内と外

まあるい硝子に閉じ込められた小さくな空間。
静かで、綺麗で、誰にも脅かされることのない―――決して壊れることのない、世界。

それは、あの硝子の内側なのか外側なのか。


「1984」

2018.5.12 ソワレ 新国立劇場小劇場 C6列一桁台

出演:井上芳雄、神農直隆、曽我部洋士、武子太郎、山口省吾、森下能幸、宮地雅子、ともさかりえ、
    堀元宗一朗、下澤実礼(だったと思う・・・違ってたらすみません!!)


というわけで、1回だけチケットを確保していた「1984」を観てきました。
事前に原作の漫画を読んでみたら、なんというかとても難解で後味の悪い物語で、
実はちょっと観にいくかどうか迷ったり(^^;)
でも、これをどんなふうに舞台化するのか気になったので、頑張って行ってきました!
マチネが回るお城(笑)だったので、気力体力ちょっと限界で、
2時間持つかなあ・・・と心配していたのですが、
終わってみたら、2時間があっという間に感じられてしまうほど集中してしまいました。

物語の、政治的なこと、社会的なこと、現代とのつながりについては、ここで書くつもりはありません。
「二重思考」というものや、削除されていく言葉という設定、
人も物も、その存在が他者によるものだという不確かさも興味深かったし、
観ながらいろんなことを考えもしたけれど、それをきちんと書くだけの思想も知識も私にはないし、
たとえあったとしても、私にとって“演劇”がそれを語る手段ではないし、したくはない。
ので、例のごとくなんとなーく曖昧な記録になってしまうと思いますが、ご容赦ください。

この舞台で印象的だったのが、大きなガラス窓とそれを挟む闇。
舞台は遠近法を強調したような台形の部屋で、上手側の壁にはいくつもの引き出しがはめ込まれ、
下手側の壁には一枚のドアと、大きなガラスの掃き出し窓。
その壁の上部はスクリーンのようになっていて、ウィンストン(井上芳雄)が日記を書く手元や、
ウィンストンとジュリア(ともさかりえ)が逢瀬を重ねる別室の様子などが、
粗い映像として映し出されます。
同じはずの左右の映像がなんだかおさまりが悪く感じる理由が、
そのスクリーンが台形だからということに気づいたのは、舞台も中盤になってからだったかな。
直線で構成されているのに、そんな風にどこか歪んだ空間の中で、
掃き出し窓の向こうは光の欠片もないような闇でした。
部屋の灯りが漏れているはずなのに、その透明な壁の向こうには、光なんて欠片もないように見えた。
その、虚無のような空間に立つオブライエン(神農直隆)の姿に気づいたときにはちょっとぞっとしたし、
その透明な壁を挟んでオブライエンとウィンストンが見つめ合った瞬間には、
周りの全てが消え去るような緊張感があったように思います。
物語の中、その闇い空間は、時に明るい部屋を映す歪な鏡になり、
時にお隣さんの光あふれる庭になり、
時にウィンストンの過去の記憶を映すスクリーンになった。
彼が生きるリアルとは異なる場所。
硝子の壁の向こうとこちら。
物語の途中、古道具屋の主人が引き出しから取り出したスノードーム(だったと思うのだけど・・・)のように、
覆われて、見つめられて、ただ決められた質量の変化だけを繰り返しているのはどちらの空間なのか。
そんなことをぼんやりと思いながら観ていたので、
終盤、その窓を隠す大きなカーテンが開け放たれた向こうに、
ウィンストンとジュリアのいる部屋のリアルが見えた時には、凄い衝撃を受けてしまいました。
なんだろう・・・ちょっとした世界の崩壊を観てしまった感じ?


この時点でもかなり動揺していた私ですが、
その後の101号室のシーンは本当にきつかったなあ・・・
それまでは、ガラス窓の外の闇が怖かったのに、
今度は光を弾くような真っ白な空間―――闇の一欠けらもない空間がとてつもなく怖い場所になった。
多分照明の当て方なのだと思うのだけど、あの四角い部屋の中には、影がなかった。
演出として影が映し出される瞬間はあったけれど、
捕えられ、椅子に縛り付けられて拷問されるウィンストンの影は、ほとんど見えなかったように思う。

過去の記憶も、
現在の思考も、
揺るぎないはずの信念も、
拠り所であるはずの愛も、
逃れようもない恐怖も、
堕ちていくような絶望も―――全てを暴き出す光だけの世界。

そこで繰り広げられる陰惨な場面も直視できないほど怖かったけど、
闇のない光だけの場所というのがこんなにも怖いものなのかと、ちょっと身震いする思いでした。

ウィンストン役、井上くん。
冒頭の静かな存在感がどんどん熱を帯びて、生き生きして、
そして同時に歪んでいって、危うさを増していく様が、
彼の辿り着く未来に説得力を持たせていたように思います。
主人公である彼の思考に、物語の中ではどうしても寄り添ってしまうけれど、
その存在こそがあの世界では“異物”であるということが、
そしてその“異物”が、“異物”でなくなっていく過程には、ただ瞠目するしかできなかった。
心身ともに本当にきつい役だと思います・・・なんというか、ほんとにお疲れ様でした。

オブライエン約、神農さん。
多分舞台では初めて観る役者さんだと思うのですが、すばらしくいい声の方ですね!
終盤の、淡々とウィンストンを追い詰めるシーンの、どこか優しいとさえ感じられるようなその響きに、
余計に怖さが煽られた気がします(^^;)

ジュリア役、ともさかさん。
映像では何度も観ていますが、舞台では多分初めて。
映像で思っていたよりも、めちゃくちゃ細くてびっくりした・・・!
溌剌とした聡明で情熱的な女性、という雰囲気なのだけれど、
個人的には、静かにウィンストンを見つめる時の、その沈黙の雄弁さに心惹かれました。

古道具屋の主人役の曽我部さんは、
未来(?)でウィンストンが書いた小説「1984」を研究する会(かな?)のリーダー的存在、なのかな?
古道具屋の主人の意味深さも気になりましたが、
リーダーの時も、実は裏があるんじゃないかと深読みしたくなる存在感が素敵でした。

宮地さんは、この物語の中で個人的に唯一癒し系な方でした。
なんというか、お母さんを3役やってたと思うのですが、
あの普通さと歌声の柔らかさにちょっとほっとした(笑)。

癒し系と言えば、子役ちゃんも。
椅子に座って足をぶらぶらさせている時や、お母さんの言うことを聞かない日常感や、
可愛らしい歌声に癒されました。
でもその分、いきなりドキッとするような言葉をウィンストンに突きつける時の、
あの容赦のなさが際立ったようにも思います。
というか、あの101号室のシーン、上手側でずーっと彼女は行われていることを見つめてるんだけど、
怖くなかったのかなあ、とかちょっと思ってしまった・・・
いや、自分が子どもの時に、フィクションだとはいえ目の前で何度もあんな光景を見たら、
結構トラウマになるような気がするんですよねー。
あのシーンから意識を少しずらしたかった、というのもあるのかもだけど、
なんとなく心配で、子役ちゃんを思わず見つめてしまいました。
いやだって、そのくらいウィンストンの苦しみ方とか堕ちていき方が生々しかったんだよ・・・(^^;)


うーん、思った以上に訳の分からない記録になりました。
多分私は、この舞台の内容も、演出家の意図も、役者さんの表現も、
殆ど理解できていないと思います。
というか、無意識に理解するのを拒否しているのかもしれない・・・
もう一度観るかと言われたら、即答はできないけれど、でも、観ない方が良かった、とは思いませんでした。
うん。
たまにはこういう舞台に刺激を受けるのもいいのかもしれないな。

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