新しい景色

一度は見えたはずの景色が、再び目にした時に違うものになっている。
困惑を、恐怖を、自嘲を生み出すその見知らぬ新しい景色は、
けれど、確かに高揚を孕んでいた。

そんな、再演でした。


「フランケンシュタイン」

2020.1.19 ソワレ 日生劇場 GC階B列20番台

出演:柿澤勇人、小西遼生、音月桂、鈴木壮麻、相島一之、露崎春女、
   朝隈濯朗、新井俊一、岩橋大、宇部洋之、後藤晋彦、白石拓也、
   当銀大輔、丸山泰右、安福毅、江見ひかる、門田奈菜、木村晶子、
   栗山絵美、水野貴以、宮田佳奈、望月ちほ、山田裕美子、吉井乃歌、
   小林佑玖、浅沼みう


というわけで、「フランケンシュタイン」再演に行ってきました。
初演の時、あまりに余白のある脚本と、意味深な登場人物の関係性に、
妄想がめっちゃ刺激されたこの作品(笑)。
お友達に「超大作」と言われるほど長文の感想を書きなぐりながら、
自分の中でこの物語の一つの景色に辿り着いた・・・はずなのですが!
今回の再演を観て、またしても迷子になってしまいました(^^;)

多分、基本的な演出や楽曲は変わらない、はず。
主要キャストも変更したのはエレンだけで。
だから見えてくる景色はそんなに変わらないんだろうなあ、と思っていた私、甘かった!
今回の公演期間もそれほど長くないので、週末に詰め込んで、この週末は3回観たのですが、
キャストの組み合わせの違いだけでなく、観るたびに混迷を深めました・・・
うーん、今の私には、この舞台はちょっとチューニングが合わせにくいのかなあ。
初演の感覚が残っている分、というか、初演での妄想が記憶の中の物語を歪めたのかもしれません。
先入観、なのかなあ。
いえ、面白くなかったわけではないんですよ?
やっぱりいろいろツッコミどころはあるのだけど、
楽曲は聴きごたえがあるし、役者さんも素晴らしかったです。
でも、前の記憶と重なる部分と、全く異なる景色が見える部分があって、
まっさらな状態で見たのとは異なる迷いが生まれてるんだろうなあ、と思います。

観るたびに見える違う景色―――感情。
自分が見えているものは真実なのか。
自分は自分の見たいものだけを見て、本質を見失っているのではないか。
そんな怖れにも似た感情が沸き上がってきて、
懸命に見れば見るほど空回りしていく感じでした。
で、週末の最後、日曜ソワレのこの組み合わせを見て、混迷が極まってしまったんですが・・・

まあ、それでもいいか!と思っちゃいました(笑)。
だっていくら考えたって、役者さんとも脚本家さんとも演出家さんとも別の人間なんだから、
絶対の正解にはたどり着くはずないんだよね。
ユニゾンが「真実はない、無数の事実があるだけ」というようなことを歌ってたけど、
まさに舞台もその通りなんだろうな、と思う。
私が見る事実には、私の人生というフィルターがかかっていて、
それは他の誰とも同じではないはず。
それなら、私は私が感じたことをそのまま今の記録として残しておこう、と思いました。

というわけで、今回はさらっと役者さんの感想を。
この回の前に観た2回分は、それぞれもう一度観る予定なので、
それからにしようかな、と思っています。


ビクター役、柿澤くん。
かっきーも舞台を観るのは、めっちゃ久しぶり。
ちょっと雰囲気が変わったかなあ、という気がしました。
なんだろう、私の記憶にあるよりも、演技の重心が低くなった気がする。
いや、跪くことが多い殻ではなくて、安定感が増したというか、
伝わってくるものがストレートになったというか・・・?
前回の記録を読みなおすと、彼から受け取る印象はあまり変わっていないのですが、
なんだか凄く新鮮に感じてしまいました。
他者に対する距離感が拗れまくって、かえって近くなっちゃった感じが、
ひたすらに距離を置こうとするアッキービクターとは真逆で面白い。
怖いけど、だからこそ近づいちゃう、みたいな?
でもって、1幕での柿澤くんのビクターは、怒りを内包しているように思った。

子どもの頃に、彼の中に生まれた怒り。
自分を理解しない周りに対して。
自分から離れていく誰かに対して。
自分ではどうにもならない現実に対して。
彼の中に蓄積した怒りは、その熱さとは裏腹に、彼の表面温度をどんどん下げて行った。
冷静に、頑なに、失うことを恐れるかのように、自分の内側に入ろうとする全てを拒絶する。
そんなビクターが、アンリと出会って変わった。
自分と同じ場所で、同じ目線で、同じ目標を見据える相手。
自分を理解し、否定せず、離れることなく共に歩もうとする相手。
1幕のビクターは、アンリの前でだけ子どものような表情を見せていたように思います。
けれど、アンリは去っていった。
ビクターを守るために。
ビクターの―――ビクターと自分の夢を守るために、ビクターに全てを託して。

小西くんのアンリは、なんだかとても怖く感じました。
初演で感じたように、優しくて懐の深いアンリ。
でも同時に、ビクターよりも冷徹に全てを見ている、と思いました。
それはもしかしたら、アンリも怒りを内包していたからなのかもしれない。
冒頭で銃殺されそうになった時も、彼の目には絶望と共に怒りがあった。
その怒りは、ビクターと似て非なるもので。
アンリと出会ったことで、ビクターの中にしまい込まれていた熱が溶け出したのとは逆に、
ビクターと出会ったことで、アンリの中の怒りはより強固に、冷静になったように思う。
ビクターとの最後の邂逅の時。
♪君の夢の中で という曲は、こんなにも理路整然としたものだったかと、
ちょっと呆然としてしまいました。
感情では突き崩せない強固な理論で、自らの行動の利を語る。
感情で、その理論に抗おうとするビクターを押さえつけ、
アンリは義務と約束でビクターをがんじがらめに絡み取ったように思いました。

二人の夢のために、新しい人類を作るために、未来を変えるために、僕は死ぬ。
だから。
君は創造しなくてはならない―――諦めることは、許さない。

柔らかく優しく切ない旋律と歌声が、あの瞬間私には呪いの言葉のように聞こえた。
でもそれはきっとアンリの理性の部分が創り出したもので。
断頭台に上がったときの、最後の歌声の前の一瞬、嗚咽を堪えるような間が、
自分自身のその理論に唯一彼の感情が抗い溢れた瞬間のように感じられました。

アンリの死の後、ビクターはアンリの首を使って新しい人類を創造しました。
それは―――ビクターが作ろうとしたのは、“アンリ”ではなかった。
アンリが、二人が望んだ、アンリの頭を持つだけの新しい人類。
動きだした“アンリの頭を持つ何か”を認識した瞬間、
ビクターの目は、研究対象を見る研究者の色を纏っていたように思います。
だからこそ、あり得ない行動を取った怪物を、彼は自らの手で破棄しようとした。
友を殺す、と歌っていても、彼が殺そうとしたのは“アンリの頭を持つ何か”であって、
決してアンリ自身ではなかった。
そんな風に感じました。

2幕、怪物と再会した時も、ビクターにとって怪物はアンリではなかった。
アンリ、と呼びかけても、“それ”は研究対象でしかなくて。
自分の手に戻った研究日誌を開いて、
あの状況ですら何かを書き込もうとしている仕草もあったように思います。
でも。
怪物に、わが身を削られるように一人一人大切なものを奪われていく中で、
ビクターは逆に見失っていた大切なものを一つ一つ取り戻して行ったようにも見えました。
ジュリアの願い。
ルンゲが見守る優しい目。
そして、エレンの愛情。
そんな暖かなものを一つ一つ取り戻していくビクターの表情は、
なんだかどんどん幼くなっていくように見えた。
冷酷な研究者ではなく、愛を見失った小さな子どもに。
怒りに凝り固まった青年ではなく、怒りに小さな身を震わせる少年に。
壮大な夢で神に挑む英雄ではなく、なくした何かを必死で取り戻そうと手を伸ばす人間に。
星空の下、アンリが歌う“一人の男”の姿と、そのイメージはすんなりと一致しました。

最後の瞬間。
創造物の復讐を受け入れたビクターが、何を思ったのか私にはわかりませんでした。
最後の名乗りが、全てに対する訣別なのか、神に向けた再びの挑発なのか、もわからなかった。
♪偉大な生命創造の歴史が始まる の神に祈るような仕草をするときは、
明らかに神への挑戦であり挑発出会ったと思ったのだけど。
今回彼のビクターはこの1回だけなので、この答えには多分永遠にたどり着かない。
それが悔しいような、ちょっとほっとするような不思議な気持ちになりました。

というか、小西アンリ~怪物の行動の根本も、やっぱり私は見失っているんですよねー。
いやだって、創造しろって言ったの君だよね?!って(笑)。
これはもう一度考察のチャンスをいただいているので、ちょっとペンディングしておこうと思います。


露崎さんのエレンは、ビクターに対してちょっと距離があったかなあ、と思いました。
愛情はある。
だけど、同時に恐怖もある。
そんな感じ。
理解しようとしても、どうしても理解できない部分がきっとあって、
そのことをビクターは鋭敏に感じていたんじゃないかなあ、と思う。
エレンにも、捨てられた。
そういう気持ちがどこかにあったんじゃないかなあ。
エレンの歌声の頼りなさというか、どこか抑圧された雰囲気も、
そういう風に感じさせる要因だったのかもしれません。
その分、2幕のエヴァの生き生きとした感じにはちょっとびっくり。
普段どういう歌を歌ってらっしゃるのか知らないのですが、
きっとエヴァの歌の方が歌いやすいんだろうな、と思いました。

そうそう、2幕のかっきーのジャックもかなり怖かったです。
この人は、何の痛みも感じず、道端の石を蹴るように人を傷つけ殺めるんだろうな、と思った。
甲高いふざけた声音の時と、闇に深く沈み込むような低い声のギャップが素晴らしい。
でも、闘技場のシーンは、やっぱりいろんな意味で見ているのが辛くて直視できません。
ジャックの色々に笑い声も起きていたし、
「2幕は笑えるし楽しい」という声も漏れ聞こえてきたけれど、
私は全然笑えないし、楽しいとは思えませんでした。
むしろ辛いし、悲しい。
ビクターとアンリの物語だって笑えないけどねー。
総じてこんなに笑うことのできない舞台は他にはないんじゃないか、と改めて思っちゃいました。

そんな中で癒しだったのが鈴木さんのルンゲ。
もちろん、彼にも闇は感じたのだけれど、
彼の行動には全て愛があったし、揺るぎない優しさがあったし、
(成功しているかは別として)ビクターの心を和ませるように、
客席の私も和ませてくれました。
回替わりのアドリブも楽しかったです。
ルンゲさんの作るデザート、美味しいんだろうなあ。

音月さんのジュリアとカトリーヌの対比というか、共通のキーワードが、
今回もとても印象深く感じました。
中でもやっぱり「明日」という言葉。
二人それぞれ、「明日」に希望を抱いているけれど、そんな「明日」は来ないことも知っている。
インパクトとして、どうしてもジュリアのソロよりも、
カトリーヌのソロの方が印象に残っちゃうのですが、
とりあえず、カトリーヌのソロの陰惨さというか、壮絶さは素晴らしいと思いました。
それでもやっぱり脚本上のカトリーヌの造形の細かいところが気になっちゃうんだよねー(^^;)


さらっと書くつもりがやっぱり長くなっちゃいました(^^;)
子役ちゃんやアンサンブルさんのことも書きたいけど、次の機会に。
実は明日当直なので(笑)。
今回も子役ちゃんたちもアンサンブルさんも最高でした!ということだけは叫んでおきたいと思いますv

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