏に沈む海の気配が感じられる―――
そんな、住みたくなるような素敵な部屋の中で、
年を経た一人の男と、壮年の男が二人きり、共に胸の中に秘密を持ちながら渡り合うわけです。
最初は、一つ一つの台詞が伏線のように思えて、一つも聞き漏らすものか!と集中していたのですが、
たくさんの言葉のどれが本当で、どれが嘘で、どこに真実が隠されていて、どこにヒントがあるのか、
深読みしてたら1幕でめっちゃ疲れて力尽きそうになりました(^^;)
でも、2幕も全く集中が途切れなかったのは、やっぱりこの戯曲と、そして役者、演出家の力なんだろうなあ。
アフタートークの最初、森さんが「今日の客席の集中力は素晴らしかった」的なことをおっしゃってましたが、
それはもうこのお芝居に劇場の空間が丸ごと囚われていたからだと思います。

ズノルコ役の橋爪さん。
舞台ではNODA・MAPで何回か拝見したことがあったかな。
最近だと「模倣犯」のドラマの有馬さんの演技が本当に素晴らしくて、印象に残っています。
今回演じられたズノルコは、ノーベル賞作家。
頭脳明晰で弁が立ち、哲学的で、快楽は好むけれど愛は信じない、と明言する人嫌い。
ラルセンが一つ質問すると、30の言葉で返すような、偏屈な老作家・・・なのですが。
対する井上くんは、ちょっと慌て者で小心者っぽい新聞記者。
ズノルコの著作に心酔し、自分ほど彼の新作を読んでいる者はいない、ラルセンは言い募ります。
そんな二人の関係は、当初ズノルコが優位のように見えました。
会話のきっかけも、沈黙も、インタビュアーのラルセンではなく、ズノルコが握っている。
インタビューされているはずのズノルコが、ラルセンの何かを探っているように感じる瞬間もありました。
そんな会話の中、明らかになってくる一人の女―――エレーヌ。
ズノルコが唯一愛し、5ヶ月の時を共に過ごし、
けれど、その愛を継続するために、肉体の愛を終わらせ、往復書簡だけで愛を紡ぐ契約をした相手。
身勝手な男の提案を受け入れ、15年もの間、“愛”を育み続けた相手。
ズノルコがエレーヌについて語る言葉は、私にはどこか現実とは乖離しているように感じました。
現実に、肉を、体温を、感情を持った女ではなく、とらえどころのない虚構の女のように感じた。
でも、冷静に分析をしながら、けれど熱に浮かされたように語るズノルコの在り方に目を奪われて、
静かにそれを聞くラルセンの横顔は、ほんの少ししか目を向けませんでした。
そのことを、幕間にどれだけ後悔したことか・・・
だって、エレーヌは、12年前からラルセンの妻だったのですから!

一幕の終わり、ラルセンがその事実を告げた瞬間、本当に世界が凍ったような気がしました。
もちろん、それまでの会話の中から、ラルセンとエレーヌは何らかの関係があるだろうとは思っていたのです。
だから、その事実だけだったら、たぶんそんなにも驚くことがなかった。
でも、彼はこの上なく効果的な瞬間を選んで―――ズノルコが彼女への愛を再認識したその頂点で、
この事実を伝えた。
それまでに紡がれてきた流れを全て一刀両断するように。
この事実を告げた瞬間のラルセンは、とても静かな表情をしていたように思いました。
嫉妬でも憎しみでもなく、哀れみでも優越感でもなく、ただ静かに冷静に。
遠目から見たその表情は、とても冷たく美しくて―――
なんだかあの瞬間、私の時間も凍ったように思いました。
だから、幕が降りて客電が付いた瞬間のあの安堵ったらなかったです。


15分の休憩を挟んでの2幕は、ラルセンの知る“エレーヌ”の真実が明かされていきます。
ラルセンと結婚し、平穏な幸せを積み重ねていた“エレーヌ”。
ラルセンの言葉から浮かび上がるその姿は、ズノルコが語るその姿とは全く別人で。
ラルセンが言うように、そこには二人のエレーヌがいるようでした。
そしてそこから、いくつもの真実が、いくつもの秘密を伴って明かされていきます。
ラルセンが、二人の往復書簡を見つけたこと。
ズノルコが、医療研究機関に莫大な寄付をしたのは、エレーヌにその疑いがあった日からであること。
エレーヌが、3か月の闘病生活の後、春の始まりの日に死んだこと。
ズノルコが、二人の往復書簡を新作として出版したのは、エレーヌともう一度だけ会おうとしたから。
エレーヌが、10年前に亡くなっていたこと。
ラルセンが、その後10年間、エレーヌとして手紙を書いていたこと。

書き出してみると、もしかしたらその真実はそれほど多くないのかもしれません。
正直なことを言ってしまえば、1幕のラストと同じように、どの真実もある程度予測ができていたようにも思う。
でも、舞台を観ている間、その真実が明らかになるごとに、ああやっぱり、という感情と同時に、
私はひどく驚いていたようにも思うのです。
それはたぶん、ラルセン、ズノルコの言葉には、多くの選択肢が含まれていたからなのかな、と。
特にラルセンの言葉は、観る者をミスリードするいくつもの瞬間があったように思います。
例えば、ラルセンが二人の書簡を見つけた時期。
例えば、エレーヌが亡くなった時期。
こうなのかな、と思ったことと違う事実が現れると凄く驚くし、精神的に翻弄される。
そして、その後の彼の言葉の全てが信じられなくなってくるような感覚に陥りました。
うーん・・・ズノルコがちょっとかわいそうになってきました(^^;)
こんなに翻弄されちゃったら、人が変わったようになっちゃっても仕方ないかなー。
エレーヌがラルセンの妻だとわかった後、
それまでの自分の言葉を否定するかのように嘆いたり罵倒したりするんですが、
その言葉選びが明らかに1幕とは違っていて。
思春期男子か、君は?!と言いたくなっちゃうような感じでした(笑)。
アフタートークで中井さんが「中学生みたい」っておっしゃってましたが、
もう心底同意して何度も頷いてしまいましたよ。
もしかして、こっちがズノルコの素で、
一幕の彼は、ズノルコが一生懸命創り上げてきた“ズノルコ”像だったのかな。

その一方で、ラルセンのイメージはあまり変わらなかったように思います。
変わらなかったけど、なんだかどんどんその危うさが面に出てくるような気がした。
親友だったエレーヌと結婚したラルセン。
その死後に、エレーヌとズノルコの関係を知ったラルセン。
エレーヌになりすまして、ズノルコとの書簡を交わし続けたラルセン。
そして、その事実をズノルコに突きつけ、当然のようにこれまでと同じ関係性を迫るラルセン。
ああ、イメージが変わらないのではないな。
本当の“ラルセン”がどこにいるのか、彼が本当に望んでいることが何なのかが、私にはわからないんだ。
エレーヌのようにズノルコに愛されたいのか、
ズノルコとの関係を続けることでエレーヌを永遠にしたいのか、
エレーヌと三人で、この“愛”を育てていきたいのか―――
途中、ラルセンとズノルコが、3人掛けのソファの端に座るシーンがありました。
その時、二人の間には確かにエレーヌが居た。
見えないけれど、その存在が鮮やかに感じられて、
実はこの戯曲はサスペンスでもミステリーでもなくホラーなのかと思ってしまいました。


物語が大きく動いたころ、ふと気が付くと窓の外の色が変わっているように思いました。
青いインクを一滴落としたかのような、微かな夜の気配。
全ての事実が明らかになり、共に在ろうとするラルセンを、ズノルコは拒絶します。
拒絶され、一度は暇を告げるラルセンが、三度戻ってきてその激情をぶちまけるとき、
天窓から射す瀕死の光は徐々に薄れ、
窓の外は半年ぶりの夜の闇に沈み込んでいきます。
その中で、ズノルコの愛を、エレーヌの愛を、ズノルコの愛を叫ぶように語るラルセン。
ソファに一人座りながら、指一本動かさずにただその激情を浴び続けるズノルコ。
その間に、外は完全に夜の世界になっていて―――
激しい激情に、肩で息をしながら猫背で立つラルセンも、
ソファの上で微動だにしないズノルコも、
私には亡霊のように見えました。
そこに本当に要るのかどうかも不確かな、思念の塊のような、思念の抜け殻のような、そんな存在。
そして、その二人を見守るエレーヌが、やっぱりその場にいるように思えた。
光の消えた世界を支配する、圧倒的な“死”の気配に、一幕ラストとは違った意味で、
また体が凍り付くような感覚を覚えました。

ズノルコの拒否に、背を丸めたラルセンの影が去っていったあと、
不意に立ち上がったズノルコが下手の廊下に消えて、2発の銃声が響き渡ります。
そして、一瞬の静寂―――
この静寂の一瞬で、私はズノルコがラルセンを撃ち殺し、そして自殺したんだ、と確信したんですが・・・
冒頭と同じように、ばたばたと走りこんでくるラルセンの影に、
それを迎えたズノルコが言った言葉―――「また、手紙に書く」に、
なんだかそれまでの緊張も相まって、笑いながら大泣きしてしまいました。
それまで空間を満たしていた“死”の気配が、一気に“生”に転換した。
安堵とも落胆とも期待ともつかない感情が、笑いと涙になって溢れ出た感じ?
森さんの演出作は、「パレード」のように深く沈み込むようなイメージが強かったので、
このラストの弛緩と、その後に流れた明るく、でもどこか哀愁を帯びた音楽が創る空間は、
なんだかこの舞台で一番の驚きであったようにも思います。
でも、笑顔で劇場を後にできたのは、ちょっと嬉しかったかなあ。
まあ、冷静になってみると、まだいろいろ謎が残ってることに気づいて頭を抱えてるわけですが(笑)。


この日は貸し切り公演で、終了後中井美穂さんを視界とした1時間近いアフタートークがありました。
本読みのこと、稽古のこと、毎日変更されたセットのこと。
森さんと橋爪さんの関係性。
そこに放り込まれて初回から脅された(「二人芝居は終わるとたいてい仲が悪くなる」と言われたとか)井上くん。
ロマンティストの欠片もない男たちが創るロマンティックな物語。
日ごと異なる客席との距離感。
きっちりとした決まりごとの中で、それでも日によってわずかに変貌していく二人の感情。
本当に盛りだくさんで、とても面白かったです。
でもって、紅一点の演出助手の方にはエレーヌが見えるとか(私も見えた気がした!)、
ミステリー好きの知り合いが橋爪さんにメールで、ラストの銃声について伝えたことが、
私が想像したことと全く同じでびっくりしたとか、
上記の中学生男子とか、もうほんとに何度も頷いてしまいました(笑)。

9月はちょっと予定が読めなくて、この1回しかチケットを取らなかったのですが、
2回、3回と観たら、それぞれに違う見方や発見があったんじゃないかな、と思います。
ズノルコだけずっと観る、とか、ラルセンだけずっと観る、とかしても面白そう。
まあ、橋爪さんは「4回観た人は5回目は観ないように」(客席に4回観た方がいまして)とか言ってましたが、
毎回違う何かがあると聞いたら、正直全部見たくなりますよねー。
さすがにそれは無理、というか私は2回目も無理ですので、
しかも橋爪さんが再演嫌いなので再演はあり得ないとのことなので(森さん談)、
この舞台、是非映像化して残してほしいなあ、と思います。

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